第8話



 ボフッと落とされたのは、魔王城のベッド。

 なんだろう。この匂い、落ち着く。バディウスの…。


 顔の近くのシーツを手繰り寄せて、ハッとする。


 今、私何を!?


 慌てて起きあがろうとするが、バディウスにのしかかられてしまった。より香りが濃くなる。

 首筋に彼の髪が触れて、くすぐったい。



「私は君に触れるのを2日も我慢した。…今日は抱いてもいいだろう?」


 だ!?抱くって、えっと。


「だ、抱き枕がわり?…それくらいなら」


「抱き枕か。そう思っているならそれで良い。許可してくれるなら」


 違うの?何でスカートの中に手を入れてくるの!?抱くって、まさか。



 待って、どうすれば止められる!?えっと、そう、私、今日1日うろうろしてて、汗が。


「お風呂!お風呂に入りたい!!汚いから、まだ、バディウスに触られたくない…」


 彼の動きが止まった。ほっとして目を開くと、顔が近づいてきて、視線が混じる。



「では、一緒に入ろう」


「!?」



 どれだけ嫌だと騒ぎ暴れても、簡単に俵担ぎにされ、脱衣所へと連れ込まれた。夜だというのに、明るいその部屋。


 脱ぐの!?ここで!?

 ワンピースを捲り上げようとしないで!!



「シェリー、魔法で操られたくはないだろう?良い子だから、脱ぐんだ」


「…っいや!私、お風呂はゆっくり入りたい」


 宥めるように頬へキスされても、いやなものはいや。恥ずかしい…っ。



「ゆっくり入ればいい。私はここで君を暴いたりしない。一緒に入るだけだ」


「ほ、ほんと?」


 瞳だけで彼を見上げる。とろりと甘い赤い瞳は、嘘を言っているようには見えない。

 でも、相手は魔王なのよ?私なんて、簡単に騙すことができるはず。


「絶対にだ。君に誓う」


 うぅ…。


「わかっ、た。でも、見ないで…恥ずかしいから」


「では先に入っていよう」


 バディウスの全裸を見る勇気もなく背中を向けていたら、衣擦れの音の後、扉の開閉音がして、ようやっと安堵する。



 今なら、逃げれる?


 音を立てないように、そっと廊下への扉へ触れる。ドアノブを回して、押しても引いても、開かなかった。


 魔法、かかってる。私が逃げるって、わかってた?やっぱり、信用されてない。

 当たり前じゃない!逃げまくってるんだから。何でちょっと傷ついてるのよっ。



 勢いよくワンピースを脱ぎ捨て、下着に手をかける。


 初めての時は暗かったから…でも今は、バディウスに全部見られちゃう。

 想像より貧相とか、私の見えないところに痣とか傷とかあったら…。あぁ、やっぱり逃げ出したい。



 ぎゅっと目を瞑って下着を脱いでいく。


 タオルで、隠せば大丈夫。


 大きなタオルを握りしめ、恐る恐る扉を開いた。



「きゃ、ぁっ」


 腕を引かれ、浴槽へ引き摺り込まれた。目の前に、胸板。



「扉にかけた魔法が発動したな。逃げようとしただろう。悪い子だ」


 バレてる…っ。


 頬を掴まれ、顔を合わせられる。後ろめたくて直視できない。それに、怒られてしまいそうで。


「あ、ごめ、なさ…」


「恥ずかしかったのだろう。怖がらなくていい。シェリーの本当に嫌なことはしない」


 伏せられた目尻に触れる唇の感触は、優しく柔らかい。思わず縋るようにバディウスの腕へ触れてしまっていた。




 一気に力が抜けて、バディウスに全身を泡だらけにされているのに、ポカポカと気持ちよくて身を任せている。

 眠たい。


 ふわふわの大きなタオルで包まれ、魔法で乾かされる。そのままお姫様抱っこで運ばれた。


「転移魔法、使わないの?」


 ぽやぽやする。穏やかな揺れが、私の思考をさらにぼやかしていく。


「シェリーに長く触れていたいからな」


 触れ合うところも、合う視線も、どこか安心感があるのに、ドキドキして。この矛盾はなんなんだろう。


「私、操られてる?」


「ん?私は君に魔法は使ってないぞ」


「で、でも…ほっとするのに、ドキドキする」


 ベッドにゆっくりと寝かせられる。ふかふか、気持ちいい。


 バディウスに前髪を払われ、顔中にキスされると、くすくすと笑う吐息が肌を滑ってゾワゾワする。


「そのまま、自分の感情に身を委ねればいい」


 そう、なのかな。このままバディウスを好きになって、お嫁さんにしてもらって、ずっとそばに…。でも、捨てられたら?いらないって、飽きたって言われたら、私。


「や、いやなの。こわい…、んっ」


 唇をバディウスのそれが塞いでくれる。頬へ滑り、目尻から落ちる涙を舐め取られた。



「シェリーが怖いものは全て私が消し去ってしまおう」


 全身を掌が撫でていき、ゆっくりと暴かれていく。じわじわとした熱が、ほわほわとあったかい。




「まだ怖いか?」


「…っふ、わかんない…っあ」


 押し入ってくる熱が、私の心さえもぐずぐずに溶かしていく。どこまでも、甘えていいのだと言い聞かされているようで。



「ゆっくりと受け入れればいい」


 …っ、もっと、くっつきたい。

 腕を伸ばすと、バディウスが首へ絡ませてくれる。ぴったりとくっついた肌から体温が混ざって、ひとつになっていく感覚。


 髪をすいてくれる指が、気持ちいい。何だろう、この感じ。胸の奥から、湧き上がってくるこれは、何?




「街を探索するのは楽しかったか?」


「うん。全部、初めてで…。綿あめの試食、美味しかった」


「ああ、お金を持っていなかったな。次は私と一緒に買い物に行こう」


 私、ここから出ていいの?


「…おかいもの?」


「シェリーの新しい服も、アクセサリーも、食べたい物でも、なんでもいい。欲しいものはあるか?ひとりになりたい時があるなら、自由に出入りしたっていい」


 バディウスの言葉にパチパチと瞬きする。


 王城では外に出ることは許されてなくて、自分で何かを選ばせてもらったことなんてなくて。その中でも黒のワンピースだけは、なんとなく気に入ってたからずっと着てた。



「おおきい綿あめ、食べたい。店主さんに買うってやくそく、したの。…あ、あとね、クロにリボンをプレゼントしたいの」


「ふっ。自分のものはいいのか?」


「じ、自分の欲しい物…よくわからない、から…。んっ」


 繋がってるの、忘れてた…。


「欲しい物が見つかるまで、見て回ればいい」


 そんなの、見つからないかもしれない。時間がかかるかも、しれないのに。


「……っ…、めんどうじゃ、ない…?」


「何が面倒なのか、意味がわからないな。ああ、そんなに不安そうに見つめないでくれ」


 不安そう?私が…?

 はてなを浮かべて彼を見つめる。


 

 くそっと小さく呟いたバディウスは指を絡めるように私の手をベッドへ縫い付けた。


「今日は、優しくしようと、…思ってたんだが。シェリー、君が煽るのが悪い」


 あおる?私、何もしてない。なにも、わからない。


「無自覚、か。ふふっ。本当に可愛いな、シェリー」


 逃がさない、離さない。触れたところから、そう刻み込まれているようで…。こわく、ない。



「あ…、はなれ、ちゃ、や。きす、して」


 体勢を整えるためだとわかっていても、わずかに離れるのが寂しくて。


「あー、もう。かわいいな」


 ちゃんと、くっついて、口づけをくれる。

 この人は、甘やかしてくれる。離さないでいてくれる。



「ばでぃ、すき」


「…っ、私も、愛してる」


「すてない?」


「捨てるわけないだろ。君が嫌だと言っても離さない」


 ぽろぽろと涙が止まらない。それを全て拭ってくれる手に、擦り寄る。



「やはり君の涙は綺麗だな」




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