第4話
5年前、20歳になったばかりのスメラギは住む家を探していた。成人したとたん、親の役目は果たしたからと父親に家を追い出され、当の父親もまた家を売り払い、放浪の旅に出てしまった。しばらくの間、幼なじみの美月龍之介の家にやっかいになりながら、皇(すめらぎ)の家を売るときに世話になった不動産屋を介して、おんぼろアパートの六畳間を借りた。金のない学生が多く住んでいるアパートで、スメラギの部屋では以前に学生の自殺者が出た。もっぱら「出る」という話で借り手がつかなかったのを、スメラギがただ同然の家賃で借り受けた。
父親と付き合いのある不動産屋は、スメラギの霊視能力を承知していた。この不動産屋が、霊がいるかどうかを見て欲しいとスメラギに頼みこんできた。
物件は雑居ビルの4階、現在スメラギが事務所として使っているその場所だ。
かつて小さな会計事務所が入っていたその場所で、15年前、強盗殺人事件が起きた。留守番をしていた3人の女性事務員が全員殺され、金庫の現金が盗まれた。事件が解決されないまま時が過ぎ、会計事務所は立ち退いたが、その後に借り手がつかなかった。事件は大きく取り扱われたため、殺人事件があったビルだと知らないものはいなく、殺された被害者たちの幽霊が出るという、まことしやかな噂があった。その噂は、家賃の安さに惹かれたテナントが3か月ももたずに出て行くという事が引き続いて起こって裏づけされた格好になった。誰もいない事務所で、キーを叩く音がする、無言電話がかかってくる、机の上のものの配置が変わるなど、不可解な出来事が続き、とうとう借り手がいなくなってしまった。
強盗殺人事件の被害者たちの幽霊が出るというその場所に行き、はたして幽霊がいるのかどうか見てくれないか ― それが不動産屋の頼みだった。
スメラギが見たのは、2人の女性たちだった。ともに20代前半ほど、強盗事件の被害者たちと年代が一致する。自分たちが殺されたと信じられず、死神が魂の回収にやってきたとき、とっさに身を隠し、あの世へ行き損なってしまった。スメラギは、2人にあの世に旅立ってもらおうと、死神を呼び出した。
だが、2人は死神に連れられてあの世へ行くことを承知したものの、犯人が捕まるまではこの世にとどまり続けるといってきかない。では犯人を知っているのかと聞けば、2人とも知らないという。
「知らないというのは、まったく見知らぬ人か」と聞くと、「顔は知っている」と人が口をそろえて言った。
「じゃあ、知り合いか」と聞くと、「知り合いではない」という。顔は知っているが、名前は知らない。会計事務所の顧客でもないという。それで「顔を知っている」とはどういうことなのか。
「ビルの外壁の塗り替えをしていた人だ」 ― と誰かが言った。外壁の塗り替えが終わった一週間前までビルに出入りしていた男で、顔は見知っているが、名前は知らない。それでも手がかりには違いないだろうと、スメラギは警察へ匿名で情報を入れた。だが、警察はすぐには動かなかった。というのは表向きにはそう見えただけで、実際には高砂刑事をはじめとした当時の担当刑事たちがスメラギの情報に色めきたった。事件当初から、その男には疑いがかけられていたが、これといった証拠がなかった。
高砂は事件現場となった雑居ビルの4階を訪れた。事件当時、壮年だった高砂の頭はさびしくなり、階段をあがる足の節々が痛んだ。
事件現場を訪れた高砂は驚いた。事件から15年近くが経っているというのに、現場は当時そのままに保存されていた(実は事情があってスメラギがそうしたのだが、この時の高砂はその事情を知らない)。
応対に出たのは、白髪の若い男だった。高砂と男は、簡単な世間話をした。男は事件を知っていて、自然と会話は事件のことになっていった。そのうち、高砂は奇妙なことに気付いた。男の年齢はどうみても20歳前後、事件当時は5歳ぐらいだろう。新聞などで事件を知ったにしても、やたらと詳しい。きわめつけは、男の放った一言だった。男は「ひどいもんだよね、ドライバーで刺し殺すなんて」と言ったのだ。
凶器は特定されていたが、公表はされていない。犯人でしか知りえない情報を、なぜこの白髪の男が知っているのか。
高砂が問い詰め、スメラギはとうとうすべてを告白した。
「信じないだろうね―」
捨て鉢にスメラギはそう言ったが、高砂は信じた。年をとって、奇妙な現象のひとつやふたつ経験していたからか、あるいは超常的なものを信じたいという気持ちがあったからか。長い警官勤務を経、解決に至らない事件に出くわすたびに、被害者=死者にむかって知っていることがあったら話してくれよと祈ってきたからかもしれない。
「なあ、頼むよ、スメラギ」
一家惨殺事件の被害者の霊と話をして犯人を捜しだしてくれと頼む高砂が深々と頭を下げ、禿げ上がった頭頂部を眼の前にしながらも、スメラギは首を縦にふろうとはしない。
「じいさん、何だって、その事件にこだわるんだ」
もしや引き受けてくれるのかと、高砂は期待に顔をあげたが、スメラギの渋い表情に、期待は泡と消えてしまった。
「葬式で、みちまったからなあ……」
高砂の目には、今もそのときの光景が目に焼きついている。出棺のとき、ひときわ周囲の涙をさそったのは、小さな棺おけだった。わずか9歳で凶行の犠牲となった一家の長男、坂井 徹の遺体が納められた棺おけだ。その遺体には両足がない。
軽々と運ばれていく小さな棺おけの小さな遺体は、軽々しく扱われた命そのものだった。必ず犯人をあげてみせる ― 目頭をあつくさせながら、高砂は固く心に誓った。
「じいさん。じいさんの悔しい気持ちはわからないでもないけどさ。事件のことはあのおっさん刑事にまかせときなよ」
「……」
「ああっと、いっとくけど、自分が死んだからって、被害者の霊とコンタクトしようなんて思うなよ。大概は生まれ変わっちまってるし、そうなると昔のことは覚えてねえしな」
「そうなのか……」
「言ったろ。死人には死人の世界とルールがある。あんたは死んだばっかりで何も知らねえだろうけどな。余計なこと考えてねぇで、おとなしくあの世へいっときな」
高砂の魂をあの世へ連れていってもらおうと、スメラギは死神を呼び出すべくケータイに手を伸ばした。
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