ブラックアウト3

 夕刻。影が色を濃くし、陽が紅くすべてを染める頃合い。

 少年はまだ教室にいた。

 直ぐに帰るには考え事をしてしまうと慰みに持ち込んだ本を読むことにしたのだ。たとえ読めずとも、思考をかき乱して無駄に考えないようにしたかったし、何よりもあの夢が引っかかり続けて怖かったのだ。

 それならば、家に直ぐに帰る方が良いだろうと多くの人々は考えるかもしれない。

 しかし、ただ一人で家にいるか、暫く学校で様子を見るか、どちらかを選ぶのであれば少年は学校を選ぶ。それほどまでに少年にとって学校とは日常の防波堤だった。


 読んでいた本を閉じる。

 結局、無駄に考えなくなったといっても逃避でしかないだろうと内心若干のフラストレーションを感じながら、周囲を見渡す。

 教室は、朱と黒とが満たしていた。自分以外は誰もいない。

 教室の電気をつけていなかったことに疑問を感じるも、所詮はその程度。普段であれば気にも留めないような、そんな瞬間。

 だが、どうしてか気分が良くない。


「……はあ、なんだって」

 溜息交じりに険しい顔で電気をつけようと立ち上がる。

 ほんの少し不気味さを感じるこの光景も、電気をつければすべてが白に変わる。

 こんな不吉な色合いは掻き消すに限る。

「──あんなことがあったんだし」

 背後から、穏やかで優しい、女の声がした。


 それは、その声を聴く瞬間まで、ずっと忘れていたもの。

 あの夢が現実である唯一の可能性。

 すべてが、あの夢を現実だと叫んだすべてがカチリカチリと音を立てて組みあがっていく。

 足元から揺らぐ感覚。心臓は大きく脈打ち、呼吸は止まる。

 たったその一声がすべてを塗り替えていく。

 それが彼女に対する抵抗なのか賞賛なのかはわからない。

 だが、身体はその正体を見ようと一息に振り向く。


「やあ。初めまして、かな。少年」

 

 振り向いた先には、少女が立っていた。

 少年の鼻ほどの背丈からして、およそ160後半ほどの体躯だろう。

 そのかんばせは口元以外がフードによって、その身体はくるぶしまである黒いローブによって隠されている。

 しかして何処までも華奢な印象を与えてくる。

 呆気にとられながらも、想像とは違った、しかし妙にしっくりとくる。そんな印象を持ってしまった。


「失礼、少々突然すぎたようだね」

 少年が何も言えずにいるのをよそに、少女はおもむろにローブのフードを脱ぐ。

 その所作は緩やかながらどこか艶やかで、その美しく輝く髪は頭を振ることでふわりと踊る。肩にかかるほどの長さで揃えられたそれは夕焼けを吸い込んで朱く染まる。

 彼女を表すかのような切れ長の碧い目は、目を逸らすことができないほど美しく。

 少年はいつの間にか見惚れてしまっていた。

 少女もそれがわかったのか、すぐに目を細め、優しい微笑みをたたえる。

 それを見てようやく我に返った少年は、少女へ言葉を向けようとする。


「別にそれは良いんだけど……いや、そうじゃなくて。キミはあの夢に出てきた?」

 我ながらもう少しまともな言葉はなかったのかと思うものの、既に許容量を超えかけている少年にとってはそれが精いっぱいだった。

「うん。キミが危うく死にかけていたから干渉させてもらった」

 何でもないというように少女は答える。その表情は穏やかな微笑みから崩れることはなく。

「死にかけてたって……あれは夢じゃないのか?」

 夢であってほしいという想いがそう言葉にする。

「キミがどの程度まで夢だと考えるか次第だ。まあ、私にとっては夢じゃないことだけは確かだけどね」

「…………」

 少女によって半ば否定されたことで、少年は二の句が継げずにいた。

 それを見てか、少女が言葉を継ぐ。

「そう難しく考えることはない。要は全てキミ次第というだけだ」


 少しの間を置いて、キミはどうして人が夢を見て多くのことを忘れるのかを知っているか、と少女は続ける。

「キミたちは、自分の安寧が保たれるように自らが意識するより早く情報を取捨選択している。そして切り取った情報に妥当性を与えるべく、時に真実を捻じ曲げる。言ってしまえば、ご都合主義だ」


 そして、夢はそんなキミたちが持つもう一つの世界だ、と。

「夢ではキミたちの経験や空想がストーリー性を持って語られる。そこにはキミたちが無意識的に切り捨てたものも浮かび上がることがある。乱暴な物言いにはなるけど、キミたちの無意識が経験している世界ということもできるだろう。だから、キミたち人間にとって夢というのは胡乱だが現実感のあるものが多い」


 だけど──、と少女は窓の外を見やる。

「そんな2つの世界の情報をすべて記憶出来たなら、どうなるだろう。……間違いなく、2つの世界が混濁する。自身の安寧という最大目標を達成することができなくなる。だから人は忘れる。深く考えることと忘れずにいることが不幸への入り口だとキミたちの本能は知っているわけだ」


 もっとも、その2つの行為自体がキミたちにとって多大な負荷でもあるから、と少女は少年に向き直る。

「キミたちの文明が発達することで生まれた、キミたちよりも優秀なコンピュータやAIという存在を見れば何となく想像がつくだろう?」

「……何となくは」

「キミたちにはそんな自由がある。だから、キミがこれから起こるすべてを前に、それを現実として経験するのか、あり得ない空想として処理するのか、すべてがキミ次第ということになる」

 胡乱で持って回った言い回しに話が見えなくなる。

 しかし、どうしてかその言葉には興味を惹く何かがあった。


「なら、次は何が起こるんですか?」

「……気持ちの良いものではないから、合図に合わせて耳を塞ぐと良い」

 そう告げると、少女の顔から微笑みが消える。

「3、2……」

 唐突なカウントに、少年は急いで耳を塞いだ。

 少女の表情といい、何か、嫌な予感がしたのだ。

 そして、少女の唇がゼロと動いた時──。

 ──窓の外、何かが、空から落ちてきた。


 時刻は18時ちょうどを指していた。

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