ツキノワグマとぐちゃぐちゃ沼

アほリ

ツキノワグマとぐちゃぐちゃ沼

 「ねぇーーー!!まってぇーーー!!」


 ツキノワグマのブジンは重い身体をノッシノッシと揺らしながら、フワフワと飛んでいくオレンジ色の風船を追い掛けていた。


 ツキノワグマのブジンの追い掛けているオレンジ色の風船は長く空で飛んでいたようで、風船の中のヘリウムガスが殆ど抜けて縮んで浮力が無くなって低空飛行になっていた。


 「ねぇーーーー!!風船やーい!!逃げないでよぉーーー!!おいらが息を吹き込んで大きくしてあげるからさぁーー!!」


 ツキノワグマのブジンは、風船が大好きだった。

 

 「まあるくて、フワフワと浮かんでる風船さぁーーん!!僕と!僕と!遊ぼうよ!!

 もぉーー!!元気がないなら、僕が元気にしてあげるからぁーー!!

 僕がぷーぷー息入れて君をでっかぁーーーーくしてあげるからさぁーー!!

 そしたら、一緒に遊ぼうよぉーーー!!」


 しかし、追えども追えども、ツキノワグマのブジンの重い身体ではふうわりと軽い風船は掴まえられなかつた。


 「ええいっ!!僕の身体!!君みたいにヘリウムガスで膨らんでたら良かったのにぃーーー!!

 僕は何で重いクマなんだよぉーーーー!!」


 ツキノワグマのブジンは、フゥー!!フゥー!!と鼻息を大きな鼻の穴から吹き出し、舌を垂らしてハァハァと荒い息をきらして、もう疲労困憊だった。


 「風船!!風船!!ふうせぇーーーーん!!何で僕をあしらうんだよぉーーー!!」


 どのくらい追い掛けていただろう。


 やがて、オレンジ色の風船の浮力は限界を超えてどんどん高度が下がっていった。


 「しめたっ!!これで風船は僕のもの・・・」


 その時だった。



 びゅううううーーーーーー!!



 突然、山の方から突風が吹いてきた。


 「しまったぁーーーーーー!!」


 やっとツキノワグマのブジンの爪がオレンジ色の風船の紐に届こうとしてたのが、するりと抜けて転がるように逃げていってしまった。


 「おおおおーーーい!!風船やーーい!!逃げないでぇーーーっ・・・って、ええっ?!」



 べちゃっ。



 「しまったぁーーーーーー!!風船がぐちゃぐちゃ沼のど真ん中に填まったぁーーー!!」


 転がるように飛んでいったオレンジ色の風船が落着した先は森の動物達が、

 「この沼に填まったら、二度と生きては這い上がれない!」

 と、恐れられたぐちゃぐちゃ沼だったのだ。


 ぐちゃぐちゃした泥を被って、沼のど真ん中にプカプカと浮いているオレンジ色の風船を見つめながらツキノワグマのブジンはため息をついた。


 「本当にどうしてこうなっちゃうのかなぁ・・・?

 僕はいつもそう。

 子熊の頃に蜂蜜を取ろうと蜂の巣を探ってたら、中に居た大勢の蜂に追い掛けられて、身体中を蜂に刺されて散々だったし。」


 ツキノワグマのブジンは頭を抱えた。


 「ぐちゃぐちゃ沼の中に入らなければ、あの風船は取れないし。

 取ったとして、今度はぐちゃぐちゃ沼に脚を取られて沼に引き摺り込まれて・・・人間のハンターに殺されたママのもとに逝っちゃうし・・・


 まだ死にたくない・・・でもあの風船を取りたいし・・・でも風船を取ったら、僕はぐちゃぐちゃ沼に沈んで窒息死しちゃうし・・・どうすれば・・・


 ツキノワグマのブジンは、自然に脚がぐちゃぐちゃ沼に向いて歩いていた。


 「やっぱり・・・僕は・・・あの風船が欲しい・・・」


 ツキノワグマのブジンはぐちゃぐちゃ沼の泥を被り、全身泥だらけになりながら泥だらけのオレンジ色の風船の元へゆっくりゆっくりと歩いた。



 ぐちゃっ!ぐちゃっ!ぐちゃっ!ぐちゃっ!



 「あの風船が欲しい・.・・あの風船が欲しい・・・」


 ツキノワグマのブジンは身体を全身泥まみれにして、ぐちゃぐちゃ沼のど真ん中の風船に釣られるように、


 「あの風船が欲しい・・・あの風船が欲しい・・・」



 ぐちゃっ!ぐちゃっ!ぐちゃっ!ぐちゃっ!



 「はっ・・・!!」


 ツキノワグマのブジンの顔は、みるみるうちにあおざめた。


 「身体が・・・!!身体がぐしゃぐしゃ沼に呑まれた!!身体の自由が効かないっ!!」


 どんどんどんどん、ぐちゃぐちゃ沼の泥の中に沈んでいくツキノワグマのブジン。


 もがけば踠く程にどんどんどんどん、どんどんどんどんツキノワグマのブジンの身体はぐちゃぐちゃ沼の中へ沈んでいく。


 「ごめん・・・ごめんなさい!!ママ!!せっかくママに育まれた命のなのに・・・!!

 僕はママのもとへ行くよ・・・

 嗚呼・・・僕は短い命だったな・・・トジだったよ。何をやってもドジな・・・僕を・・・」


 ツキノワグマのブジンは、頬っぺたをめいいっぱい風船のように孕ませて顔を浮き袋にしようとしても、ズリズリとぐちゃぐちゃ沼に吸い込まれ、遂に全身が沼の中へ沈んでしまった。



 ・・・・・・


 ・・・・・・



 〈ブジンちゃん・・・〉



 「ん・・・この声は・・・」


 ツキノワグマのブジンは、ぐちゃぐちゃ沼の中から聞いたことがある囁きを聞き、丸い耳を側たてた。


 〈まだ此処に来てはいけません・・・〉


 「ママ!ママなの?!」


 〈そうよ。ママよ。ブジンちゃんのママよ。〉


 それは、ぐちゃぐちゃのど真ん中に落着したまま萎んでぐちゃぐちゃ沼に呑まれたオレンジ色の風船の中から聞こえてきた。


 「風船?ママは風船?」


 〈そうよ。私、あんたブジンちゃんが無事に過ごしてるか、このオレンジ色の風船に憑依して見に行ったんだけど、

 私ってドジね・・・誰に似たのかしら?〉


 ツキノワグマのブジンは、ぐちゃぐちゃ泥の中でママとの日々を思い出していた。


 子熊時代、蜂に全身刺された跡を舌でペロペロと舐めてくれたママ。


 「あんたってドジね。」 


 目を細めてツキノワグマのブジンを見つめるママの優しい顔が、そこに在った。


 しかし、ツキノワグマのブジンのママはうっかり人里に現れてしまい、人間のハンターに撃ち殺されてしまったのだ。


 独りで生きてきた日々。

 ずっと、ママの幻想を抱きながら。


 段々、目の前のぐちゃぐちゃ沼の泥がママの顔に見えてきた。


 泥のママの顔が、ぐちゃぐちゃ沼の中で踠くツキノワグマのブジンに話しかけた。


 〈さあ、這い上がるのよ。あの私の化身の風船を口で膨らませて・・・この私の化身の風船の浮力で・・・〉


 ツキノワグマのブジンの目から、大粒の涙が溢れた。


. 「ママ・・・ありがとう。」


 ツキノワグマのブジンは、ぐしゃぐしゃ沼の泥を掻き分けてすっかり萎んだオレンジ色の風船を見つけ出し、吹き口の結び目を爪でほどき、まだ肺に残る吐息・・・泥で窒息しそうになるのを必死に堪える為に蓄えていた吐息・・・を萎んだオレンジ色の風船に思いっきり吹き込んだ。



 ぷぅ~~~~~~~~っ!!


 ぷぅ~~~~~~~~っ!!



 すると、どんどんツキノワグマのブジンの吐息で膨らむ風船の浮力に釣られて、どんどんどんどんと、ぐちゃぐちゃ沼の上へ上へと昇っていった。



 ぜぇ・・・ぜぇ・・・



 早くもツキノワグマのブジンの吐息は尽きた。


 「苦しい・・・苦しい・・・窒息しそうだ・・・でもこの風船に入った僕の吐息を・・・でも、この風船の吐息を使ったら、せっかくのママの計らいが・・・


 やっぱり、僕は潮時かな・・・


 ごめんね・・・ママ。やっぱり僕は・・・」



 ・・・・・・


 .・・・・・・



 「はっ!?」


 ツキノワグマのブジンは目が覚めた。


 全身の泥が乾いて砂だらけになっていた。


 爪には、すっかりと萎んでゴムが伸びきってぐしゃぐしゃになったオレンジ色の風船を掴んでいた。


 「ぼ、僕は助かったんだ!!ママに・・・風船になったママにぐちゃぐちゃ沼から助けられたんだ・・・!!」


 ツキノワグマのブジンはそう言うとら目から大粒の涙が溢れてきて思わず激しく泣いた。


 大声で泣いた。


 ツキノワグマのブジンは、ゴムがぐしゃぐしゃになったオレンジ色の風船の匂いを嗅いだ。


 鼻の穴に、伸びきったゴムのつんとした匂いが入ってきた。


 それは、ツキノワグマのブジンのママの匂い。


 ツキノワグマのブジンはそっと萎んだオレンジ色の風船に息を吹き込んで、抱き締めた。





 ~ツキノワグマとぐちゃぐちゃ沼~


 ~fin~

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ツキノワグマとぐちゃぐちゃ沼 アほリ @ahori1970

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