第8話

 事務所の黒電話が鳴り、三度目のベルで、事務員の山口京子が受話器を取った。

「はい、スメラギ探偵事務所。あら、切れちゃった」

 電話が鳴ってもすぐにとらない、相手に話す心の準備をする時間を与えろと教えられた京子は、3度目のベルで電話を取る。だが、幽鬼の京子が話しかけても、相手には何も聞こえないので、かけてきた相手は不審に思って電話を切ってしまう。自分が死んでいる意識のない京子は、首をかしげながら、書類の整理の仕事に戻った。

 京子は、20年前に起きた会計事務所強盗殺人事件で殺害された女子事務員の3人のうちのひとりだった。2人まではスメラギが呼んだ死神に連れられてあの世へ旅立ったが、京子だけが自分が死んだとは知らずに今も事務所に居続けている。京子は、2人の幽鬼が成仏した後に、スメラギの前に姿を現したのだった。

 ふたたび、電話が鳴った。今度は最初のベルが鳴り終わらないうちに、スメラギが受話器をつかんだ。事務作法がなってないといわんばかりに、机のむこうから京子がスメラギを睨みつけた。

「スメラギたんて…」

「あー、拓也くん。嵐だけど。キミんとこの電話、調子悪いね。さっきかけたんだけど、声が聞こえなくてね。そろそろ、その黒電話、取り替えたほうがいいんじゃないかな」

 電話をかけてきた相手は、コトブキ不動産の嵐寿三郎だった。以前は、自分の名前の一字をとった寿不動産という名で商売をしていたが、漢字だと読めない人がいるからと、2、3年前にカタカナのコトブキ不動産と名をあらためた。「カップルにしろ、新婚さんにしろ、“ことぶき”という響きはウケがいいんだよ」と、嵐はほくそ笑む。

 50少し手前で、本人は七福神の布袋を気取っている小太りな親父だ。嵐との付き合いは、寿不動産と漢字を使っていた頃からになる。スメラギが20歳になったと同時に、スメラギの父親は、それまで住んでいた家を売り払い、放浪の旅に出てしまった。その際、世話になったのが嵐寿三郎と寿不動産だった。その後、美月の家に居候しながら部屋を探していたスメラギに今のアパートを紹介したのも、事務所を世話してくれたのも、嵐だった。

 バリトンのよく通る声で、嵐はえんえんと最新の電話機の素晴らしさを語っている。まるで家電売り場のせールスマンと話しているかのようだ。だが、時代遅れといわれようと何と言われようと、スメラギは愛着ある黒電話を変えるつもりはない。ダイヤルをまわしている間に次にまわす番号を忘れてしまったとしても、あのジジっとした音がスメラギはたまらなく好きなのだ。それに、事務所の備品を変えると京子が混乱する。自分が死んでいるとは知らない京子のために、事務所は彼女が死んだときそのままの姿で留めておきたかった。

「急ぎの用があるなら、ケータイへかけてくれたらすぐつかまりますよ」

「拓也くん、ケータイ出ないじゃないか」

 着信で相手をみて出ないことがバレそうになった。

「で、今度はどんな物件かかえているんですか?」

 風向きがあやしくなりそうだったのと、はやく話を切り上げてしまいたかったのとで、スメラギは話題を変えた。嵐がスメラギに電話をかけてくる理由はひとつ、スメラギに頼みたい事があるのだ。

「今度のはちょっと、私もはじめて扱う物件でね。いや、実際困ってるのよ」

 嵐の話をまとめるとこうだ。

 一週間前、ある男がコトブキ不動産にやってきた。60近いぐらいの年の男で、持っている家を売りたいという。それならと、手続きや手数料について説明していくうちに、嵐はおかしなことに気付いた。普通、家を売りたいというからには、よい値で売ってほしいとおもうものだが、その客は、「不動産で儲けようとはおもってませんから」と、値段については嵐の考えにまかせると言い、とにかく売ってくれたらいいという話に落ち着いた。

 男が残した連絡先はビジネスホテルのものだった。今は北海道に住んでいるといい、持ち家の処分のための事務処理のため、しばらくホテル住まいをしているのだと、男は言った。

「いやね、いいんだよ、北海道だろうと、どこに住んでいようと、何か事情があって持っている家に住んでいないんだろうからね。転勤とか、いろいろあるでしょ」

 だが、それとなく聞いていくと、家族はいない独り身で北海道に住んでいるらしい。仕事はコンビニ店の店長だという。

「家の場所は、いい場所だし。何も北海道で賃貸暮らししなくても、持ち家で住んでいたほうがいいんじゃないかとおもってね…」

 ひっかかるものを感じながら、嵐は売却の話を引き受け、2、3日前に家を見にいった。最寄の私鉄駅まで歩いて10分程度、商店街も近く、小学校までは15分ほどと、生活には便利な場所で、敷地も広いほうだ。売主の男の話によれば、しばらく人に貸していたが、思い切って売ることにしたという。

 だが、その話はウソだと嵐は見抜いた。男は、住人にはすでに引っ越してもらったというが、家はずいぶんと人が住んでいない荒れようだった。これは何かあるとおもった嵐は、近所に聞いてまわった。

「そしたらね、その家、10年ぐらい前から、売りに出されているんだけど、まったく売れないでいるんだっていうの」

 さらに話しこむと、近所の主婦は眉をひそめ、周りに誰もいないのに急に声が小さくなった。

「事件があったんだって」

 スメラギが予想していたとおりの展開になった。

 嵐が世話してくれたアパートの家賃は格安だった。部屋に入って、自殺した学生がいた(いる)と知った。自殺の理由は何だったが忘れたが、とにかく話を聞いて、死神にあの世に連れていってもらった。

 いまの事務所にも、山口京子がいた。強盗事件のあった事務所で、立地条件はいいのになかなか借り手がつかない、ついても長続きしない場所だった。

 嵐は、スメラギに霊がみえると知っている。スメラギの父親と付き合いがあり、父親は、自殺や事件のあった物件を霊視し、霊がいれば徐霊を、いなければいないと嵐に伝え、嵐は霊のいなくなった物件を顧客に紹介する。その際、「みえる人にみてもらって、すっかりお祓いも済ませてしまいましたから」と言う。たいていは、それで話がまとまる。まとまらなかったのが、スメラギが使っている事務所だった。「拓也くんなら別に問題ないでしょ」と言われ、確かに問題ないので、安い賃貸料で借りている。

 スメラギの霊視能力を借りたいというのが嵐の依頼だった。

 北海道の男が売りたいといった家では、15年前に殺人事件があったと嵐は言った。

「一家全員殺されたんだって。ひどいねえ。犯人はまだ捕まっていないっていうから、成仏してないよ、あそこの人たち。ねえ、拓也くん、ちょっとさあ、みてきてくれないかなあ」

「いいですよ、場所はどこです?」

 住所は、富士見台の住宅街、スメラギの自宅があった場所からそう遠くない。近所で殺人事件があったなんてなあとおもいつつ、スメラギはケータイを取り出し、美月を呼び出した。

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