第2話 「僕のともだちは、どこへ行った?」


 バイユーは毎日、博物館にきた。来るとガラスに引っ付き、振動とともにおしゃべりをする。

 本当はガラスに触っちゃいけないんだけど、バイユーがいるときは警備員がいない。


「だって、うちのパパが警備員なんだもん」


 バイユーは笑って言う。


「あたし『ここ』が弱いの。だから学校に行かないの。そのかわりに、パパが博物館へ連れてきてくれるのよ」


『ここ』という時、バイユーは身体の一部を押さえた。相変わらずガラスがまぶしすぎて、場所がはっきりわからない。

 まあいい。バイユーにはほかの子供と違うところがあり、だから学校へ行かずに毎日ここへ来るということが分かれば、十分だ。


  バイユーはいろんなことを話した。天気のこと。食べた物のこと。

 僕はバイユーによって、博物館の外の世界を知った。外には『学校』や『会社』があり、バイユーたちは毎日『食べ物』を口に入れるらしい。

 僕には、物を口に入れる理由が分らない……。

 バイユーが聞く。


「コールミは何も食べないの?」

「うーん……」


 僕は聞きかじりの言葉を使ってみた。


「僕は『充填物は交換済み』だから、いらないんだって」

「どういう意味?」

「しらない。館長たちがそう言っていたんだ」

「ふうん……」


 バイユーが退屈そうにそう言ったので、僕はあわてて興味を引きそうなことを言った。


「ところで、みんな僕に似たオモチャを持っているね。きみにもあるの、バイユー?」

「あるわよ、これ」


 彼女はガラス越しに、小さな『僕』を振ってみせた。


「あたしのヌイグルミは特別製なの。なかに、薬が入っているのよ」

「くすり?」

「もし『ここ』が痛んだら、すぐ薬を飲むの。飲めば痛くなくなるから」


『飲めば痛くなくなる』


 大事なことだ、僕はしっかりとおぼえこんだ。

 バイユーは楽しそうにゆらゆらしながら、


「コールミも、外へ出られたらいいのにね」

「むりだよ。このガラスはすごい頑丈なんだ。絶対に割れないんだって」

「へえ?」


 ぺたんぺたん、とバイユーはガラスをたたいた。ゆるい振動だけが伝わる。


「ほんとうだわ、がっかりね。一緒に遊びたいのに」

「あそぶ……どうやって?」

「こんなふうに」


 バイユーは小さな『僕』を振りまわしたりひっぱったり、抱きしめたりした。

「コールミは『ヌイグルミ』でしょ。『ヌイグルミ』には、さわったり匂いをかいだり、ちょっぴりかじったりしてあげるのが大事なのよ」


 僕は自分の手を見る。

 ガラス越しじゃなくて、直接バイユーにさわれたらどんなにいいだろう。肩をぶつけあったり、体のどこかをかじりあったりできたら……・。

 そう考えただけで、ガラスケースの中が、またちょっと温かくなった気がした。


 次の日、バイユーが来る前に月一回の点検があった。ガラスケースの検査をした博物館の職員は、首をひねった。


「なぜ正面だけが、こんなに汚れているんだろう。明日はガラスの内側も掃除しなきゃな。このガラスは内側からの衝撃に弱いから、気をつけないと……」


 職員はガラスをあっさりと掃除してしまった。

 バイユーの跡がきえてしまった。

 僕は一気に身体が冷えた気がして、ぶるっと震えた。

 そして気がつく。


 ……あれ。

 僕、動けるんじゃないか??

 ゆっくりと右手を上げてみる……動いた!

 続いて左手も……右足……左足……。

 

 僕は座ったまま、椅子から飛びおりた。

 飛べた。

 次に歩いてみる。

 歩けた!


 ゆっくりとガラスに近づく。腰くらいの高さに、職員が消しても消しきれなかった跡がついていた。

 嬉しくなって、何度も指でなぞった。

 

 明日、バイユーが来たら歩いてみせて、驚かせよう。

 練習したらもっと歩けるようになって、一緒に外へ行けるかもしれない。

 バイユーと僕。ともだち。


 ワクワクしながらガラスケースの中で何度も飛び跳ねた。

 けれども。

 その日からバイユーは来なくなった。

 僕のガラスケースの前には、また大勢の子どもたちがやってくるようになったけど。

 バイユーの姿は見えなかった。

 僕のともだちは、どこへ行った?

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