降り注ぐはある種の愛情

熊坂藤茉

やりようあるだろ今後に活かせ

 ふわふわ ふかふか ぎゅむぎゅむずっしり


 色とりどりの布製立体物に押し潰されながら、ぼんやりと逡巡する。一言言ってやるべきだろうという気持ちと、既に目の前で半泣きになられているのに全泣きにするのは人の心がないのではなかろうかという気持ちと、どうにも心がふたつある。



 さて、そもこれはどういう状況なのかだが、正直何て事はない。



 恋人が隠し持っていた大量のぬいぐるみの雪崩に巻き込まれ、謝り倒しながら掘り返す相手の声を最下層で聞いているというただそれだけだ。



 ……いや、冷静に考えると大分どうかしている状況だな?



 少し時間を遡る。先日恋人に結婚を申し込んだ自分は、引っ越しをどうしようかという相談を進めていた。幸か不幸かこちらは既に持ち家がある身の上であったし、あちらも仕事の内容的には引っ越してもさしたる問題のない状況だったのだ。


 だったのだが。


「や、ええと、荷造りするからとりま一年くらい待てる……?」


 喫茶店でランチメニューをぱくつきながら、そんな言葉が飛び出した。一体どこから突っ込めばいいのだお前は。


 ひとつ、了承した数秒後に一年待機を懇願するな。

 ふたつ、事情は言えないんだ的な仔犬の眼差しでこちらを見るな。

 みっつ、こちらは問題解決手段が存在するなら容赦なくその選択をすると言っている人間という事を忘れるな。


 とどのつまり。



「成程分かった」

「分かってくれる!?」

「荷造りを手伝えばいいんだな」

「えっ」


 ガタリと席から立ち上がれば、目の前には酷く蒼い顔の恋人が。解せぬ。助力を明言したんだが。


「いや、いやね? そんな君の手を煩わせようとかそういう意図は」

「無くとも煩わないとこちらは一年待つ事になるが?」

「そうだけどぉー!」


 手早く食事と会計を済ませ、勝手知ったる相手の家へと向かっていけば、後ろからひいひい根を上げながら必死に喰らい付く恋人が。……何故そんなに必死に……?


「き……きみ……あいかぎもないのにひとりでいってもどうにもなんな……」

「合鍵なら先日渡されてるが」

「はい!?」


 錯乱の気配が滲む相手に、ちゃり、と鍵を見せつける。間違いなく本物のそれに、あちらは表情を無くしていた。



「だれ、に」

「宅飲みで泥酔してそのまま勢いで乗っかって来て泣きと啼きを見たお前に」

「わーわーわーわー!!!!! えっ嘘でしょ確かにいつか渡すぞって作りはしたしこないだから何かないなと思ったけど室内で紛失したんじゃなかったの!?」

「そこで紛失したのかで納得するんじゃない」


 そんなやり取りを繰り広げながら、数メートルの距離を空けたままで進み続け、遂に目的地へと到着した。無慈悲に解錠して足を踏み入れてから気付く。


 ――そういえば、一度も家に上がった記憶が無いな?


「ま、待って! ホントに待って――!」


 ひとつの予感がする。具体的にはこの少し閉まりきっていない収納スペースの扉に何かがありそうだと。


「後でどう罵ってもいいから開けるぞ」

「待ってぇえええええええええええええええええ!!!!!!!!!!」



 収納スペースの扉を開け、出て来た――雪崩れ込んで来たのは、夥しいと評しても過言ではない量のぬいぐるみ。

 え、と思う瞬間すら押し流すその物量は、あっという間に自分を飲み込んでいった。




 ――というのが、少し前の出来事だ。

 冷静に振り返ってみたが、最後の部分がどう考えても突然すぎる。突然すぎるが、まあ理解は出来た。


 恋人は普段「ぬいぐるみ? 大人なんだしそんなに興味ないですよ」というスタンスを前面に出していたし、事実自分も「そうか、なら無理に贈るのも野暮だろう」と思っていた。

 が、それは実際の所は見栄であって、真実はぬいぐるみ大好きキャラだったとしたら?

 そして入った瞬間少し察したが、片付けが壊滅的に苦手だったとしたら?


 大事だからと汚さない為にひたすら収納スペースに押し込むという悲しい結末となり、限界ギリギリだったそれの扉を開けてしまったのがこの結果という訳だ。



「や、やっと出て来たあ……! ごめんね、ごめんねえ……!」

 わんわんと泣きじゃくるその姿が、こちらとぬいぐるみのどちらに謝っているのか分からな――いや、これは両方か。ぴいぴいと声を上げて謝り倒すその様子に、なんだか怒るのも馬鹿らしくなってしまった。


「……あー、ひとついいか?」

「いいよお! なんならどんな事でも言う事聞くよお……!」

「言いながら服を脱ごうとするな落ち着け今は違うそっちじゃない」

「違うの?」

「後でする」

「するんだ」

「するけどだからそうじゃなくてだな」


 きょとんと半脱ぎで首を傾げられ、どうしたものかと己の頭をがしがし掻き出す。……まあ、ストレートに言った方がいいだろう。



「片付けをしよう」

「はい……」

「分別は苦手だろうが、だからこそ捨てずに済む部分は残そう」

「ありがたい話です……」

「一年待たなくて問題ないな」

「お手数をお掛けします……」

「興味ないポーズを続けられて渡せなかった分を渡させろ」

「うん……あれ?」



 恋人が「なんか最後変じゃなかった?」とでも言いたげな顔でこちらを見遣る。


「気が変わる日が来た時の為にいくらか買ってあるんだよ。……寿司詰めにはしていないからな」


 途端、ぱあ、と明るい表情を見せるその姿に、思わず溜息を吐いた。……ああ、これだから愛おしくて仕方がない。


「とはいえ仕置きは必要だと思うんだ」

「おおう……我が名はまな板の上のおさかな、もしくはケージで震えるウッサ。どうぞ如何様にでも……」

「言ったな?」

「えっ」


 一体何をされるのかと怯え震える仔兎の如きその様に、思わずくつりと声が漏れた。


「今からベッドから見える範囲にこいつら置くからな。こっち向けて」

「う、うん。……うん? えっいや待って待ってちょっと待とう? 話し合いをしよう?」

「すると思うか?」

「駄目だハナから聞く気がねぇええええええええええええ!!!!!!!!!!」




 最終的に「いくらぬいぐるみ相手でも見られるのはいやです勘弁して下さい」の土下座と泣きが入ったので妥協はしたが……まあ、こちらとしても変な方向に目覚めずに済んだからよしとしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

降り注ぐはある種の愛情 熊坂藤茉 @tohma_k

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ