第二章

よ、ようやくまともそうな後輩が……!

「何でこっちに僕の靴が……?」


 旧部室棟、その一階。今はほぼ使われていないその玄関にある下駄箱に、どういうわけか転送されている自らの外靴。


 好都合と言えば好都合。不可解ではあるが、


「ま、アイツらが用意したんだろ」


 そう納得し、普通に履いて外に出ることにする。考えてもしょうがないことは考えない。最も重要な、スクールライフ及びその先の人生を送るための心得である。


 確かに、古びたこの校舎に現れた謎の亡霊じみた存在に追われてきたことを考えれば、ここで深い思考の海に沈みながら歩く方がミステリー感というか、波乱の展開っぽくなるかもしれない。


 しかし、申し訳ないがこちとら平凡かつ凡庸かつ標準的な男子高校生、キャパシティを超えるような『名前』だの何だのには金輪際関わらずに卒業していくと決めたのだ。緊迫に満ちた挑戦など期待してもらっては困るということで――



「なーんてこと考えてます? センパイ♡」



 情けないことにビクンと肩が跳ね上がってしまった。こんな展開前もあったような?


「うぉ!?」


 取り繕っても遅すぎるので普通に振り返ってみる。さっきの生き霊モドキが追いかけてきたのかと思ったが、違った。


「だ、誰だ」


 そこにいたのは、校則の限界まで攻めたような明るさの髪をハーフアップにまとめた女子生徒。先に言われた通り、やはり一年生のようだ。


 そいつは近付いて来ることもなく、比較的少数派であるノーマスクの顔を悪戯っぽい微笑へと染め、


「えー、まだ教えたくないでーす。もうちょっと謎のミステリアスキャラみ出してたいし? 人気のない旧部室棟で突然話しかけてきた美少女新入生! こんなんときめきしかないでしょ」


 そんな風にあざとく考え込むフリしてもイマイチときめきは感じない。正直言って、廊下で新入生に話しかけられるというイベントは、僕の中では災害の前兆であるということが固まりつつあるんだ。


「生憎、廊下でのフラグは期待しないでくれ。ここ数日で不吉の前兆しか感じないんだよ」

「そーやって『僕は動じないぜ』的な空気出してるの、フラグ建設の鉄板ですよねー。そういうのも狙ってやってたりして」


 ナチュラルメイクというのか、狙っているとしたら確実に彼女の方だ。世の男子はこういうのがいいんでしょ? 的なツボを心得ている謎の後輩は続けて、


「でも、自分の靴見て結構ビビッてました?」


 それは種明かしというか、自白で間違いなかった。毎日欠かさず目にするスニーカーをここに持ち込んだのは、どうやらこの子であるらしい。


「び、びびビビってなんかねぇよ。ってか、何でこんな真似を」


 決してブルってなどいない。そう意外だったのだ。むしろ上履きが汚れることにならなくてラッキーだったね。


「もちろん助けに来たんですよ?」と謎の後輩は近付いて来る。こんな短距離でもぶりっ子めいた走りと言うかステップというのか、これを生涯続けてきたとすればメンタル強者としか言いようがあるまい。


「センパイ、今ピンチなんですよね? だから入学式以来、こっそり見てたんです——」


 近くで見ると自分より数センチ低いくらいだろうか。ポッキーゲームでもできそうな距離まで接近した顔が、改めてこちらを覗き込む。


 余韻まで計算し尽くされたような香りが鼻腔を直撃してくるが、ここで下がったりドギマギしては負けだ。今しがた全力で逃げてきた男ではあるが、これ以上退く訳にはいかない!


「そ、そんな堂々とストーカー宣言されてもね。性別逆だったら許されないぜ」

「そうなんですかー? でも」


 男子の勘違い製造機っぷりを見せつけてきたであろう謎の後輩が、すっと離れる。

 急に背を向けた理由に、僕もまた気付いた。


「――センパイ、すっごい数のファンがいるみたいですよ?」


 その光景には、流石の僕も言葉を失った。


 いや、だってそうなるだろう。この学校は一体いつからホーンテッドマンションと化したんだ?


 目の前にいる、いや押し寄せている大勢の生徒――だった生き霊モドキ。全校集会でも始めるのかという程の数が廊下にひしめいている様は、本気でここが白昼夢の中であることを疑わなければならない程。


 はっとする。顔も、声も判然としないそいつらを相手にしていたサレナと星河は大丈夫なのだろうか? メッセージの一つでも送ってやりたいが、正直そこまで冷静沈着を保てる余裕がない。単なる部活は突如としてホラーアクションと化してしまった。


 そして、ロウカハザードともいうべき事態を目にした謎の後輩美少女はといえば、


「んー。――この程度の数も処理し切れないとは、少々、『見えない女』を買いかぶっていたのかも知れませんねー」


 それは独り言だったのかもしれない。声音からして僕に向けたものではないだろう。


 しかし悠長に構えてもいられない。旧制服を着た群れが、ぞろぞろとこちらに歩いて来る。堪らず「おい、危ないぞ!」と叫ぶ僕。


「とにかく出ないと。こいつら日光で消滅とかしないのか――」


 サレナと星河によれば、こいつらに触れるとかなりのバッドイベントが発生するらしい。思い出した僕は慌てて踵を返し、玄関方向に走り出そうとする。


 しかし、当の本人はまさに冷静沈着だった。



「【みんな、そろそろ還って】」



 唇から紡がれたのは、神聖な言霊という表現がふさわしいだろうか。


 まるで世界で唯一守らなければならない法であるとばかりに小さく響いた声。たったそれだけで、迫ってきていた生霊モドキ、その全員が霧散した。


「――!?」

「フフ」


 またしても驚きで固まる僕を見て、何事も起こらなかったように謎の後輩は歩み寄ってくる。


「ちょっと邪魔が入っちゃいましたけど。さ、続きしましょ、センパイ♡」


 まさに、怪人の出現に応じて都合よく覚醒したヒーローのような活躍。しかしその愛らしい笑顔の裏にあるものを読み取るには、僕は彼女のことを知らなさ過ぎて――


「今にも消えちゃいそうで困ってるんですよね? でも大丈夫、私といれば狙われないし、何ならこのまま持ち帰っちゃっても構いませんよ……? なーんて♡」













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