彼とカレ

第1話

 クリストファー・ロビンは九歳でプーとお別れしたけれど、私は多分今日お別れする。小さいころのクリスマスにやってきたクマのぬいぐるみ。もうだいぶごわごわになってしまっている。彼に名前はないけれど、クリストファー・ロビンとプーよりずっと長い時間を一緒に過ごしてきた。幼稚園から大学卒業、就職してからもずっと一緒に寝ていたし、嬉しいときは抱きしめて、悲しいときも抱きしめてきた。だけど、お別れのときが来たのかもしれない。

 荷造りの最終チェックをする私を彼はベッドの上から見守ってくれている。ずいぶんと物が減った部屋にいる彼は少し悲しそうに見えた。

 ずっと実家暮らしだった私はもうすぐ家を出る。結婚をするからだ。新しく結婚相手であるカレとのふたりの生活が始まる。

 カレには彼のことは教えていない。もういい年なのにまだぬいぐるみと一緒に寝ていることやことあるごとに抱きしめていることを言うのが恥ずかしかったからだ。

 恥ずかしいと思うたびに彼を抱きしめて、ごめんねと謝ってきた。きっと許してくれていたと思う。

「ごめんね」

 私は彼を抱きしめて謝る。今回ばかりは許してくれないかもしれない。

 当然彼を捨てるつもりなんてない。実家に来ればいつでも会える。それでも今回は許してくれない気がする。

 コンコンとノックの音がして「入ってもいい」とドアの外からカレの声。

「うん」と返事をしてから私は彼を抱きしめていることを思い出して、慌てて彼をベッドの上に戻す。多分カレには見られずにすんだはず。そんなことを思ってしまってまた罪悪感が私を襲う。

「そろそろ時間だよ」

「うん。準備できてるよ」

 もう引越屋さんが来る時間だ。

「彼はいいの?」

 カレが彼を見ながら言ったその言葉に驚きすぎて、私はすぐに返事をすることが出来なかった。でも、カレの言葉が私は嬉しかった。だって、今まで彼のことをと読んでくれる人は他にいなかったから。

「あ、あのね!」

 だから、私は全部話した。ずっと一緒に寝ていたこと。嬉しいときも悲しいときもそばにいてくれていたこと。

「なんで一緒に行かないの?」

 私の話を全部黙って聞いてくれたあと、カレは不思議そうな顔でそう言った。



 カレが運転する車の助手席に私はカレを膝の上に乗せて座っている。新居にはもうすぐ着く。

「ぼくたちに子供が生まれたらさ」

 少しだけ緊張。もし『子供に彼をあげよう』なんて言われたらどうしよう。

「その子にも彼みたいな友達を紹介してあげたいね」

「うん」

 私は彼と目を合わせる。つぶらな瞳がどこか嬉しそうだ。だから私は彼のごわごわの身体をぎゅっと抱きしめた。

 

 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼とカレ @imo012

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ