第2章 1話 買い物とギルド

真っ白な壁で覆われたドーム状の空間。その広さは魔王城の玉座の間よりも遥かに大きく、体を動かすには十分すぎるサイズだった。


 私はその巨大な空間を右手に生成クラフトで作った片手直剣を携え、拳や蹴り等の体術を交えた剣術を繰り出し、縦横無尽に駆け回っていた。他の人から見れば私は何もないところに攻撃しているように見えるかもしれないが私の脳内では過去の戦いの記憶が再生されており、その記憶の敵を相手に戦っているのだ。この空間に来てから既に何百回もこの戦闘を繰り広げている。


「ふう」


 地面に下り息を整える。人間、魔族、魔物。私がまだそこまで強くなかった時、死にかけた戦いばかりだった。それらも今となっては苦戦することなく戦う事が出来る。毎日欠かすことなく行なっているこの特訓がそれを可能にした。だが、次の敵はそうはいかない。


 記憶の再生が始まった瞬間、首を後ろに傾ける。紫色の魔力弾がスレスレで通り抜ける感触がした。すぐさま過去の記憶が私の目に敵を見させる。今まで戦ってきた敵とは比べ物にならない強さを誇るそれを前に、私の緊張が一気に高まる。


解放リリース・オン


 真っ白い空間を黒い光が染め上げる。私の全身から黒い魔力が噴き出し、ネックウォーマーが出現する。右手の剣に黒い魔力を纏わせる。私は今まで出会ってきた敵の中で最も強い人物、シャドウに向かって突撃する。記憶の中のシャドウはガブリエルを連射し牽制してくる。魔力弾を撃ち落としながら近付き、剣を振るうが躱される。上に跳んだシャドウを追い、私も上に跳ぶ。空中で激しい戦闘を繰り広げる。私の眼前にガブリエルが突き付けられる。回避が間に合わず発砲を許してしまう。魔力弾は私の眉間に命中する。ただのイメージのはずなのに、本当に撃たれたのではないかと思うほどの痛みが襲う。魔力弾で体を撃ち抜かれる時の痛みを記憶と体が覚えているのだ。私は地面に墜落し、そのまま大の字で動けなくなる。解放リリース・オンも解除される。


「やっぱり、勝てる確率は五分五分くらいか」


 シャドウの王都襲撃から1ヶ月ほどの時が経った。体の調子が万全になってから毎日欠かす事なくこの修練場で特訓をしている。シャドウとの戦闘シュミレーションを何度もしているが勝てるのは半分くらいだった。いや、嘘。半分より少ないかもしれない。あの時の戦闘は不確定な要素がいくつも重なった結果、どうにか勝利を掴めただけという事を嫌でも思い知らされた。


 息が整ってきたのでもう一度立ち上がろうとする。だが、部屋中にアラームの音が鳴り響き中断されてしまう。


「あれ、もうこんな時間?」


 このアラームの音は私が約束の時間に送れないために設定しておいたものだった。壁に立て掛けてある時計を見ると9時30分。約束の30分前だった。昨夜、夜ご飯を食べている時にシアと買い物に行く約束をしていたのだ。提案したのは珍しく私だった。


 (最近は色々なことがあって中々買い物に行く時間も無かったからね)


 せいぜい食材を買いに行くぐらいだった。たまには思いっきり遊ぶ時間も必要だろう。そう思って提案したのだ。


「よいしょっと」


 足を思いっきり振り下ろし、勢いよく立ち上がる。生成クラフトで作った剣を魔力に分解して吸収し、髪を括っていた黒いゴム紐を解く。解いた時の衝撃で髪から汗が跳ね、地面に落ちる。


 (うわ、どんだけ汗かいてんの!)


 特訓を終え、緊張感が抜けた瞬間、汗を吸った服が肌に張り付き、背中を汗が伝う感覚が明確に感じられ不快感でいっぱいになる。ドアに近付き、右横に設置されているボタンに触れる。横一直線に6つのボタンが並び、その中の1番を押す。ボタンが光ると、ドアが横にスライドする。ドアの向こうにあったのは私がいつも料理をしているキッチンだった。私は黒いロングブーツを脱ぎ、収納魔法陣に収納する。そして扉を出てすぐに右に進み、着替え所に入る。朝早くからのトレーニングで汗を吸って重くなった、体にフィットするタイプのタンクトップとショートパンツ、下着類を洗濯カゴにドスっと放り込み、扉を開けて風呂場に入る。シャワーを浴びて全身に付着した汗を流す。お湯が私の頭を叩き、排水口を流れていくのを見ながら1ヶ月前のシャドウとの戦いを思い返していた。


 あの1連の戦いは分からないことばかりだった。シャドウはどうやってあの紫色の魔力を手に入れたのか。転生する前はあんな力は持っていなかったはずだ。


 隠していた、って言う可能性は十分あるけど、紫:影化シャステールがあるんだったらシアの魔法で死ぬことなんてあるはずないよね。


 だとしたらあの力は転生した後に手に入れたのか、それとも誰かが与えたのか。もし後者だと心当たりが一人だけいる。私に黒:世界を改変するヴァルデンモス竜の咆哮ローアの存在を教えた謎の女性の声だ。私自身ですら知らなかった魔法の存在を教えたあの声の持ち主がシャドウに紫の魔力を与えた可能性が高い。とはいえその女性の事は性別も含めて何一つわかっていない。


 (はあ、そもそも黒:世界を改変するヴァルデンモス竜の咆哮ローアが何なのかも分かっていないし)


 さっきまでいたトレーニングルームであの魔法を使おうとしたが発動するどころか、その兆候すら現れなかった。


 (やっぱり死ぬ直前でしか使えないのかな?自分の使える魔法で知らないものがあるなんて問題大有りだよね)


 軽くため息を付きながらお湯を止める。風呂場の扉を開けて着替所で体の水気を蒸発させる。体と髪が一瞬で乾く。そして洗濯カゴに放り込まれていたものを浮かせて浄化クリーンで新品同然に綺麗にする。こうする事で洗濯の手間を省ける上に新しい服を買わなくてもよくなる。まさしく一石二鳥というやつだ。


(まあ、これを見られてからシアが私の分も含めて洗濯するようになったけど)


 あの料理の腕が壊滅的なシアがだよ。前世でも同じような事をしていた私にとってはこれが普通なんだけど。本当はこの魔法を自分の体に使えばシャワーを浴びなくても一瞬で綺麗になるが、何となく今日はシャワーを浴びたい気分だったのだ。魔法で綺麗にした服と下着を再び身に付ける。流石にこれだけでは薄着すぎるので、ヘソ出しの藍色の長袖を羽織り、着替え所を出る。


 壁に立て掛けてある時計を見ると約束の15分前だった。出かけるといっても必要なほとんどの物は魔法陣の中に仕舞ってあるので、残りの時間はゆっくりできる。コツコツコツと2階から降りてくる足音が聞こえる。音のする方に目を配ると、シアが降りてきた。彼女はリビングの椅子に座っていた私を見つけると少し歩みを早め私の前に立つ。


「意外と準備が早いな。お前のことだから時間を忘れていると思っていたぞ」

「流石にシアとの約束は忘れないよ。私も今日を楽しみにしてたし」

「そうか。楽しみだったのか」


 シアはぶっきらぼうに答え、頬をかきながら顔を逸らす。隠しているつもりかもしれないが笑みが僅かに溢れていた。


「ところで、この服、お前はどう思う?」

「え?」


 ほんのりと顔を赤く染めたシアの姿を見る。今彼女が着ている服はいつもの白いワンピースではなかった。黒いゴスロリドレスに膝まで覆った靴下という以前の私のような全身真っ黒な衣装だった。その衣装にどこか見覚えがあった。戦闘の最中のように思考を回転させて記憶を探す。


「あ!その服、私がシアに買った服だ!」

「覚えていたのか?!」


 私が完全に忘れていると思っていたシアが心底驚いたような反応をする。


「もちろんだよ!へえ、着てくれたんだ。やっぱりすごい似合ってる。かわいい!」


 そう、この黒いゴスロリドレスは私がシアと一緒に暮らし始めたばかりの頃に買った物だ。一緒に暮らすことが決まった時にシアの日用品を揃えるときに、ショーウィンドウにこの服が飾ってあり、それを見た瞬間、シアに似合うと思って即購入したのだ。まあ、気に入らなかったのか一度も着てはくれなかったけど。

 でもどうして急にこの服を着てくれたんだろう。ずっとタンスの奥に仕舞われていたのに。


 質問しようとしたが、出来なかった。シアが顔から湯気が出るほど顔を真っ赤に染めていたのだ。私が見ていることに気づくと、すぐに顔を背ける。


「わ、私がカワイイことなんて当たり前のことだ!全く、言われなくても知ってる!」


 本人は気付いていないかもしれないがぶっきらぼうな声には隠しきれない喜びが込められていた。それを隠そうとする仕草がとても可愛らしくてつい立ち上がってシアの頭を撫でてしまう。


「シア、すごくカワイイ!」


 プルプルと震えながら私に撫でられ続ける。シアのサラサラした髪を夢中で撫でていると、いきなり振り向かれ、唇を重ねられてしまう。突然の反撃に対抗できずになすがままにされてしまう。彼女の唇は熱く柔らかく、私の思考を完全に溶かした。シアが唇を離す。息が届くほどの距離からシアの赤く染まった綺麗な顔に見入ってしまう。


「あまり私をドキドキさせるな。この鈍感」


 そう言うと私から離れて、玄関に向かっていく。黒いパンプスを履くと、呆けて立ち尽くすしたいた私を見る。


「ほら、行くぞ。時間がもったいない」

「え、あ、うん。すぐ行く」


 パタパタと玄関に向かい収納魔法陣からヒール付きの黒いロングブーツを取り出して履く。全身をウズウズとさせていたシアがガチャリと玄関のドアを開ける。眩しい日差しが玄関に入り込み、その眩しさに私は思わず右腕で目を庇う。絶景のお出かけ日和だった。私の胸もシア同様に高鳴る。シアが私の左手に自分の右手を絡めてきた。若干の照れ臭さを感じながらもシアから手を繋いでくれたことが嬉しくて、彼女に負けないくらい強く握りしめる。


「それじゃあ、行こうか」

「ああ、楽しいデートにな」


 私達2人は多少の気恥ずかしさを感じながらも、手を離す事なく外に出た。


 家を出た私達はいつものメインストリートを歩いていた。あれほどの騒ぎがあったのに、街はいつも通りの活気に賑わっており、たくさんの人が行き交っていた。被害は王城がほとんどで街の方にはほとんど被害が無かった。前方に見える王城も修復が完了しており、人が入っても問題無いそうだ。


「それで、どこに行くか決まってるの?」

「いいや、全くだ。今日はお前が行きたいところでいい。最近、修復ばかりで暇な時間が無かっただろ」


 確かに城や街の修復作業で自由な時間がほとんど無かった。


「いいの?私が行く場所なんてつまらないと思うけど」

「言っただろ。お前がいるだけでどこにいても楽しいんだ。私の事は気にするな」


 シアの僅かに赤らんだ顔に私まで顔を赤くしてしまう。最近のシアは以前よりも私をドキドキさせる言葉を言ってくる。


 いや、私のシアを見る目が変わったからかな。


 シアに告白された事で間違い無く私はシアを意識している。けど、その先を考えられないのは、たぶん、答えを出すのが怖いから。


「じゃあ、道具屋に行ってもいいかな?ちょっと見たいのがあるんだ」

「いいぞ。ただその前に」


 シアが私の姿を見る。そして、軽くため息を付いてから握った手を引っ張る。


「やっぱり一箇所だけ寄ってもいいか?」

「うん。いいよ」


 特に断る理由も無いので頷く。まあ、すぐにその選択を後悔する事になるけど。


「ありがとうございましたー」


 服屋の店員さんの声を背に私達は店を出る。私はさっきまで穿いていた運動に適したショートパンツではなく、ヒラヒラの藍色のミニスカートを穿いていた。


「なかなか似合ってるな」


 シアが満足気な声を出す。そう、何でこんな事になっているのかというと。あの後、私は前に三人で来た服屋に連れ込まれ、試着室でシアにこのミニスカートを穿かされたのだ。


「脱いでもいい?」


 気恥ずかしさに耐えきれなくなり、縋るような目でシアを見るが、


「ダメだ。せっかくのデートなんだ。おしゃれくらいしろ。それに、お前に似合うと思って買ったんだ。今日くらいはいいだろ」


 キッパリ断られてしまった。シアが今着ている黒いゴスロリドレスも、シアに似合うと思って私が衝動買いした物だ。自分が似合うと思った服を着てくれると嬉しいのは確かに嬉しい。


 今日くらいはいいかな。


「分かった。そこまで言うなら穿くよ」


 結局、シアの押しに私が勝てるはずもなく了承してしまう。シアの顔にフフンと勝利の笑みが浮かんだので少し悔しくなった私はシアの頬をツンとつついた。思いっきり肩を殴られました。グーで。


 その後、不機嫌になったシアを宥めながら歩いていると目的地に辿り着いた。1階建てだが他の建物と比べても一際大きな店だった。店内に入ると冒険用の様々なアイテムが所狭しと並べられており、その光景にシアが感嘆の声を漏らす。


「おおー、すごい量だな」


 そう、ここは王都で最も大きい道具屋だった。松明やロープ等、冒険に必要な道具はこの店だけで揃うと言っても過言では無いほどの品揃えだ。


「この店は王都でも1番大きな道具屋だからね。ここまで品揃えがある店は前世でも中々無かったよ。あ、あった」


 店内を歩いていた私は目当ての物を見つけて手に取る。それは緑色の液体が入った小さな瓶だった。


「それは何だ?ジュースか?」

「飲み物ではあるけど違うかな。これは回復ポーションだよ」

「ポーション?聞いた事が無いな」


 シアがキョトンとした様子で首を傾げる。


「そうか、シアは見た事が無かったんだね。これはねいろんな素材を混ぜて作った薬で、傷を治すことが出来るの」

「随分と便利な物だな。なら、それがあれば回復魔法は必要ないんじゃないのか?」

「残念だけどこのポーションで直せるのは軽い傷くらいだし、治るのにも時間がかかるんだよね。正直言って魔法で直した方が早い」


 私の使う回復魔法はポーションよりも回復力が高く、効果が現れるのも早いためポーションという物をあまり使っていなかった。


「ならどうしてこれを見にきたんだ。お前は回復魔法が得意だろ」

「そうなんだけどね。この前の戦いみたいに魔力切れを起こしたら直せなくなるでしょ。だから収納魔法陣にポーションを入れておけばもしもの時に役に立つんじゃないかと思ってね」


 まあ、無いよりはマシぐらいの保険だけど。


「シャドウに勝てる確率は低いのか?」


 その質問に私は自分でも気付かぬ内に目を細め、声が硬くなっていた。


「うん。負ける可能性の方が高い。次戦った時に勝てる保証は全く無い。それに、シャドウくらい強い敵が来た時のために出来る限りの対策はしておきたくて」


 あの戦いは本当に死を覚悟した瞬間が何回もあった。正直言って、思い出すだけで手が震える。だから今のうちに出来る限りの事はしておきたい。


「あ、ごめんね。せっかくの休みにこんな暗い話しちゃって」


 ハハハと心の内を隠すように笑い、手に持っていたポーションを棚に戻す。


 そうだよ。シアを守るっていう誓いは変わらないんだから。シアに心配をかけたくないし。私は強くならないと。


 すると、シアが私の右手から手を離し、両肩を押してきた。思考に耽っていた私は簡単に棚に背中をぶつける。そして、私の目を真っ直ぐに見ながらハッキリとした声を出す。


「安心しろ、氷花。お前がピンチになったら私が助けてやる。絶対にお前を1人で戦わせたりはしない」


 同じ高さの目線のはずなのにその力強い目のせいか、シアがいつもより大きく見えて、抵抗なんて出来なくなる。


「シ、シア、あのさ。」

「何だ?」

「ここ、一応店の中なんだけど」


 シアが周りを見ると店内にいた数人の冒険者が私達に気付き、温かい目で見ていた。何人かは鼻血でも出たのか鼻を押さえていた。


 自分が人前で大胆な事をしていた事を認識したシアが顔を赤くしてパッと離れる。そして、恥ずかしさを誤魔化すために早口で捲し立てる。


「そ、そうだ。せっかくだからこの店にある物を教えてくれ。見た事がないものばかりなんだ」

「う、うん。私の分かる範囲で良ければ」


 私もシア同様に気恥ずかしさを感じていたため、ぎこちない動きで店内を歩く。手はどちらから言うまでもなく再び繋がれていた。


 それから私はシアの質問に答えながら店内を1周した。彼女は初めて見るものに夢中になり絶えず視線を動かし続けていた。そしてシアが聞いてくる事には自分の知っている限りの事を答えた。まあ、説明に夢中になりすぎて止められた事が何回もあったけど。でも1人で来る時よりも遥かに楽しい時間だった。


 必要な材料を1通り買った私達は店内を出た。すぐに袋一杯に詰められた素材を収納魔法陣に仕舞う。


「それでさっきのポーションを作るのか?」

「ポーションは作るけど、お店にあったものとは違うよ」


 またしてもシアがキョトンとした様子になるので慌てて説明を追加する。


「えっとね、お店にあるポーションは資格さえあれば比較的簡単に作れる物なんだけど、性能はそこまで高くないんだよね」

「まさか性能が高いポーションを作れるのか?」

「まあね。材料を変えたり、配合の仕方を少し変えるだけで性能が段違いに上がるんだ。でもそれをすると失敗する確率も上がるし、値段も高くなるから誰もしないけどね」


 作るのに高いレベルの作業が入れば値段も高くなるし、失敗する確率も高くなりロスも増える。だから一般的に道具屋で売られているポーションは性能が低くなってしまう。けど、私はその気になれば材料さえあれば性能が高いポーションを作る事ができる。この技術は前世から持っていたが、回復魔法があれば事足りたので試作品を何個か作っただけだった。


「作るところ見てもいいか?」


 シアがキラキラとした目で見てくる。どうやらシアの好奇心に火を付けてしまったらしい。


「いいけど、地味だしすぐに終わるよ」

「氷花にとってはそうかもしれないけど私にとっては初めて見る物なんだ」


 別に断る理由も無いし、ここまで興味を示されると悪い気もしない。


「分かった。じゃあ、夕飯の買い出ししたら作ろうか。夕飯は何がいい?」

「カレー」


 まるで最初から決まっていたかのような早さだった。


「またカレー?先週も食べなかった?」

「いいだろ。好きなんだから」

「分かった。シアが食べたいなら作るよ」


 早速、買う物を頭の中で思い浮かべると、前方から大きな声が聞こえてきた。


「アーー!いたーーー!!!」


 当然の大声に私もシアも驚きながら視界を前方に向ける。息を切らしながら私達の方に全力ダッシュする少女の姿があった。


「ミオ?!」


オレンジ色のフワフワのショートヘアに同じ色の瞳をした身長140センチくらいの小柄な少女だ。ちなみにその小さな体に不自然なほど大きな胸が振動で揺れているのを見て、シアが舌打ちをしていたけど気付かなかった事にしよう。安心して、私も揺れないから。


「氷花さーーーん!!!」


 その少女は右手をブンブンと振りながら私の名前を叫ぶ。当然、行き交う人達の視線を集めるがその少女は切迫した表情を変えることは無かった。そして、私はその少女に見覚えがあるどころかそれなりに付き合いのある人物だった。


 彼女の名前はミオ・ミラーム。私が通っている冒険者ギルドの新米職員で年齢は18歳。だった気がする。そして私の専属職員だ。


 汗だくで走ってきた少女は私の目の前で止まり、両膝に手を付いて乱れた汗を整えようとしている。どうやら相当走っていたらしい。青を基調としたギルド職員の服が体に張り付き、額から汗が流れ落ちて地面にシミを作っている。


「よ、よかった、見つかりしたー」

「ちょ、どうしたのさ。また何かミスしたの?」


 ミオは新米という事もあったかミスが多く、ギルドに行くとほとんど彼女が涙目で作業している所を見かける。私は収納魔法陣から手をつけていない水筒を取り出して渡す。ミオはゴクゴクと水を呷るように飲む。水を飲むと少し落ち着いたのか、ゆっくりと声を出す。


「じ、実は、大変な事が、、、起きて、、しまった、、んです」


 私はミオの血の気の引いた顔に異常を感じ取る。


「取り敢えずギルドに行かない?ここじゃ話もしづらいだろうし」


 いくら広いメインストリートとはいえ、長話をするわけにもいかない。


 ミオはコクリと頷くと私達を冒険者ギルドに案内した。ギルドの中に入ると、奥の部屋に通され、大きなソファに座らされる。


「それで、何があったの?」

「は、はい。実はですね。私のミスで、ランク7のクエストの行き先地とランク2のクエストの行き先地を反対に書いてしまったんです」


 冒険者がクエストを受けるにはいくつかの過程がある。まずギルド職員が街や村、国から依頼された内容をまとめて、ランク付けをしてそれを記録用の魔力水晶に登録する。そして、ギルドの中にいくつか設置されている魔力水晶に共有して、それを冒険者が自分の冒険者ランクに見合ったものを受託して、依頼内容を冒険者になった時に貰う冒険者カードに記録。クエストが終わり次第、受付に報告して報酬をもらうという感じだ。


 冒険者ランクは1から始まり、最高まで10まである。受ける依頼が高ければ高いほど早く昇格することができるが、失敗しても自己責任。例え、死んだとしても。


「なら、今からでも訂正すればいいんじゃ」

「それが、昨日、結成したばかりのパーティーが依頼を受けてしまったんです!!!」


 話によると、昨日、ランク1の5人組パーティーが端末から依頼を受注し依頼された場所に向かったらしい。だが今日の朝、自分の間違いに気付いたミオは事の重大さを理解してギルド長に報告。すぐに他の冒険者に救出を依頼しようとしたがランク7の依頼を簡単に受けてくれる冒険者が簡単に見つかるはずもなく、私なら依頼を受けてくれるだろうとずっと街中を走り回っていたらしい。


「ちなみにどこのクエストと間違えたの?」

「スパートスコーピオンですヨ」

「ん?もう1回言ってくれる?」

「スパートスコーピオン討伐のクエストです」

「それ、かなりまずいよね」


 初心者用のクエストかと思ったら、上級者が戦うような強力な魔物と遭遇するのだ。間違いなく全滅するだろう。特にスパートスコーピオンという危険な魔物だと。流石はランク7。


「そうなんです!間違いに気付いたのが今日の朝で、もうそのパーティーは出発していたんです。救助に向かってくれる冒険者を探しても誰も受けてくれなくて」

「そりゃまあ、スパートスコーピオン相手になるとね」

「氷花。スパートスコーピオンって何だ?」

「簡単に言うとね、猛毒を吐き出す巨大なサソリ」


 私はシアにスパートスコーピオンについて説明する。今世では遭遇することは無かったが、前世では何度も戦った事がある。スパートスコーピオンの巨大な体を覆う甲殻はとんでもない硬さがあり、様々な用途に使える素材になるのだ。


 ただその分、倒すのがかなり面倒なんだよね。最初の頃なんて剣で攻撃したらこっちの腕が痺れたくらいだし。それに、あの毒はかなり危険だよね。


 スパートスコーピオン最大の特徴は巨大な尻尾の先端の棘から噴き出す猛毒だ。射程もかなり長く、皮膚に触れるだけで激痛が走り、体内に入ればかなり大変なことになる。だからこそランクも高く設定されており、救助に向かう冒険者もいない。


「何か、気持ち悪い魔物だな」

「まあ、何回も見てれば慣れるよ」

「氷花さん。お願いします。新米パーティーの救助に向かってくれませんか!」


 ギルドは本来、冒険者がどんな損害を負っても基本的に責任は負わない。だが、今回はギルド職員のミスによって起こった事だ。だからこそ、こうして私に依頼をしてきたのだろう。


「分かった。取り敢えず、スパートスコーピオンを倒してくればいいんだよね」

「あ、はい」


 私は自分の冒険者カードに記録用端末をかざす。ピピっと音が鳴り、依頼者の内容が送信される。冒険者カードの表面をタップすると、ウインドウが表示される。そこには先程、端末から送信された依頼者の内容が表示されていた。


 場所はここから南にある村の岩場か。今から飛べば間に合うかな。


「じゃあ、行ってくるね。スパートスコーピオン相手ならすぐ終わりそうだし。シア。悪いけど先に帰ってて。私もすぐに帰るから」

「分かった。なるべく早く帰ってこいよ。夕飯抜きなんてごめんだぞ」

「大丈夫大丈夫。スパートスコーピオンなら何回も倒してるから」

「よ、よろしくお願いします!」


 今更心配する必要もないと椅子に座っているシアと頭を下げるミオに手を振りながら、私は自信満々に答え冒険者ギルドを出る。そして、人通りの少ない路地裏に入り、飛行フリームを発動させ、勢いよく空に舞い上がる。


「行きますか」


 水色の軌跡を描きながら高速で空を飛ぶ。目標地点の村まではまっすぐなので、最高速度で飛行する。空に浮かぶ雲を切り裂きながら突き進み、目標の村の入り口が見えてきた。


 (え、私の冒険者ランク?7だけど?だってランクが上がるとめんどくさいんだもん)


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