第1話
雑居ビルの林立するなか、目指すスメラギ事務所は頭ひとつ打ち込まれて立っていた。師走の声も聞こえてこようかというこの時節、4階建てのビルの4階の窓は開け放たれ、「スメラギ探偵事務所」と読めるはずの案内が、「ス」に「メ」が、「ラ」に「ギ」が重なって、何ともおかしなことになっている。
鴻巣一郎は、薄っぺらなコートのポケットから一枚の名刺を取り出し、そこに書かれてある住所と名前を確かめた。
スメラギ探偵事務所
xx区xxビル4F
全開の窓を見上げ、鴻巣はコートの襟をきつく閉めると、雑居ビルの階段をあがっていった。
「スメラギ探偵事務所」と表札のかかったドアに手をかけようとすると、すりガラスのはめ込まれた木製のドアはきしんだ音をたててひとりでに開いた。みかけは古いビルだが、自動ドアとは、最新の設備を整えているらしい。
内開きに開いたドアをすりぬけると、つんと石油ストーブのにおいが鼻をついた。毛布を肩からすっぽりかけた白髪の老人が、背を丸めて、石油ストーブに両手をかざして暖をとっていた。
<span style="color:#FFFFFF">(よお)</span>
「スメラギさんか?」
振り返ったのは若い男だった。マフラーを二重三重に巻いてもまだ寒いらしく、紫色の唇を震わせていた。年頃は24、5ぐらいだろうか、短い髪を銀色に染めてハリネズミのように毛先をたてている。わざわざ染めなくても、年をとればいずれは白髪になるのになあと、鴻巣は、このごろ白髪のちらつきはじめた頭をくるりとなでた。
「俺に頼み事があるってか」
<span style="color:#FFFFFF">(まあな)</span>
「ああ」
鴻巣が警察手帳を取り出して身分を明かそうとする前に
「あんたも刑事か?」
相手が鴻巣の正体を先に見抜いた。15年も刑事をやっていれば、警察手帳を首からさげているも同然か。1年しか続かなかった結婚生活で、妻は別れ際に「暗い目をしている」と言い、鴻巣のもとを去った。見合いで知り合い、人の裏の顔ばかりみてきた鴻巣とは正反対に物事の表だけを見る素直な明るさが気に入って結婚した。なごやかな家庭を望んだが、暗闇ばかりみてきた目には彼女の明るさはまぶしかった。人を疑うことを知らずに生きてきた彼女にとっても、鴻巣がそうと気付かずに家庭に持ち込む暗闇が恐ろしかったのだろう。
「暗い目をしている」 ― 言われるまで自分では気付いていなかった。鴻巣の周りは誰もが「暗い目」をしていた。人が隠そうとするものをみようとする目。強面だろうと、女好きする顔をしていようと、顔つきにかかわらず、数年も刑事をやっていれば、みな一様に、人の裏側を見透かそうとする目つきになる。刑事の目だ。
40すぎれば自分の顔だという。若いころは端正と言われたこともあったが、顔でもてたためしがない。端正とは、目鼻一そろい揃っているという意味合いだったか。40となった今では、目には見えないものをみようとする「暗い目」をした刑事の顔をしているのだろう。
鴻巣の眼の前にいる白髪頭の若い男もまた、人の目にはうつらないものを見透かそうとする「暗い目」をしていた。同じ目をしている ― そのときはそう思った。だが、男の三白眼は、鴻巣が見ているものとは全く違うものをみるのだと知ったのは、後になってからだった。
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