1965 松野隆雄

①Greatest riflem

 1965年4月2日13時、POT國民基金某支局。


 男 松野隆雄は、満面の笑みを浮かべながら、小ぶりな弁当箱を見つめていた。


 曲げわっぱの半分ほどを埋める、つややかな白米。

 主賓は鶏と根菜の煮物。そして端には申し訳程度に添えられた青菜。

 


「美味しいんですか?それ」



 対面に座している後輩、藤野からの問いかけに、彼は皮付きの鶏肉を呑み込んで一息空けて応える。


「まぁまぁだよ。手前味噌だけども、初めてつくった割には上手くいったようだ」




「そうなんですね〜。ワタシお肉食べたことないんで気になっちゃって」




 そう言って藤野は、手元に並べられた椀、そこに注がれている青菜が混じったドロドロの麦粥に視線を向けた。





 <身体改良...>




 生産性向上が、すなわち幸福への道となる訳では必ずしもない。


 20年ほど前から始まった、新生児への施策。




 草食動物の消化器官から培養した微生物を移植することで、朒を摂取せずとも蛋白質を得られる身体となる「便微生物移植」



 穀物の不作、疫病などから深刻な食糧難となった1930年代から国が開発、導入を進めてきた技術だ。


 昨今若者は青菜のみでも生きていける身体となる一方、食肉は嗜好品として扱われ一部の富裕老人が薬膳として摂取するのみとなっている。


「松野さんの事だから美味しくて健康的な料理なんでしょうけど、見てるとこう...目がチカチカしますよねコレとか」


 そう言って藤野は煮物の中に入っているニンジンを指差した。


「うぅむ」

 松野は少しばかり首を傾げ、刹那瞳を右上方へ向けた。

 食の多様性の喪失が進む。

 数秒して、憂いを含んだ松野の目はあらためて藤野の輪郭全体を捉える。


 ハリのある肌、少しふっくらとした二の腕が半袖から覗く。

 髪は艶やか。

 さらりとして、空調の風がソレをゆったりとなびかせている。

 松野と対照的に二重の瞼、潤んだ瞳をこちらに向けながら傾聴している。


(なるほど、流石は男性社員一番人気の娘だね。参っちゃうなぁ...)


 周りが聞き耳を立てていることに、ようやく気づいた松野は頭を掻きながら、

「たしかに青菜を食べているだけでヘルスケアもしなくていいなら、その方がいいよね。ニンジンにレンコン、昔は皆んな食べていたけど今は私の個人的な道楽だよ」

 そう言ってニッコリと笑ってみせた。


 藤野も笑い返すと同時に、松野の横をでっぷりとした男が通りかかる。

「おお、松野くん」

「あっ、上崎部長...」

 上崎と呼ばれた男は会釈をした松野の肩をさするようにしながら会話に乱入した。

 この男は松野が以前所属していた部署の上長である。

 その体型と捻くれた性格から人望は全くと言っていいほどない人物だ。


 そんな彼が自分たちにどんな用があるというのか。

 松野は上崎が口を開くのを待っていた。


「昼間から、かわいこちゃんとおちゃべりとは随分と偉くなったもんだねぇ」


「はぁ...先日読んだ本に、後輩とのコミュニケーションが大切だと本に書いてあったもんですから」


 品性の欠片も感じられない上に特段火急の用事でもないようなので、松野は酷くいい加減な返答をした。


「ほぅ」

 そう言いながら上崎は自分とは別部署に所属する藤野の身体を舐め回すように見つめた。

 藤野は思わず顔をそむける。


 その様子にいたたまれなくなった松野は咄嗟に割って入る。

「ぶ、部長!本には目上の方は我々とは全く視座が違う。まるで鷹のように俯瞰していらっしゃるのだと、そう書かれてもいたんですよ。」

「ん?松野くん...君、なにが言いたい?」

 松野に品定めを遮られた上崎は眉をひそめる。


「そう言えば、一番街に新しい店が出来たんです。飯も旨いし、女将が美人だとかで人気なんですよ」

「ほぅほぅ」

 上崎の目の色が変わった。


「なかなか予約が出来ず、ようやく明日一席分取れたんですが、良かったら部長代わりに言っていただけませんか?最近腹の調子が良くないもので」

「おぅ?うんうん、やっぱり普段からのコミュニケーションは大事だよねぇ松野くん」

「えぇ、そうですね」

「先達が断るというのもいかがなものか。その申し出、不本意ながら受けさせてもらうよぉ。ハハハッ!」


 上崎は先程とはうってかわって、毛穴が開いた顔を声をあげながらくちゃくちゃにした。


「あっそう言えば松野くん。川崎会頭がおいでになっているんだよ。なんでも突然いらっしゃって、君と話がしたいとおっしゃったらしい」

「えっ、あの財友聯合会の川崎信之ですか!?」


 松野は驚愕の表情を浮かべた。

 川崎信之とは、この国を代表するフィクサーだったからだ。


 財友聯合会はPOT(public of Toei)の大企業群、約160社により構成される経済団体である。


 政界への献金を通じ国内の政策決定にも大きな影響を与えている。

 その中でも世界最大の鉄鋼生産量を誇る暮光重工を擁するコングロマリット、暮光グループは同会の代表的存在であり、その代表である川崎氏が会頭となるのも自然なように思える。

 一部の国民からは政府による「法の支配」に対し、暮光による「金の支配」が国を蝕んでいる、と揶揄されることもあった。


 そんな経済界の大物が、一庶民松野の眼前に座す。

 肩幅は松野二人分ほどになろうかというもの。

 着物袴姿にも関わらずハッキリと分かる胸板の厚さ、首元から溢れんばかりの僧帽筋。

 これだけでも、川崎という漢が精強な人物であることを示している。


 その背後には漆黒のスーツを着用した、川崎と同様に屈強な二人の従者が、いずれも右手にブリーフケースを携えて直立していた。


 応接室の黒い革製ソファに、どっかりと巨躯が沈み込んでいる。

 その一方で、対面の小男松野は借りてきたネコのように川崎の発声を待っていた。


「松野...」

「あっ、はい」

 川崎の呼び掛けに松野は間髪入れず応答した。


「君が、松野隆雄君だね?」

 巨体に似つかわしい、地の底から響くような低音が響く。

「はい。事務主査の松野と申します」

 松野は川崎の方を薄目で見ながら言った。


「私のことは知っているかね?」

「勿論...存じ上げております。貴方は暮光グループの会長、川崎信之様...」

「なら話が早い。松野君...私はある人物を探していてね」


「はぁ...」


 川崎は松野の間伸びした返事を気にも留めず続けた。


「その人物の居所を君が知っているのではないかと思って訪ねてきたのだ」

「はぁ...」


「その人物には数々の異名があってね」

「はぁ...」

「本邦では王國の守護者、魔弾、オーストリア二重帝国では魔王トイフェル、ヴェスプティアにおいては誇りある名無しプラウドネームレス、仏では恐るべきものセトゥリーヴル、大陸では鬼怪グェイウー...とにかく先の大戦で従軍した人間であれば、知らぬ者は居ないほどの人物なんだが」


「はぁ...そうなのですか」

 松野は再度間伸びした声を発した。


 次の瞬間。

「貴様ァッ!!先程から聞いておれば...会長に失礼であろうが!!」

 後ろに控えていた従者の一人が叫んだ。

 松野の態度が、彼らの主人を軽んじているように感じたのだろう。


「あら...何か気に障られましたか?」

 松野は咄嗟に立ち上がった。

 その刹那。

 

「...ッ!!」

 従者二人のブリーフケースは中腰の松野へ向けられた。


 両手で支えられたケースには側面に1.5センチ程の穴が空いている。

 また提げ手には鉤状の機構、つまり引金トリガーが設けられていた。

(63式機関短銃コッファー内蔵型、それが従者二人が構える得物の名称である。)

 装弾数は6ミリの拳銃弾を30発。

 要人警護の際、威圧感を与えないよう開発されたケース収納型火器。


「山元ォ!神田ァッ!!控えぬかぁッ!!」

 川崎は殺気立つ従者たちを叱責した。


 しばし静寂...。


「し...しかし、会長!!」

 先程松野へ怒声を飛ばした従者が川崎に目を向けながら抗弁しようとする。


「...お前達では、この御仁には到底敵わぬよ」

 川崎はポツリと呟くように言いながら、右手を挙げて二人を制した。

 二人の従者は川崎に気圧されると同時にケースを下ろす。


「...」

 松野は川崎と従者たちに浅く一礼し、やおら腰をおろした。


 またも続く静寂...。

 

 コンコンコンッ


「失礼します...」

 静寂を破り、同僚の藤野がうやうやしく入室してきた。

 盆にのせられたカップは施された装飾がいやに目を引く他、重心からして人間工学に基づいていないことが一目で分かる構造をしている。

 それでも恐らくここにある備品の中で最も恰好がつくモノなのだろう。


「御茶ね...君、ありがとう」

 川崎は藤野を一瞥しながら、人差し指と中指で持ち手を掴み紅茶を口に含んだ。


(体躯に似合わず、優雅なことだ)

 松野はそんなことを考えた。

 と同時に、川崎の後ろに控える従者たちが、屈んだ藤野の豊満な臀部や胸部に視線を移した一瞬を、松野は見逃すことができなかった。


「フフッ」

 南無三しまった...松野は堪えきれなかった。


「何が可笑しいのかね?」

 川崎は松野の顔を覗き込む。


「いえ...お二人とも、その...あまりにもお粗末・・・なものだなぁと思ったもんですから」

「何ぃッ!?」

 従者達は、またもケースを松野に向けた。

「やめぬか!」

 川崎からの本日二度目の叱責。


「はっ...申し訳ありません」

 二人は同時に謝罪の弁を述べ深々と頭をさげた。


 藤野は一瞬肩を震わせ反応したものの、すぐに松野へ目配せした後、一礼し退室した。

「すまないねぇ、松野君。」

 川崎は松野へ膝に手をつきながら頭を下げた。

「いえ...私、礼を失しておりました」

 松野は張り付いたような笑みを浮かべながら言った。


「いやいや、この者たちは私が再教育・・・をしておくから...まぁ君が今、この生活に満足しているなら仕方ない。今日のところは、お暇するよ...」


「はぁ…」


「まぁ、いやでも醒めねばならぬ日がくるだろうな...」

 そう言って、川崎と従者達は去っていった。


開闢の おとぞきこえし 八洲の

      何処にいずるか せんらんの種


 歌人 永井 華親 1952年6月、作。


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