第三章
部活の前に消滅しそうな模様
1
「――――ッッ!!?」
目が覚めているかも定かでない覚醒との狭間で、ビクリという痙攣と共に起き上がる。同時に悲鳴を発したような気がするのだが、上手く発声できなかったみたいだ。
僕は恐怖の残滓が消えない頭のまま、自分の部屋を見渡す。時計に表示された時刻は深夜二時五〇分。普段は目覚めの良い方だと自覚しているので、目が覚めることもないし二度寝なども滅多にしないんだけど……。
――でも、今……のは?
僕は右手で顔を押さえる。何かが、どう考えてもおかしい気がするのだ。辻褄が決定的に合っていない。
放課後、サレナ、川内、星河からなる謎集団に唯一の先輩として参加して数日。昨日は確か、廊下でウォーキングデッドに追い回された挙句、謎の美少女後輩――雲竜かかおだっけ。その後、戻るなりサレナが雲竜かかおを誘うと言い出して。
それ、からは?
「う、く……」
思い出したくない。いや、思い出さない方が良い気がする。
世の中には知らない方がいい闇がたくさんある。冷凍食品に混入する添加物の有害性とか、シャンプーの成分は調べない方が身のため、など。戦争による金儲けの手法なんて、金輪際知りたくもない真実筆頭だ。
「……寝てから考える」
結論、先送り。世の男子高校生は、こんな時彼女とやらに通話したりできるのだろうか。そう思うと、ひどく腹立たしいと共に砂漠の中心に取り残されたような寂しさが到来し、僕は孤高の北風小僧のような心境で再び寝床に就いた。
2
「ねえ、あんた大丈夫?」
朝、登校した僕を待ち受けていたのは暴力のちツンデレ後輩、沢渡星河。はいはい廊下廊下と思いきや、あろうことか僕の席を勝手に占領している。
その声音はいつも通りの強気さを感じさせつつも、こいつらしくない憂慮が含まれているように見える。毎朝アラームにハードワークを強いる僕とは違い、星河は朝に滅法強いらしい。
「大丈夫とは? 生憎、昨日みたいなことが今日も続くなら不登校も辞さないぞ」
「流石に毎日はないんじゃないかしら。奴らだって、元はあたしらと同じ高校生なんだし」
そんなにキチっとしてないでしょ、という星河。今日のウレタンマスクはピンク色か。このタイプ、鼻と唇の形が薄っすらとわかるんだよね――
「……なに?」
「いや、何でも。マスクも色んなやつがあるんだなと思ってさ」
「三回も使えば捨てるけどね。いつになったら外せるのかしらこれ。鼻が痒くてかなわない」
「もう外してる奴いっぱいいるだろ。電車の中とかが心配なのはわかるけど」
「正論ね。でも悲しいことに女子だから。空気感とか色々あんの」
「ふーん」
頬杖をつく星河。未だに僕は立っている訳だが、こういう会話をしているとこいつも年頃の女子なんだなと実感する。何せ小さい頃、僕は星河を本当に男だと思っていたのだ。
それくらい腕っぷしが強く、運動神経も抜群。ぶっちゃけ名前の力などに頼らなくても、こいつの場合身体能力だけで問題を解決してしまうことも多い。川内との衝突はむしろ例外的なパターンかもしれない。サシでやろう、と親指クイがなかったもんな。
「そんな野蛮なことしないわよ」と星河。どの口がと言いたくなったが、
「話逸れまくったじゃない。とにかく、よ――今日は一日、あんたの教室にいるから」
「へ?」
何か変な文字の羅列があった気がする。キョウハイチニチアンタノキョウシツニイルカラだって。未知の言語はまだ地球上に存在していたようだな。しかもこんな身近に。
そう言ってみたところ、凄い勢いでデコピンされた。「アホ」とにべもなく言い、
「そうじゃなくてっ。その……何かヤバいことが起きそうな気がすんの。カンだけど。ただでさえあんたはヤバい状況なんだし、これ以上近付いて来る女とかマジでウザいしで、今日はあたしが見張っとくから文句言わず従え!」
割と大きな音と共に立ち上がり、指をびしっと差してくる星河。
仰け反る僕だったが、不可解なことにクラスメイト達の反応は皆無だった。
*
非常に危険なことに、窓を全開放したあげく桟に腰掛ける星河。風で舞い上がるカーテン、飛来するアゲハ蝶。その度にクラスメイトがキャッキャと騒ぎ、元凶たる後輩に教師がチョークを投げつける――
――ことには、ならなかった。
「おい、おかしいだろ。何で一日でここまで取り返しがつかなくなってるんだ……?」
我知らず喉が掠れる。授業中。休み時間。『僕』に対する認識は、完全無欠なまでに消滅してしまっていた。朝、誰も話しかけてこなかった時点である程度予感はあったものの、ここまであからさまだとは……。
机で頭を抱える僕に、フンと鼻を鳴らした星河は、
「あーあ。このあたしが最初から言ってたじゃないの。サレナには関わるなって。おまけにアイツより質の悪い『竜』にまで絡まれてやんの。自業自得よ」
それ見たことか、とばかりに責めてくる。不貞腐れた小学生のような面持ちで見上げるが、こいつに当たった所で現状がどうにもならないのはわかっていた。というか、
「何でお前まで無視されてるんだ?」
そう。僕だけでなく、何故か星河までクラスメイト全員からの完全ステルス機能を発動しているのだ。友人AやBなど、見ただけでイノシシの如く鼻を鳴らしそうなもんなのに。
その疑問に星河は、
「……うーん。たぶんあたし達が思ってるよりも、事態は深刻だから。じゃない?」
あんたも見たでしょ昨日の、と続ける。
フラッシュバック。
フラッシュバック。
思い出してはイケナイ。しかしピントは容赦なく合わせられ、同時に小さくも形のいい唇が動いた。
「ここは放火後の場所。放課後に現実は入れ替わり、『見えない女』が顔を出す。旧部室棟はアイツの根城にして、あらゆる名前——その遺志が最も残る場所みたい」
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