第6話

 富士見台一家殺人事件と呼ばれる一家惨殺事件が発生したのは、19xx年の暮れごろだ。正確な事件発生日と時間はわかっていない。近隣に住む兄の坂井圭介が正月の挨拶に一家を訪れ、一家の惨殺体を発見、事件が発覚した。発見当時、遺体は腐乱しており、兄と近所の証言から、一家が凶行にあったのは、家族そろってハワイ旅行に出かける前日、12月25日の夜から未明にかけてだっただろうと推測される。

 前日の夕方には、妻の由紀子が留守を頼むという話を近所にしており、夜には兄の圭介が一家に明日からの旅行を楽しんでくるようにという電話をかけている。この時点で一家に変わったところはなかった。

 事件現場の玄関先にはスーツケースが並べられていたから、旅行の準備をして就寝したところを襲われたのだろう。遺体が身につけていた血みどろの衣服はパジャマだった。

 近所に、旅行に行くのでと言ったのは留守を頼むという意味合いもあったのだろうが、それがかえってあだとなった。しめきった雨戸は用心のため、見当たらない車は空港までの足だっただろうと、怪しまれなかった。雨戸で隠されていた割れた窓から死臭が漂ったはずだが、年末年始の溜まった近所の生ゴミだろうと見過ごされてしまった。期さずして、事件の発覚は遅れてしまった。

 明けて1月7日、その日は一家が旅行から帰ってくつろいでいるはずの日だった。年末から年始にかけて旅行へいっていた弟一家と、同居する母親への遅い正月の挨拶に訪れた兄がみたものは、変わり果てた姿の一家だった。

 玄関の呼び鈴をいくら鳴らしても人が出てくる気配はない。数日前には帰国しているはずだというのに、郵便受けには新聞がたまっている。車がなく、買い物で留守にしているかとも思ったが、母親ぐらいいてもいいはずではないか。

 不審に思った兄が庭先へまわると、雨戸がほんの少し開いている。指をいれて引き開けると、割れた窓ガラスが目に入った。嫌な予感に、窓から居間へあがった兄が最初に目にしたのは、台所で倒れていた弟の無残な姿だった。

 一家の主、坂井信行は台所で殺された後、頭部を切断されていた。同居していた母親は同じく1階の和室の布団のなかで左腕を切断されてみつかった。妻の由紀子と長男の徹は、2階のそれぞれの寝室で、由紀子は右腕を、徹は両足を切断された状態で発見された。

 司法解剖によれば、殺害されたのはクリスマス前後、すでに腐敗がすすんでいたため、正確な日時は割り出せなかった。死因は絞殺または窒息死、おびただしい血が残されていたが、これは遺体切断によるもので、死後直後に行われたものとみられている。

 捜査は、物取りと怨恨の両方から進められた。

 家は荒らされ、現金(旅行用のものと思われる)と貴金属がなくなっていた。盗みに入ったところを主人にみつかって凶行に及んだか、それとも恨みがあって一家を殺害、強盗にみせかけるためにめぼしいものを盗んでいったのか。

 強盗説を怪しむ声は、捜査の早い段階であがっていた。強盗が入ったと思わせるには不審な点があった。ひとつは侵入経路だが、玄関の戸は施錠されており、鍵も、兄の合鍵を含め、全部の存在が確認されている。とすれば、割れた窓ガラスがあやしいのだが、この窓ガラスの割れ方がくせものだった。窓は、内から外にむかって割られていたのである。庭先に散らばる窓ガラスの破片を踏みそうになって叱られた鴻巣はよく覚えている。侵入しようとして外から割られたのなら、ガラスの破片は居間のフローリングの床の上に散っていなければならないのではないか。

 部屋の荒らし方も、舞台装置がかっていた。盗む側には、効率的な荒らし方というものがある。やたらめったら部屋を荒らしていたのでは、時間ばかりかかってしまうし、いざ逃げようというときには足の踏み場もないということになりかねない。彼らは、めぼしい場所を集中的にねらう。だが、現場にはその痕跡がなかった。箪笥などはあけられていたが、引き出しの戸が出ているものと出ていないものがある。盗みに入ったのなら、すべての引き出しを確認するのではないのか。

 そして何より、遺体の状況が強盗の可能性を否定していた。盗みに入ったところをみつかり、殺した。そこまではありえるとして、人目につき、後で処理に困る遺体の一部を持ち帰ったりするものだろうか。

 捜査は、次第に怨恨説へと傾いていき、高砂警部筆頭に、被害者の交友関係が調べられた。

 被害者、坂井信行は、近所で小さなスーパーを経営していた。経営はうまくいっておらず、多額の借金を抱えていた。銀行のみならず、消費者金融、いわゆる街金からも融資を受けており、近所の証言によれば、うさんくさい人間が一家の周りを徘徊していたこともあったという。借金返済が滞ったあげく、みせしめとして殺されたのではという説も浮かんできたが、確証をつかむまでには至らず、捜査は行き詰ってしまった。

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