擬音帝国の落胤

麦茶ブラスター

ページ1 ぐちゃぐちゃとじゃらじゃら

「ふあ……」


豪華な装飾が施されたキングサイズのベッドから、一人の少女が身を起こした。

銀色の髪に、燃える炎のように赤い目。名をイオと言う。帝国の第三皇女である。


起きてすぐに、彼女は異変に気付いた。


いつもは笑顔で話しかけてくれる兵士達が彼女の周りを囲んで、一斉に槍を向けていたのである。


「お姉ちゃん……」


理解しがたい状況に呆然とするイオだったが、兵士の間から顔を出した緑髪の少女の姿をみて、我に返る。


少女の名はマナ。イオの双子の妹にあたる。

帝室で魔法が使えないのはイオとマナだけで、そのせいで他の兄妹からは様々な嫌がらせを受けてきた。

だから二人は、支え合って生きてきたのだ。イオにとってもっとも大切な存在。


「マナ、これはどういうこと?なんで兵士さんが私達を……」


マナは答えるかわりに力なく首を振った。


「行くぞ」


兵士達はマナを囲み、部屋から出て行く。


「待って……」


後を追おうとした瞬間、後頭部に強い衝撃を受け、イオの意識は飛ばされた。



「ここは……」


イオが目を覚ますと、辺りは暗闇。黴臭い空気が充満している。


少しずつ目が冴えてくると、鉄格子、冷たい石造りの床が見えてくる。


どうしたってろくな場所ではなかった。


突然周りが明るくなり、けたたましい音とともに鉄格子の扉が開く。

ランプを手に、漆黒の鎧を纏う大男が入ってきた。


帝国騎士団長、ジェイルだ。


「ジェイルさん……!一体、私達が何をしたんですか!」


立ち上がろうとしたとき、イオは自身の右足に枷が取りつけられていることに気付いた。


「諦めろ。帝室の許可は得ている」


「そ、そんな……」


「落ちこぼれイオ、お人好しイオと散々バカにされてきただろう?だが、それも今日で終わりさ」


普段敬語でしゃべっていたジェイル。過激な嫌がらせの後に、彼女の傷を手当てしてくれたジェイル。悔しさや怒りより、悲しみの方が遙に大きかった。


「イオ。ずっと狙っていたんだよ。ついに俺のモノだ」


ジェイルの言葉と共に、彼の鎧の中から灰色表紙の分厚い本が飛び出した。

語意力自典オノマトペディア。選ばれた者だけが所有できるその本は、持ち主に魔法の力を与える。


「い、いや………」


足枷を引き摺って逃げようとするイオ、しかし牢の出口は一つしか無い。ジェイルの後ろだ。


「擬音魔法【じゃらじゃら】!」


開かれた語意力自典の中から、無数の鎖が伸びてきた。それらはまるで生き物のように動き、イオの体に巻きついていく。


「はは、おい。これから何が起こるかわかるか?」


イオに分かるはずもない。だが、彼女は律儀に首を横に振る。


「【じゃらじゃら】と『ぶつかり合え』」


巻きついていた鎖が、激しい音を立てながら互いにぶつかり合う。

イオの身体を挟み、叩き、ちぎる。いくつもの痣や裂傷が白い肌の上に生み出されていく。


「……ぅ……」


しかし彼女は僅かに声を漏らすだけで、叫び声一つあげなかった。

歯を食いしばり、ひたすらに痛みを耐える。悲鳴は相手をエスカレートさせるだけであると、彼女は今までのいじめ経験でよく分かっていた。


ほとんど無言で耐えたとはいえ、イオの身体に刻まれた無数の傷にジェイルは概ね満足したようだった。


「元々とびきりの上物だったが、これで更に俺好みになった。明日が楽しみだ」


厭な笑みを浮かべ、ジェイルは牢を出て行く。


後には再び暗闇と静寂が訪れた。


「う……うぅ……」


いくら泣こうとしても、涙すら出てこない。

もたれかかり、膝を抱えて蹲るイオ。


目を瞑っても、体中の傷が痛んで眠れない。


それでも疲れ果てた身体は眠りを欲し、彼女の意識は微睡みの中へ消えた。


やがて、イオは悪夢すら見ることなく目を開けた。

辺りは暗く、まだジェイルは来ていないようだった。


イオは蹲り、目を伏せて、ただ時間が過ぎるのを待っていた。


〈おイ〉


どれくらいそうしていただろうか。急に、彼女の頭の中に声が聞こえてきた。男とも女とも付かないその声は、湖の底から聞こえてくるかのように泡立っている。


(……誰?)


〈あんタ、このままだとまずいゾ〉


(そんな事、わかってるよ。でも、どうにもならないじゃん)


〈どうにか出来るなラ?〉


(え?)


〈ほラ、足音が近づいてきたゼ?どうにか出来るのなラ、 お人好しのイオさんハアイツをどうしたイ?〉


「……私、は……」


鉄格子の扉が開いた、その瞬間。

イオは顔を上げ、正面を見据える。

その表情から怯えは消えていた。


「あいつを……」


〈合格ダ〉


イオの横に空間を歪めるようにして現れたのは、黒表紙の語意力自典。

自典のページがゆっくりと開いていくにしたがい、彼女の白い髪が黒く染まっていく。

足枷がボロボロと崩れ、イオはゆっくりと立ち上がった。


「な、なぜお前が語意力自典を……それに、その色は……」


「擬態魔法【ぐちゃぐちゃ】」


イオが呟いた瞬間、ジェイルの右腕がグルグルと渦を巻き、ちぎれ飛んだ。

一瞬の出来事だった。絞られた赤い液体だけが床に注がれる。


「な、あ、あああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」


ジェイルは悲鳴を上げて膝を突く。鎧ごとちぎれ飛んだ腕は壁に叩きつけられてトマトのように弾けた。


イオはそれを冷めた顔で見下ろし、静かに言った。


「マナは何処」


声を聞いただけで、ジェイルは暗闇に一人取り残されたような感覚に襲われた。

体の震えが止まらず、残った左腕で肩を抱える。


「お、お前の妹はもう帝国にはいない……エコールの奴隷商に渡してしまった……」


エコール擬声国。帝国と唯一同盟関係にある国だ。


「奴隷商」。その言葉はイオの心に濁った水たまりを作り出し、ゆっくりと広がっていく。


水たまりがついに海になったとき、イオは指をピストルの形にして、ジェイルに向けた。


その顔は……笑っていた。


「【ぐちゃぐちゃ】に『弾けろ』」


イオはおどけながら、ピストルを撃つ真似をする。


「ぱぁん」


間髪入れず、ジェイルの両足は破裂した。破裂。

肉片すら残らず、夥しい赤い液体だけが床を汚す。


「あっ、うあああああああああああああああああ!!!!!!」


ジェイルはもはや、手足をもがれた虫とさほど変わらない状態だった。

床を赤くコーティングしながら、激しい熱と痛みで地面を転げ回る。


それに目もくれず、イオは立ち上がると鉄格子の扉を開けた。


「ま、待ってくれ……!!あぁ、こ、殺せ、俺を殺せ!!」


イオはそこで振り返り、三日月のような笑みを見せて言った。


「私好みの体になったね。明日、誰かが来てくれたら良いね」


そして、牢の扉は閉じられた。


ジェイルの慟哭を背に、幾つもの牢が並ぶ長い廊下を歩き、階段を上がる。


すると、出口らしき扉の前にたどり着いた。


イオが扉の取っ手に手をかけると、再び脳裏に声が流れてきた。


〈王様、次はどうすル?〉


「王様?」


〈戴冠式は始まりに過ぎなイ。これから激動の時代がやってくル。オレの力なラ、あんたは王様になれル〉


「王様なんてどうでもいい。私はマナを助けに行く」


〈けけッ、仰せのままニ〉


「さよならだね、お人好しの私」


イオは息を深く吸い、決心する。「お人好しのイオ」は暗い海の底へと沈んでいく。


「全部、ぐちゃぐちゃにしてやる」


そして扉は開かれた。



オノマトペと落胤の双子が紡ぐ、はちゃめちゃとぐちゃぐちゃの物語。


続きのページは、またいつか。

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