第4話ギルバートの目

 応接間らしい部屋に入ると、席に座るよう促される。

 目の前のテーブルには紅茶の入ったカップが二つ。

 ギルバートは私が座ったのを確認すると、一気にカップを傾けた。

 大胆に紅茶を飲み干す姿はあまり貴族らしくない。カタン、と音を立ててカップを置く。

 口の中を一瞬で空にした彼は、私に話しかけてきた。

 

「ブラッドストーン公爵令嬢……いやエレノア。体調はもういいのか?」


 婚約者という立場を意識してだろう。彼が私の名前を呼ぶ。それだけで頬がわずかに熱くなるのが分かった。

 

「ええ、おかげ様で」


 もともと体調はどこも悪くない。

 しかしあなたとのキスシーンを未来視して奇声を上げました、とは口が割けても言えなかった。

 

「それは幸いだ。――それで」


 彼が言葉を発すると、未来視が発動した。


 一瞬後に、ギルバートが突然テーブルを蹴り、紅茶が零れる。

 

 私は自分のカップを素早く持ち上げた。

 ガン、と重たい音を立ててテーブルが揺れた。ギルバートの空のカップが大きく揺れた。


「おお、さすが未来視。便利だな」

「ちょっと乱暴すぎませんか?」


 仮にも辺境伯が机を蹴り上げるなど何事か。ここに私のおばあ様がいたら昼食の時間まで説教されたことだろう。


「この目で確かめてみたかったんだ。未来視ってやつがどんなものなのか」


 にや、と笑うギルバートは少しいたずらな笑みを見せた。

 そんな笑顔も似合う、という自分の心の声をそっと奥に仕舞う。

 

 気を取り直して、私は自分の未来視の説明を始めた。


「ギルバート様。未来視は起こる未来が絶対に視えるわけではありません。たとえば、先ほどの光景が視えなくて私に紅茶がかかる可能性がありました」


 す、と紅茶を口に運ぶ。……なんだこの紅茶は。薄い。マズい。


「服に紅茶が引っかかる程度気にするな」

「いいえ、私は気にします。とにかく、そんな便利なものではないということを今度改めて説明致しますね」

「ああ、頼んだ」


 ギルバートは私の魔眼に興味を持っているようだった。

 

「それよりも、なんですかこの紅茶は」


 私はカップを置くと、薄くてマズい紅茶を指さした。


「なにって、俺が入れたものだが」

「自分で入れたんですか!? てっきり歓迎されていないからマズいものを出されたのかと思いました」

「俺はそんな回りくどいことしない」

 

 マズい紅茶を出すことで遠回りに出ていけと言われているのかと。


「しかし、我儘そうなお前のためにわざわざ貰い物の高い茶葉を使ったんだぞ。マズいわけがなかろう」


 我儘そうって。私はどんな風に見えてるんだ。

 

「いくら高いものを使っても入れ方がダメならダメです。使用人に任せればよかったのに」

「俺の屋敷に紅茶を入れるだけの使用人など要らん。みな何かしらの仕事で忙しいんだ」


 そういえば、この屋敷ではほとんど使用人を見ていない気がする。

 

「それでは、私のメイドのコレットに任せてくださいませんか? 彼女をキッチンに入れる許可をくだされば紅茶くらいなら入れてくれます」


 背後に控えたコレットが少し頭を下げた。


「構わん。どうせ普段は誰も使っていないからな」

「料理人もいないんですか!?」

 

 あまりにも貴族らしくない辺境伯の屋敷に、私は唖然とした。


 

「さっそくだが、俺はお前の未来視に期待している。この領地は今乱れているからな。犯罪や反乱などの不穏分子を鎮圧するのに一役買ってほしいと思っている」

「ええ」


 それ自体に異存はない。私の魔眼は王国のために役立てるべきものだ。

 

 けれど、もしその献身がまた裏切られたら? ギルバートがラインハルトのように私を自作自演の噓つきだと言ったら?

 

「……ギルバート様は、もし仮に領内の混乱を収められたら私をどうなさるつもりですか?」


 最初に気にするのが自身の保身だなんて情けない。けれど、それが保証されなければ私はもう頑張ることができそうになかった。


「なるほど、俺が信用できないか」

「はっきり言えば、そうです」


 キスする未来を見せられたとしても、今のギルバートが何を考えているか分からない。またラインハルトのように裏切られたら、と思うと怖い。

 

 直接確認できたらいいが、私の未来視は見たい景色を自在に見れるわけではない。

 特にかなり先の未来のこととなると制御が効かない。

 

 だから、目の前の人間が将来的に裏切るかどうかなんて確かめようがないのだ。

 極論、あの熱烈なキスを交わした後で裏切られる可能性もゼロではない。そんな可能性を思い浮かべると、胸に鋭い痛みが走る。


「ふむ……まず前提として伝えたいのだが、俺の第一印象として。お前はひたむきでで真面目な、好意の持てる人間だと理解している」

「なっ……なっ!?」

 

 突然の甘い言葉に、私は激しく動揺した。

 体が熱い。クッ、キスする未来なんて見ていなければこんなに動揺することはなかったのに!

 ギルバートは照れる様子もない。それにわずかな苛立ちを覚える。


「ぎ、ギルバート様は随分女性への誉め言葉がお上手ですね。きっと女性経験豊富で私のような小娘など手のひらで転がせるとお思いのようですが、そうはいきませんよ?」

「俺は世辞など言わん。俺は自分の目を信じている。一目見ればどんな人間かはだいたい分かる。王城でのお前の評判よりもずっと信頼できる」

「……ッ!」


 ああ、彼は本当に、私の欲しい言葉をくれるようだった。王城での私の評判など気にしない。彼はそう言ってくれた。

 

 王城にいたころ、アイリスが台頭してきた頃から私は様々な悪評をばらまかれるようになった。自作自演の虚言女だとか、王族と結婚するために手段を選ばない悪女だとか、そういう噂だ。


 翻意などなく王国のために努めているつもりだったのにそんな言葉をかけられて、私は悔しかった。政敵で沢山の王城で、そんな感情を吐いたことはない。けれども、胸のうちに悔しさだけが溜まっていった。


「……ありがとうございます、ギルバート様」


 ギルバートの鋭い瞳は、真っ直ぐに私を見つめていた。

 私の反応を見ると、彼はフッ、と頬を緩ませた。

 

「ただ、我儘言い出したら容赦なく追い出す。王都のドレスを大量に買ってこいとか言い出したら即追い出す。めんどくさいからな」

「……色々台無しですね」

 

 せっかく感動していたのに。

 そんなに私がおしゃれ大好きに見えただろうか。ちらと自分の今の服装を確認する。

 王都でも着ていたドレス。所々にフリルのあしらわれたオーソドックスなそれは、青色をメインとしたものだ。辺境の地で着るには華美すぎるのだろうか。


「とにかく、俺は働いた奴には働いた分だけ報酬を与える。怠ける者には何も与えない。それだけ伝えたかった」

「いいですね。私もその方が分かりやすいです」


 そもそもが、出した結果ではなく愛やら派閥やらで優劣の決まる王城のしきたりにはうんざりしていたのだ。これくらいさっぱりした価値観の方が好ましい。


「さっそくだが、お前の未来視の力を借りて解決したい問題がある」

「ええ、お話を聞かせてください」

 

 それから、私はギルバートにこれからするべきことを聞いた。

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