第27話義兄の策略

 意識を失った私は、過去の光景を夢に見ていた。

 まだおばあ様が生きていた頃。私も王城には行かず、故郷で暮らしていた頃の記憶だ。


「お兄様、何をしていらっしゃるのですか?」

「あなたには関係のないことですよ」


 幼い私の問いかけにぶっきらぼうに答えた義理の兄、バージルがそっぽを向く。

 そっけない態度。言葉遣いこそ丁寧だったが、彼が私に対して複雑な感情を持っていることがよくわかる。

 当時の義兄は、今ほど感情を隠すのがうまくなかった。

 

「お兄様はいつも難しい顔をしていらっしゃいますね」

「それはまあ、私の立場はあなたほど盤石ではありませんからね」


 お兄様はブラッドストーン家第一婦人の子、そして私は第二婦人の子どもだ。

 家を継ぐのはお兄様だ。けれども、この家で最も大切にされているのは私だ。

 ブラッドストーン家の秘宝、未来視の魔眼が私に継承されたからだ。

 

 きっと彼は、それが気に食わなかったのだろう。

 先に生まれたのに、義妹が優遇される事実。期待された魔眼の継承ができなかったこと。

 それらが優秀な彼のコンプレックスとなっていた。


「でも、お兄様は私より優秀な人だから大丈夫ですよ。私も別にお兄様といがみ合うような気持ちはありません」

「それは何よりですが……ただ、私が憂いていることはそれだけではありません」


 彼は首にかけたネックレスを掴み、その下にある宝石を取り出した。血のように真っ赤なルビー。ブラッドストーン家の魔道具、もう一つの秘宝、未来視の宝石だ。

 もっとも、秘宝そのものを体に持つ私には不要なものである。


「私はエレノアほどではありませんが宝石の力を借りて未来視の力を使えます」

「ええ。存じております」


 ブラッドストーンの血筋を継いでいれば、完全な魔眼を持たずとも未来視の行使が可能になる。

 しかしそれは、本物の魔眼とは比べ物にならないほど弱く、数秒先の未来を視るのが限界だ。


 ただし、未来視という常識外の力は時に人間を狂わせる。

 

「未来が分かるようになった瞬間から、私は一つの疑問が浮かんだのですよ」

「疑問、ですか」

「ええ。私たちはこれから起きることが分かります。こんな化け物じみた力を持っているのは私たち一族だけです。――なんたる孤独か、とあなたは思いませんか?」


 その言葉を吐いた彼の目があまりにも暗くて、私は息を吞む。


「私たちだけが他の人間には視えないものが視えます。現在を生きる人間の中にあって、私たちだけが未来と現在の狭間を生きることを宿命づけられています」

「……お兄様」


 それは、エレノアにとっても覚えのある話だった。未来が分かる、と分かると人々は不思議な怯えを見せる。超常の力を持つ神を畏れる態度に近いだろうか。彼らからすれば、自分たちの行く末が分かるなど怖くてたまらないのだろう。

 

 醜い内面を持つものは未来の悪事を暴かれることを恐れ、臆病者は未来を見通す力で自分が陥れられることを恐れる。

 相手が自分の知らない自分のことを知っているかもしれない、というのはそれだけで恐怖だ。


「でも、お兄様」


 分かるから、同じ悩みを持ったことがあるからこそ、私は彼の手を取った。


「その分、私たちはみんなを救う力を得たんです。たしかに、私たちは辛い思いや理不尽な経験をするかもしれません。でも、この力で人を救い続ければきっとみんなを笑顔にできます」

「……笑顔に、ですか」


 バージルの目が光を取り戻して私を見つめる。私と同じ赤い瞳。その奥には、何かを期待するような色があった。


「ええ、そうです。お兄様はきっと、たくさんの人を救って笑顔にできると思います。だって、あんなに頑張ってたじゃないですか」


 彼の手を握る。ゴツゴツした、剣ダコだらけの手。私には到底できない努力の跡だ。


「エレノアも……」

「え?」

「エレノアも笑顔になるんですか?」

「ええ、お兄様が頼もしい方だったら私も頑張ろうという気になりますからね」


 頑張っている人が近くにいれば頑張れるのは本当だ。だって私は、昔からずっと頑張る兄の背中を見て頑張ってきたんだから。


「エレノア、ありがとうございます。未来を知るという孤独を共有できるのが、あなたで良かった」


 そう言って、彼は笑った。その時の笑顔は、今思い出しても最も素敵で素直な笑顔だった気がする。

 

 

 ◇

 

 

 目を開けた時、ギルバートの顔が真っ先に見えた。


「エレノア!? 気がついたのか」


 い、いつになくギルバート様の顔が近い……! 私は羞恥にのけぞろうとするが、横になっているために叶わない。


「エレノア、無事で何よりです」

「お兄様!? なぜここに?」


 続いて視界に入ったのは、こちらに向かって穏やかに笑っている義理の兄の姿だった。

 

「エレノアが何やら騒動に巻き込まれたと聞きましたからね。と言ってもここに来るまでに随分時間がかかってしまいました。私の落ち度ですね」


 お兄様はやれやれ、と言うように肩をすくめた。その様子は冗談を言っているように見えたが、長い付き合いの私には彼が本気で悔いていることが分かった。


「でも、忙しいのでしょう? 王城での治安悪化に伴いお兄様の仕事も増えていたはず」

「ええ。なんとか一段落つけて来ました。妙な噂話を聞きつけて王城まで行けば、第一王子殿はご乱心の様子。そちらの対策もしていたらこんなに遅くなってしまいました」

「そう、でしたか……」


 私が王城から追放された話を聞いたのだろう。

 お兄様はどう思っているだろうか。ブラッドストーン家の秘宝、未来視の魔眼を授かった私があんな醜態を晒したこと。優秀な彼に代わっておばあ様の役割を受け継いだ私の失敗を。

 しかし、お兄様はそんな私の葛藤を察したかのように優しく目を細めると、ゆっくりと近づいてきて私の頭を撫でた。


「エレノアは相変わらず真面目ですね。あなたの周囲の環境は必ずしもあなたのせいではないというのに」


 ああ、幼いころに戻ったみたいだ。お兄様と一緒に故郷にいた頃。まだ憂慮すべきことが少なくて、比較的自由に過ごしていた頃。

 ふと見上げると、バージルは他人にはなかなか見せないような優しい顔をしていた。

 彼はいつもニコニコ笑っている。けれども赤い瞳の奥は、常に相手を観察している。誰にもでも優しいように見えて、その実滅多に気を許さない。

 これは、家族である私だから見せてくれた顔なのだろう。

 

 しばらくの間黙って撫でられていると、ギルバートの遠慮がちな咳払いが聞こえてきた。


「人の婚約者に何をしている……と言いたいところだが、家族にしかできないこともあるのでしょうね」

「おっと失礼。私の妹はもう人様の婚約者でしたね。昔を懐かしんでいたらうっかり忘れていました」


 わざとらしくビックリした様子を見て手を引くお兄様。今のは分かりやすい。人のおちょくっている時の態度だ。


「まあ、エレノアが安心した様子だったから腹を立てるようなことでもありません」


 ギルバートの言葉に、お兄様はわずかに目を見開いた。あまり動揺しない彼にしては珍しい表情だ。

 

「ブラッドストーン公爵。このような辺境までお越しくださりありがとうございます」

「そのとってつけたような敬語は結構ですよ。我々は家族になるのですからね。もっとも、エレノアがこのまま結婚するのなら、ですが」

 

 ……空気が悪いな。お兄様が皮肉を言うのは珍しくないが、初対面の相手にここまで言うのは珍しい。


「つまり、義理の兄としてエレノアの結婚に反対すると?」


 ギルバートが鋭い視線をお兄様に向けた。バージルが唇だけ上げる。


「いえ、それはまだ決めていません。どちらにせよ、あなたにはまだ演じてもらわなければならない役割があります」

「役割? エレノアを巻き込んで何かしようとしていると?」


 ギルバートがさらに視線を鋭くした。

 お兄様の胡散臭い態度は、どうやら彼の警戒心を強めたようだった。

 お兄様の人の良さそうな外面は大抵の人間の警戒を解くが、ギルバートの鋭い観察眼には通用しなかったようだ。


「エレノアを巻き込むというよりも、彼女の名誉を挽回するためですね」

「……それで、エレノアをまた王城に行かせるのか?」


 ギルバートの言葉には怒りが籠っていた。


「どうしてコイツが欲望の渦巻く人間の渦中で頑張らないといけない? もちろん、能力があるのだろう。それに誰にもない力を持っている。けれど、コイツの真っ直ぐすぎる性根は向いていない。ここに来た時、こいつは色んなものを背負って傷ついていた。お前がそれを承知でエレノアをもう一度王城に戻そうと言うのなら、いくら家族と言えど異議を唱えざるを得ない」

「ギルバート様……」


 彼の言葉にはいつになく熱が籠っていた。それを見た私の胸にはじんわりと熱が生まれた。


「……なるほど。半信半疑でしたが、エレノアは良い婚約者に恵まれたようですね。それでは、あなたに敬意を表して話しましょう。あなたとエレノアには、王城の舞踏会に行ってもらいます」

「だから、エレノアを王城に行かせるのは……」

「目的を果たすまで、です。私とて妹をあんな無能にあてがってしまったことを後悔しているのですから」


 お兄様の微笑からわずかな怒りが漏れ出す。


「あなたが心配するようなことにはしませんよ。私が下準備を十分にします。悪政の目立つ王子の離反者は多い。舞踏会と言えば聞こえはいいですが、その実態は私の派閥で固めた狩場ですよ」


 お兄様の目が、獲物を前にした狩人のような鋭さを見せた。

 

「そこで、ラインハルト第一王子と魔女アイリスを断罪します。まさにエレノアが理不尽な言いがかりで追放された時と同じようにです」

「お前、かなり悪趣味だな……」


 ギルバートの言葉にフフフ、と微笑むお兄様はかなり悪い顔をしていた。


「毒に犯された患部は纏めて切除しなければなりません。王城を中心に貴族社会の中に浸透してしまった毒を切除するには、ドラマチックで衆目を引くイベントが必要なんですよ。誰がどう見ても分かるように、女に誑かされ悪政をしたラインハルトは失脚し、新しい時代が来るのだと知らしめなければなりません。下準備は十分です。あとは、彼に無様を晒してもらうだけです」

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