私の願い

うた

第1話 私の願い

 道端に転がっているクマのぬいぐるみ。


 砂や泥にまみれている。

 車に引かれたのだろうか、ひしゃげている部分も。

 ほつれて、布に穴が開いている。

 黒い目も、一つ、取れていた。



「かわいそうに」

 そう呟いて、浜立凛はまだてりんは、ぬいぐるみの側に腰を下ろし、右手でパンパンと砂を落とす。そして、拾い上げた。手の平に乗るくらいの小ささだ。

 道に落ちているぬいぐるみだ。もうゴミ同然だと、誰にも見向きもされない。いつもなら、自分も気が付いてもこうして拾い上げたりなどするはずがなかった。


「なんでだろ。無性に助けてあげたくなった」


 凛は高校の通学カバンに入っていたタオルに、このクマのぬいぐるみをくるみ、手に持って家へと急いだ。




 キレイに洗って、乾かした。少し、毛がバシバシになってしまったが、これは仕方ないだろう。中綿はぐしゃぐしゃに汚れていたので、全て入れ替えた。形を整え、ほつれを直す。そして、大事な目も同じような物があったので、付けてあげた。


「やっと両目が揃ったね」

 机の上にちょこんと座るクマ。凛は、黄色の布を首に巻いてあげた。スカーフのようで、一層可愛さが増す。縫い痕が目立つ所もあるが、拾った時に比べれば、本来の姿を取り戻している。

「うん! 良い感じ。裁縫が得意で良かったぁ」

 凛は、自分でカバンやポーチを作ったりするのが好きな女子高生だ。ミシンも上手い。手先が器用なおかげで、最近は編み物にも挑戦している。



「本当にありがとうございます!」


「……ん?」

 部屋には凛一人。なのに、今声が聞こえた。辺りを見回しても誰もいない。

「こっちです。こっちこっち!」

 声のする方を見た。正面だ。そして、クマのぬいぐるみと目が合った。

「え……。え?」

「はい♪ お名前を教えてもらっても良いですか?」

 よいしょ、と立ち上がるクマ。高く、可愛らしい声だ。だがよく、人間じゃない者の声に答えてはいけないと言うが、大丈夫か心配になった。

「あ、あなたは誰?」

「そうですね。まずはこちらから名乗らねば。私は、実は、名前はありません」

「は?」

 ふざけてる? という本音が混じり、低い声が出てしまった。

「名前は、持ち主の方に付けてもらいます。あなたの名前は?」

「は、浜立凛です」

「りん様ですね。では、私に名前を付けて下さい」

 言われるままに、凛は考え、ぽつりと呟いた。

「くーちゃん……とか?」

「くーちゃんですね。良い名前です。これで契約完了です」

「契約!? なんかやばいヤツなの!?」

 真っ青な顔になる凛に、くーちゃんと付けられたクマのぬいぐるみは、いいえと首を横に振った。

「やばいかどうかは分かりませんが。りん様は、これで一つ、願いを叶える事が出来ます」

「えっ、願いが叶うの? 何で!?」

「長く存在していると、魔法の力が宿るんですねぇ。誰かの心を動かしたり、死んだ者を生き返らせる事は出来ませんが、今日の夕食のおかずを好きなモノに変えたりとかは出来ますよ♪」

「おかずか」

 願いの規模が小さい。凛は苦笑してしまう。

「でもまぁ、それくらいの方が、気持ちも楽か」

 世界を変えてしまえるくらいの力は魅力的だが、自分は所詮人間。神にはなれない。

「前の持ち主にもういらないと捨てられて、あの様でしたが、りん様のおかげで元気を取り戻す事が出来ました。最後の持ち主が、あなたで良かった」

「最後の、持ち主?」

 はい、とくーちゃんは頷いた。

「最初は、もっと大きなぬいぐるみだったのですよ。願いを叶えると、魔力を放出して体が小さくなるのです。このサイズでは、次の願いが最後でしょう」

「消えるって事?」

「ええ」

 凛は、目の前のぬいぐるみをじっと見た。

「さぁ、願いをどうぞ」


「ねぇ、消えちゃって、それで良いの?」


 くーちゃんは、凛を見て、視線を落とした。

「……動いて喋って、気味が悪いと何度も言われました。窓から投げ捨てられた事もあります。それでも、私を受け入れてくれる方もいて、必要とされているみたいで、願いを叶える事が嬉しかった……」

 叶えるだけ叶えて、すぐに捨ててしまった者もいただろう。良いように使われただけ。幸せよりも辛い思い出の方が多かったのかもしれないと、凛は理解した。

「消えるのは、仕方ありませんよね」

「仕方なくなんか、ないよ!」

「!?」

 突然声を上げられて、くーちゃんはびくりとした。



「決めた。私の願いは、くーちゃん消えないで、私の友達になってよ」



「……え」

 くーちゃんの黒い瞳がきらりと明かりを反射する。

「私の友達になって。いろいろ話そう。いろんな所にも行こう。お母さん達は、びっくりするかもしれないけど、受け入れてくれたらいいなと思うし」

「私が存在する事を、許してくれるのですか?」

「許すも何も、かわいいぬいぐるみじゃない。悪魔の囁きとかしてきたら、その時は神社でお焚き上げしてもらうから」

「しませんしませんっ! かわいいクマちゃんでいます!!」

「じゃ、契約成立ね」

 にっと笑う凛。小さい手を握り、握手した。

「ああ……。こんな幸せな事があっていいのでしょうか……。私は……本当に幸せです」

「これからよろしくね、くーちゃん」

「はい!」



 小さくて、不思議なぬいぐるみ。叶えられる願いは些細だが、彼女の広く大きな心が小さな命を救ったのだ。

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私の願い うた @aozora-sakura

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