第2話出会い

 王城での生活について改めて思い返していると、馬車に揺られる時間はすぐに去っていた。

 後悔も反省も悔しさも、思い出せば思い出すほど募るばかりだ。

 

 あの時ラインハルトにハッキリ言えば良かったのだろうか。アイリスの態度に対して、もっと厳しく注意するべきだっただろうか。

 あるいは未来視をもっと活用して……しかし、私の体力を鑑みるとそれは難しい。おばあ様のように自在にこの眼を使いこなせればよかったのに。

 

 馬車の揺れも徐々に少なくなってきただろうか。道が整備されてきているのが分かる。

 

「あれが辺境伯の屋敷でしょうか」


 コレットの声に前方を見る。

 自然ばかりで人の気配のなかった道に、立派な屋敷が現れた。二階建てのそれは、貴族の住まいとしては少し質素に見えた。


 見れば、屋敷の前には一人の男が立っていた。馬車から降りて、男と対面する。

 

「お前がレッドストーン公爵令嬢か。俺が辺境伯のギルバートだ」


 辺境伯の最初の印象は、スレた目と態度だった。見目はいいのに、怖そうな印象が見る者に悪印象を与えるだろう。

 

 すらりと伸びた高身長。短く刈り上げられたグレイの短髪。顔立ちは整っている。鋭くこちらを見据える目に、高い鼻。

 引き締まった体に纏う服は、やや暗い色で装飾が少なく貴族らしくない。

 

 彼の私を見る目は、鷹の目を想起させた。獲物の状態を見抜く狩人のような鋭い視線。それに見られていると寒気すら感じる。

 しかしその奥には、立ち振る舞いに似合わぬ知性が潜んでいるようだった。


「初めまして、ホークアイ辺境伯。私はエレノア・ブラッドストーンと申します。この度は辺境伯直々のお出迎えに感謝の言葉もありません」


 貴族がわざわざ馬車まで迎えに来たのだ。礼くらいは言わなければ、しかし私の感謝の言葉に、辺境伯はやや眉を上げるだけだった。

 

「王国から来た上位貴族様は馬鹿丁寧だな。ここはド田舎だ。誰も礼節など気にしていないぞ」

「それでも、誠意を見せてくださった辺境伯様には誠意を返さなければ」

「ギルバートと呼べ。ここでは誰もそんな名前で呼んでいない」


 彼はぶっきらぼうにそんな言葉を吐いた。

 名前呼びを要求しているというのに好意の一つも感じさせない。この人は本当に私の婚約者なのだろうか。

 しかし、彼はやや視線を緩めてこう続けた。


「こんな田舎には貴族らしい貴族などいない。――だから、少なくともお前が追放されるような政争など起きないだろう。そこは安心していい」

「……ギルバート様」


 もしかして、心配してくれたのだろうか。王城という晴れ舞台から追放された私を。

 

 やはり彼は、ただぶっきらぼうなだけじゃないのかもしれない。

 そう思いながら彼を観察していると、私の右目、魔眼が熱を持ち始めた。未来視が発動する前兆だ。

 

 まるで白昼夢を見るように、私は未来の光景を直視した。


 

◇ 

 

 

「エレノア」


 聞くだけで蕩けてしまいそうな声だった。甘美で、色気のある、深い愛情の籠った吐息交じりの声が私の名前を呼んでいた。

 

「ギルバート」

 

 聞き覚えのある私の声が、辺境伯の名前を呼んでいた。聞いたこともないほど甘くて、何かを媚びるようだ。


 やがて目の前の光景が何なのか理解が及ぶ。


 私と辺境伯が、愛おしそうに互いを見つめながら抱き合っていた。

 私の目は下から彼を見つめ、辺境伯の目は優し気に緩められて私を見つめている。

 突然見せられた自分のラブシーンらしきものに、私は全身が熱くなるような感覚を覚える。

 

 どちらからともなく、二人は静かに顔を近づけていった。まるで、そうするのが必然だと思っているかのような自然な所作だった。

 

 唇と唇が近づいていき、やがて完全に交わった。

 キスをする二人の顔は、どちらも熟れたリンゴみたいに真っ赤だった。私の目はうっすら潤んでいる。

 

 な、長い……! まるで二人の愛の深さを確認するように、二人は唇を交え続けていた。よく見れば、私の踵はわずかに浮いていた。長身の辺境伯と唇の高さを合わせている。

 まるで、親鳥に餌をせがむ雛鳥のようだ。


 永遠にも思えた長いキスの後で、二人はゆっくりと唇を離した。交錯する名残惜しそうな視線は未だ熱っぽい。


 耐え切れずに、私は思いっきり叫んだ。


 

◇ 

 


「わ、わああああああああ!」

「お嬢様!?」


 未来視から帰ったことにも気づかずに、私は叫んでいた。全身が熱い。心臓がバクバクとうるさい。

 

「お嬢様、大丈夫ですか!? またひどい未来を視ましたか!?」


 コレットが私を心配してくれる。

 有難いことだが、しかし今心配されるのはむしろ恥ずかしい。


「ち、違うの……むしろ良い未来っていうか……」

「え?」

「おい、大丈夫か?」


 私たちの様子を見ていた辺境伯が近寄ってくる。

 その顔を見ていると、自分の顔に再び熱が集まってくるのが分かった。彼と唇を合わせる自分の姿を思い出してしまう。

 

「だ、大丈夫ですから……その、今はあまり近づかないでもらえると……」

「辺境伯様。お嬢様は長い間馬車に揺られて体調が優れないようです。休める場所に案内してくださいませんか?」


 コレットが毅然とした態度で辺境伯に進言する。こういう時の彼女は本当に頼もしい。


「……仕方あるまい、いいだろう。今日だけは休め。ただ、明日からは今後のことについて話してもらう」


 怖そうな見た目だが意外な優しさを見せた辺境伯は、屋敷の中へと案内してくれた。

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