第12話「俺のやるべきことは……」
それはボロ布のような黒いローブに身を包み、柱ほどの大きさの大鎌を握った、巨大な骸骨頭の霊だった。
「うそ……!?どうして
王女様の驚く声が、霊廟にこだまする。
死霊王と呼ばれたそれは、俺達の存在を認めるなり、ゆっくりとこちらを振り向いた。
見上げるほどの巨体。その眼窩の奥に灯った赤い光が、不気味に揺らめく。
「あれ……なに……?」
「ほ、ほほほ本物の……モンスター……!?」
「幽霊……だよね……?うそ、見えてる……?」
冷たい死の気配を孕んだ視線に、背筋が凍てつくような感触を覚える。
王女様や他の4人も同じものを感じているようで、その場に縫い止められたように立ちすくんでいた。
「なんなんだよ、このデカいのは!?」
「
死霊の王者を見上げるグレゴリー司祭は、驚愕をあらわにした表情で叫んだ。
「その声は……あ、姉上ぇぇぇ!!」
すると死霊王の足元から、なにやら情けない絶叫が聞こえてくる。
声のした方に目を向けると、銀髪の少年が何度も腰を抜かしそうになりながら、こちらへと走ってきた。
その後ろには、死霊王を見上げながら盾と槍を構える2人の兵士が、後退するように付き従う。
「ロア!?あんたなんでここに居るのよ!?」
「そ、それは……」
銀髪の少年は、何やら気まずそうに口ごもる。
見たところ王女様より2つほど歳が下に見えるけど、弟とかなんだろうか?
「ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ!!」
すると、死霊王が手にした鎌を、多くの声が入り交じったような叫びと共に振り下ろす。
まずい、あの大きさだと直撃しなくても衝撃で吹き飛ばされる!
反射的に身構えたその時、白い影が勢いよく飛び出した。
「させるかよ!」
両脚をバネのようにして跳躍したヴァンが、全身から眩い光を放つ。
光は死霊王の目を眩ませたようで、死霊王はローブの袖で顔を覆って狼狽した。
「ロア王子、事の顛末を説明して頂けますかな?」
「うぇ、グレゴリー!?お前まで来てるのかよ……」
グレゴリー司祭の顔を見るなり、余計にバツの悪そうな顔をする少年。
王子ということは、やはり王女様の弟らしい。
「いいから説明しなさい。今のあんたには、その義務があるのよ」
王子はしばらく目を泳がせるも、眼前の死霊王を見上げた後に、やがてポツポツと語り始めた。
「勇者が揃って父上からの要請を突っぱねたって聞いて……だったら、僕が先に天聖獣からの祝福を受けて勇者になれば、父上もお喜びになるかと思い……」
あれ?俺も突っぱねた側に含まれてるような伝わり方してない?
思わず他の4人へ目をやると、各々程度の差はあれ気まずそうな顔をしている。
眼鏡の青年だけが素知らぬ顔をしている辺り、本当にいい性格してるなこいつ……。
「あんた……何馬鹿なこと考えてんのよ!?」
「まあまあリア様、落ち着きなされ。それでロア様、あの死霊王はどこから現れたのです?」
「それが、扉の錠を外して足を踏み入れた後、いきなり背後から現れて……」
「いきなり、ですと?」
グレゴリー司祭が顎に手を添える。
王女様は守衛らしき2人の兵士に目を向けた。
「あなたたちは何も見てないの?」
「いえ、私には何も……」
「私は見ました!我々2人の間を素早くすり抜けていく、影のようなものを!」
守衛たちは、槍の先端から青いビームのようなものを放ちながら、死霊王を撹乱しているヴァンを援護している。
一方ヴァンはというと、死霊王の意識が俺たちに向かないよう、浮遊する死霊王の足元を縦横無尽に走り回っていた。
死霊王から攻撃の様子を感じた瞬間、身体を発光させて目を眩ませる事で動きを阻害する。
これを繰り返すことで、俺たちが情報を共有できる時間を稼いでいるんだ。
しかもヴァンは、予めどれくらいの時間を稼げるかなんて宣言はしなかった。
きっと、情報共有が済むまでは可能な限りもたせるつもりなんだろう。
まさに仕事人。これが王女の護衛としての立ち回り……。
ヴァン……お前、すごくかっけぇよ……。
「ふむ……。どうやら通路の暗がりに隠れ潜み、霊廟への扉が開く瞬間を狙っていたようじゃな……」
「たかが
「王といえど、その実態は怨念の集合体。常時ならそのように理性的な思考を持ち合わせる事など有り得ぬ。どうやら魔王軍には、中々腕のたつ
司祭の言葉に、王子の表情が驚愕に染まる。
この世界の事象には門外漢な俺だけど、司祭の言ってることは何となく分かるぞ。
この
「奴の狙いは、おそらく天聖獣です!奴は私たちには目もくれず、石像を狙っておりました!」
「鎌を振り下ろして壊そうとしておりましたが、あまりの硬さに弾かれたのです。弾かれた鎌が霊廟の天井に当たるほどに!」
ああ、さっきの揺れはそういうことだったのか。
って、狙いは石像だって!?
「王女様、あの石像がさっき話していた天聖獣なんですよね?」
「ええ、そうよ。まさかあいつ、石像を砕く気!?」
「それ、かなり不味いですよね!?」
「冗談じゃないわ!?」
霊廟の奥に並ぶ五つの石像に目をやる。
左から順に、蛇、ユニコーン、ドラゴン、鳥、牛の石像だ。
それぞれ腰を降ろしたり、翼をたたんだり、とぐろを巻いたりしたポーズで、その眉間には宝玉がはまっている。どう見ても石で出来た精巧な巨像にしか見えない。
しかし、どことなく生命を感じるのも確かだ。
今にも吐息が聞こえてきそうな気配すらある。
ふと、小さい頃に見たヒーロー番組の一つを思い出す。
そのヒーローは石像となって深い眠りについており、選ばれし者が触れることで目を覚ます設定だ。
しかし、眠っている間は無防備であり、ヒーローと共に眠りについていた仲間は悪の手先に破壊されてしまう。その後、破壊された仲間が復活することはなかった。
今の状況は、まさにその展開と同じじゃないか!?
「グレゴリー司祭、天聖獣はどうすれば目覚めるのですか!?」
「天聖獣の声に呼ばれし勇者が聖なる武器を引き抜く時、目を覚ますと伝わっております」
「聖なる武器……」
石像の下へ目を向けると、そこには石造りの四角い台座が鎮座している。
台座の上には、鈍い光沢を放つ五つの武器があった。
鳥の前には弓が。ユニコーンの前には槍が。蛇の前には錫杖が。牛の前には大盾が。
そしてドラゴンの前には、真っ直ぐな刀身をもつ剣がそれぞれ突き刺さっている。
「あれを引き抜けば……」
「ぐあああっ!」
耳をつんざく悲痛な叫びに、思わず振り向く。
声の主はヴァンだった。動きを見切られたのか、死霊王に吹っ飛ばされて床に身体を叩き付けられ転がっていた。
「ヴァン!」
「リア様、危険です!」
「ゴハッ……ぐぅぅ!?」
王女様とグレゴリー司祭が血相を変え、慌てて駆け寄っていく。
ヴァンは全身擦り傷だらけで、口からも血反吐を吐いていた。
王女様はヴァンを抱えようと膝をつく。
「来るんじゃねぇ! 俺の血でそのドレスを汚させんな!」
「ヴァン……」
ヴァンはヨロヨロと立ち上がると、4本の脚を踏ん張らせ、死霊王を睨みつけた。
「駄目! ヴァン、それ以上はアンタが死んじゃう!」
「だがお前とロアが逃げる時間くらいなら作れる! この場に残って良いのは、戦えるやつだけだ!」
「ッ……!!」
一撃受けただけでもボロボロにされる。戦い続ければ死ぬかもしれない。
それでも、自分よりも強大な敵を前に一歩も引かない。力を振り絞って立ち上がる。
王女の護衛、その役職を誇りとして背負う獣の背中に、俺は思わず見蕩れていた。
同時に、そんなヴァンを見て唇を噛み締めている王女様の姿が視界に入る。
その表情には、強い葛藤が見えた。
ヴァンの言うことは尤もだ。この国の王女と王子である彼女たちに死なれては、護衛の立場がない。
しかし、これ以上ヴァンを戦わせれば、彼は死んでしまうだろう。王女様はそれに気づいている。だから、ヴァンにも逃げて欲しいと思っているんだろう。
なら、俺のやるべきことは……。
□□□
「チョコ……マカ、ト……目障リナ……犬ッコロ、メガ……」
地の底から響くような低い声に、思わず頭上を見上げる。
声の主は顎骨をカラカラと鳴らしながら、私たちを見下ろしていた。
「ウソ……死霊王が、喋ってる……!?」
「そんな、絶対に有り得ん! 怨念の集合体である
背後からグレゴリーの驚く声が聞こえてくる。
聖職者であるグレゴリーですら驚いているのだから、少なくとも前例がないのだろう。
元来、既に死した存在である死霊に『王』は存在しえない。死霊王という名前も、あくまで死霊の集合体に便宜上つけられた名前だ。
そして、集合体である時点で単一の自我は存在しない。ただ寄り集まった怨念の赴くままに、墓場を彷徨い生者を襲う。それだけの習性であるはずだ。
そも、スケルトンならともかく、大鎌を武器にする死霊なんて聞いたことがない。
この死霊王は普通じゃない!
それに気がついたとき、全身の毛穴がぞわりと逆立った。
「天聖獣、ノ……石像……破壊スル……」
すると、死霊王は私たちの方にくるりと背を向け、再び石像の方へと向き直った。
「おい、まだ俺は倒れちゃいねぇぞ!」
「……」
「おい! 聞こえてんのゴハッ! ゲホッゲホッ……」
「ヴァン! あまり喋らないで!」
さっきまで戦っていたヴァンには、まるで興味が失せたように無反応だ。
あくまで最優先なのは、石像の破壊なんだろう。
「やはり、ここは私が……」
「グレゴリー、それは絶対に駄目!」
「しかし……」
「悪化したらどうすんのよ!」
グレゴリーが、悔しげに両の手を握りしめる。
その両手はあの日魔王を退けて以来、白い手袋で覆われていた。
魔王軍を退けた代償だ。今のグレゴリーは魔法が使えない。
認めたくはない。けど、認めざるを得ない。
今この場に、あの死霊王を倒しうる戦力は存在しない。
唯一の希望は、召喚された5人の勇者だ。
でも……私は彼らに頼りたくはなかった。
だって、それは……。
「姉上、今の内に逃げよう! どうせ石像は、奴には壊せないんだから!」
「ロア王子の仰る通りです! せめて霊廟の外までお下がりください!」
ロアと兵士たちが駆け寄ってくる。
その提案は当然のものだ。
私たちはこの国の未来を担う立場。自ら危険に飛び込んでいい立場じゃない。
悔しいけど、誰も死なせないためにはそれしかない。私は腰を上げると、兵士たちの方を振り返った。
「2人はヴァンを運んで」
「リア、俺はまだ……」
「私の護衛なら、易々と命投げんな! 馬鹿!」
「ッ……!」
ヴァンはそれ以上何も言わなかった。
大人しく兵士たちに身体を預け、霊廟の入り口へと向かっていく。
それを見届けた私は、勇者たちの方へと顔を向けた。
「あんたたちも。ここは一時撤退よ」
「え……でも、天聖獣は……」
気弱そうなのが困惑したように呟く。
呆れた。死霊王を前に怖じ気づいて何も言えなくなっていたのに、大事なことは忘れていないみたいだ。
「いいから今は……って、ちょっと!?」
その時、私は思わず叫んでいた。
1人足りなかった。タツヤだけがそこに居なかったのだ。
「タツヤはどこいったのよ!?」
「ん? あ!? あの真面目野郎、あんなところに!」
「はぁ!?」
軽薄メガネが指さした先は、ドラゴンの石像の足下。
そこには、台座から剣を引き抜こうとしているタツヤの姿があった。
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