序章「汝は勇者なりや?」
第1話「勇者凱旋祭」
号砲が空で弾け、人々の歓声が街を覆い尽くす。
その日、リュコス王国の城下町は普段以上の賑わいを見せていた。
市場は彩り豊かに飾られ、食べ物やお面、中には珍品を売り出している露店や、景品を並べた屋台などといった店が連なる。
「天聖まんじゅう~、天聖まんじゅうはいりませんか~」
「魔除けの面だよ~。これさえあれば魔獣はたちまち退散、旅のお供から畑の見張りまで便利に使えるよ~」
「そこの坊ちゃん、買ってかないかい? 勇者様の剣、お買い得だよ~」
所狭しと並んだ店からは、食欲を刺激する匂いが立ち上り、子どもが両親に食べたいとねだる姿が散見され。
街角では大道芸人がジャグリングや奇術を披露し、足を止めた通行人が拍手を送る。
ゆるやかに吹き抜ける風は、そんな匂いや歓声を乗せ、石造りの街道を吹き抜ける。
広場には舞台が設けられ、張られた横断幕には『第50回 勇者凱旋祭』と、この賑わいの理由となっている祭りの名が書かれていた。
また、この街を行き交っているのは、人々だけでない。
様々な姿の動物たちが、人間と共に街道を行き交う姿が多々見受けられた。
「いつもより多いけど、大丈夫か?」
「なぁに、このくらいまだまだ軽い方さ」
「郵便チュ~ン。ハンコお願いチュ~ン」
「気を抜くなよ。今日は一段と警戒が必要なんだからな」
「わかってるって。でも今日が非番のやつらが羨まし~!」
街の広場へと向かって、サイのような動物が資材を載せた荷車を運ぶ。
空には郵便物が入ったカバンを提げた鳥のような動物が飛び回り、街中を巡回している兵士たちは虎や獅子のような動物と共に歩いている。
祭りの予定表の中には、王国軍のワイバーンによる曲芸飛行も予定されており、今年は例年以上に賑やかな催しになるだろう。
ここはリュコス王国。この大陸に存在する四王国の中でも、最も魔法の発展に力を入れている国であり、『聖獣』と呼ばれる存在が人々と共に生活している大都市である。
年に一度の凱旋祭、国民の熱気が高まるのも当然だろう。
その熱狂の中心、この国の王が座する王城の一角にて。
一人の少女が、深くため息をついていた。
「はぁ~~~~~退屈」
陽光を反射し、清流のようにきらめく長い銀髪。
雪のように白い肌と整った顔立ちは、誰もが振り向く美人と形容して差し支えないだろう。
上品なドレスに身を包み、髪の上には上品なティアラが輝く。
それほどの恵まれた容姿を持つ少女が、窓に顎肘をつき、不機嫌そうな表情で街を見下ろしていた。
「これこれ、第二王女ともあろうお方がだらしないですぞ」
少女をたしなめるように声をかけたのは、修道僧の礼服に身を包み、もじゃもじゃとした顎髭を長く伸ばした白髪混じりの老人。
少女は顎肘を着いたまま、老人にチラリと視線を向けた。
「ため息のひとつもつかなきゃやってけないわよ」
「勇者凱旋祭、それも記念すべき50年目の節目ですぞ。もっと楽しんでもよろしいのではないですかな?」
「ええそうね。もっと気楽にここを抜け出せるなら、今すぐにでもお祭りの出店を駆け巡りたいわ」
「今日のリア様には、我が国の未来を担う王女としての振る舞いが求められますからなぁ。各国の皇太子様なども来国されますが故、顔を出さないわけにはいかないのですよ」
来賓。その一言に、リアの眉が八の字に曲がった。
「そう、それ! あのクソ親父の威厳のために、見世物にされなくちゃいけないってのがムカつくのよね。私やお姉様の自由はどうなってるっていうのよ!!」
両腕を振り下ろしながら、司祭を振り返るリア王女。
司祭はホッホッホ、と静かに笑った。
「お気持ちはよく分かります。しかし、リア様ももう19歳ですからなぁ。いつまでも奔放でいられると、お父上も困るのでしょう」
「グレゴリー、あんたどっちの味方なのよ?」
「私はもちろん、リア様の味方でございますよ」
「なら、私がここを抜け出して、市場の出店で遊んでこられるように知恵を貸してくれないかしら?」
「ホッホッホ、困ったものですなぁ」
困ったなどと言いつつも、その表情は好々爺のそれ。
何だかんだ言いながらも、リアが幼少の頃より懐いている司祭にとって、この程度のワガママは日常茶飯事らしい。
「あ~あ、退屈。何か騒ぎでも起きないかしら」
「これこれリア様、あまりそのような事を仰るものではありませんぞ」
そこへ、部屋のドアを叩くノックの音が響く。
「リア様、そろそろお時間です」
ドアの向こうで、侍女の呼ぶ声がする。
「はぁ~い……。はぁ、最悪」
リアはもう一度ため息をつくと、肩を落として窓を離れる。
まるで処刑台へと向かう囚人のような足取りで、部屋を後にする彼女の背を、グレゴリーは苦笑いしながら見送った。
□□□
午前10時頃。
王国の中心には、円形の広場が存在する。
中心にはかつて世界を救った勇者と、共に戦った最上位の聖獣を象った石像が建てられており、石像の周囲は噴水となっている。
人々の憩いの場であり、普段は王国の民の待ち合わせ場所や子どもたちの遊び場、更には聖獣たちの水飲み場としても利用されている場所だ。
そこに建てられた舞台の壇上で、リュコス王国の現国王……もといクソ親父は、集まった国民たちを見回した。
「大陸全土より足を運んでくれた全ての民よ。本日は我がリュコス王国の、記念すべき50年目の勇者凱旋祭に来てくれたことを嬉しく思う」
クソ親父の野太い声が、魔道具を通して広場一帯に響き渡る。
私は演壇の後ろに並べられた席に座りながら、その背中を睨むように見つめていた。
(なにが我がリュコス王国の、よ。確かに勇者を召喚したのはこの国だけど、このお祭りは勇者が魔王を倒した日を記念してのものでしょうが!)
心の中で悪態をつきながらも、顔に出さないよう全力で表情を取り繕う。
来賓席に目を向けてみれば、亜人の国から来た獣頭の特使が眉間に皺を寄せているのが見えた。
ああ、やっぱり他の国の人から見てもウザいんだ……。
目が合うときまずそうだし、それは見なかったことにして視線を戻す。
「50年前、魔王ヴァーエル率いる魔王軍が大陸全土を脅かし、我らは未曾有の危機に陥った。しかし、異世界より召喚されし勇者と、我らを守護せし天聖獣の一柱がヴァーエルを討ち倒し、平穏は再び我らの手に取り戻されたのである。戦いの後、勇者と天聖獣は姿を消したが、我らはその雄姿を永遠に忘れることないだろう」
そこで言葉を区切ると、クソ親父は右手を高く掲げた。
「今ここに、第50回勇者凱旋祭の開催を宣言する!」
宣言と同時に、広場に歓声が湧き上がる。
その光景を眺めながら、私は深く嘆息した。
この式典が終わった後、私は各国からの招待客の前で、彼らに挨拶しなくちゃならない。
しかもクソ親父は、私を政略結婚に使おうと企んでいる。つまり、特使たちに顔を合わせることは、娘をアピールする目的も含まれているのだ。
病弱なお姉様や、後継を任せるつもりでいる弟には任せられない役割だ。
これまでは毎年のように城を抜け出して、一日中街を逃げ回ってなんとか回避してきた。
でも、今年ばかりは抜け出せない。節目の年に王女が式典をすっぽかすなんて、クソ親父はともかくお母様の顔にも泥を塗ることになるもの。
「……ほんと、早く終わってくれないかしら」
誰にも聞こえないように小さく呟きながら、再びため息をつく。
「リア、これも執務よ。我慢なさい」
「申し訳ありません、お母様」
私の右隣に座るお母様にたしなめられ、私は姿勢を正す。
視線を戻すと、挨拶を終えたクソ親父が壇上を降り、司会進行役のグレゴリーが前に出るところだ。
「それでは、まずは各国の来賓の方々にご挨拶をしていただきましょう。それでは、まずは東の──」
そのときだった。
グレゴリーの声を遮る轟音、甲高い警笛音が町中に轟く。
災害などの緊急時に吹き鳴らされる角笛の音だ。
「なに……警報!?」
「何事だ!?」
会場の誰もが言葉を失う中、暗雲が瞬く間に空を覆い尽くしていく。
暗雲は渦を巻き、やがて黒い稲妻が轟いた。
稲妻は広場の中心にそびえる石像を木っ端みじんに粉砕し、粉塵が巻き上がった。
石像の周辺にいた人々や聖獣たちが慌ててその場から離れていく。
やがて、粉塵の中から人影が現れる。
近衛兵たちが槍を構え、兵士職の聖獣たちが牙を剥いた。
「動くな! 貴様、何者だ!」
人影はゆっくりと立ち上がると、その背にはためくマントを翻す。
その瞬間、周囲を舞っていた粉塵が消え去り、衛兵たちはボウリングのピンのように吹っ飛んだ。
「なんだ、コイツは……」
兵士たちの驚愕が伝わってくる。
離れた場所から見ているだけなのに、私の背筋に冷たいものが走っていた。
「何者か、だと? 無礼な。御前であるぞ」
それは、全身を漆黒の鎧に包んだ男。
夜の暗闇よりもずっと深い、深淵を全身に塗ったような黒さだった。
顔は兜で見えない。マントも鎧と同様に黒く、まるで影でも着込んだかのようだ。
「なに……あれ……」
私の口からこぼれた言葉に応えるように、そいつは名乗りを上げた。
「我が名はヴァーエルⅡ世! 魔王ヴァーエルの後継にして、この国を滅ぼす復讐者である!」
男は高々と宣言する。
魔王の後継。その言葉に国民たちが、聖獣たちが、そして各国の来賓たちがどよめいた。
「リュコスの国王と、その愚昧なる民どもよ。この国は既に、我が軍勢によって包囲されている」
「無礼者め! 突然現れ、何を言い出すかと思えば……そんなバカな話があるわけが──」
「国王様、失礼致します」
クソ親父の言葉を遮るように、近衛隊長が耳打ちする。
(監視塔からの報告ですが、城壁を囲うようにおびただしい数の魔獣が押し寄せているようです)
キレ気味だったクソ親父の目付きが変わった。
「なんじゃと……!? 本当に包囲されているというのか!?」
「我が言葉を疑うならば、数で語ろう。既に王都の外壁の向こうには、120万の我が軍勢が待機している。我が命ずれば城門より押し寄せ、この国を蹂躙する手筈となっているぞ」
そう言って魔王は、空に手をかざす。
すると、突然虚空に楕円形の『窓』が出現した。
いや、あれは窓なんかじゃない。
おそらく『鏡』だ。
「こ、これは!?」
「なんなの、あれ……」
「まあ……」
鏡に映し出されていたのは、おそらく城壁の向こう側の様子。
そこにはヴァーエルⅡ世とやらの言う通り、おびただしい数の魔獣が整列していた。
キラーウルフやストライクボアーといった、森や野山に生息するもの。
砂漠地帯の巨大な捕食者、ジャイアントワームやサンドスコーピオンもいる。
三つ首蛇の群れなどは、見ているだけで鳥肌が立ちそうだ。
中にはアラクネーや人喰い虫も居る。姉様が見たら卒倒していたかもしれない。
住処も種族もバラバラな魔獣たちが、一様に整列している光景は、とても異様なものだった。
それぞれ、体の一部に何か金属の鎧のようなものを付けているのが、唯一の共通点だろうか?
「我が前にひれ伏せ。さもなくば死だ」
腰から剣を抜き、ヴァーエルⅡ世は一歩ずつこちらへと歩みを進める。
国民たちは腰を抜かしながら後退り、人垣が左右に開く。
舞台の下までは、自然と道ができていた。
「と、止まれ! 止まらなければ……」
「なんだ? 我を殺すか?」
近衛兵たちは槍と盾を構え、魔王を威嚇している。
だが、兵士たちも足が震えていた。
当然だ。魔王軍が倒されてからこの50年、これほどの脅威が姿を現したことはない。
私たち王族だけではない。国の民たちも、兵士たちも、誰もがこういった厄災への恐怖を忘れかけていた事を実感させられた。
「「させるかぁぁぁっ!!」」
その時、近衛隊の中から二つの影が飛び出す。
「魔王だか何だか知らんが、俺達の国を好きにはさせん!!」
近衛隊に所属する聖獣の一体、イノシシ型の聖獣がヴァーエルⅡ世へと突進していく。
あの聖獣は確か、近衛兵の中でも切り込み隊長として知られていたはずだ。
突進するだけで鉄製の大盾に余裕で穴を開け、低級の防御魔法すらその身一つで突破する力を誇っている。
「貴様の首を落とせば、それで終いよなぁ!!」
その聖獣に騎乗しているのはイノシシの相棒で、近衛兵の一番槍と呼ばれる兵士。
魔鋼の槍と盾ひとつで、あらゆる困難に立ち向かってきた歴戦の猛者だ。
近衛隊の中で最も血気盛んで、常に隊の指揮を高めてきた最強の二人。
敵の数に怖気付いていた兵士たちも、おそらく彼らの後に続くだろう。
そう思っていた、のだが……。
「フンッ!」
「は……!?」
「ブヒィッ!?」
瞬間、この場の誰もが絶句した。
猪突猛進に突っ込んだその聖獣と兵士は次の瞬間、魔王の振り下ろした一撃によって真っ二つに切り裂かれた。
剣を振るったことにすら気がつかない速さで放たれた斬撃。肉屋の奥に吊された枝肉のようになったそれらは、ドサッと重たい音を立てて落下する。
「うわああああああっ!!!」
恐怖に耐えきれなかったのだろう。誰かの悲鳴が合図となった。
悲鳴を上げながら逃げ惑う群衆。武器を捨てて逃げ出す新兵。
そして、絶叫と共に長槍ひとつで突撃し始める兵士たち。
もしかするとその絶叫は、目の前の絶望に抗うために、己を奮い立たせるための雄叫びだったのかもしれない。
「ハアァッ!」
「愚かな……」
「ぐああっ!」
「ぎゃふっ!?」
しかし、結果は同じだった。
魔王はその身に槍の先を掠めることすら許さず、一歩ずつこちらへと歩いてくる。
魔王が進むごとに、兵士が一人、また一人と死んでいく。
四方から魔王を囲んで挟撃を仕掛けた兵士と聖獣が、魔王の放つ衝撃波で吹き飛ばされる。
気がつけば、たったひとり残った近衛兵が舞台のすぐ下で尻餅をついていた。
「皆様、どうか安全な場所までお逃げください」
「グレゴリー……?」
困惑する私の前で、グレゴリーは舞台を飛び降りた。
「グレゴリー、ちょっと!?」
「リア、逃げますよ」
「でも……!」
お母様が私の手を強く握ってくる。
「奴なら大丈夫だ! 今の内に逃げるぞ!」
「私たちが死んだら、この国は魔王の思うままにされるわ。この場から逃げることが、今の私たちの責務なのです」
「ですが……!」
「いいから早くしろ!」
「行きますよ」
「ちょっと!?」
お母様に手を引かれ、私は強引に引きずられるように走り出す。
遠ざかっていくグレゴリーの背中が、私の瞳に焼き付いていた。
□□□
「ひぃっ……た、助けて……」
怯えきって戦意を喪失している近衛兵は、魔王に命乞いを始める。
魔王はそんな彼を見つめながら、静かに口を開いた。
「哀れな……。せめて、一瞬で楽にしてやる」
そう言って魔王は近衛兵の首へと剣を突き付ける。
死を覚悟し、両目を閉じたその時だった。
「魔王の後継を名乗る者よ! 私が相手だ!」
魔王が視線を寄越すと、そこには初老の司祭がこちらへ向かって来る姿があった。
「貴様……グレゴリーか」
「はて、どこかで会ったかな」
「思い出さずとも結構。愚かな王を護るなら、貴様も斬るだけよ」
「ならばやってみるがいい」
グレゴリーは、羽織っていたローブを脱ぎ捨てる。
そして拳を握ると、石畳を勢いよく蹴った。
直後、重たい音が響き渡る。
近衛兵が見上げると、そこには剣を横にして防御の姿勢を取っている魔王の姿が。
そして、魔王の剣に拳をぶつけるグレゴリー司祭の姿があった。
「離れよ。お前さんは、リア様達をお守りするのじゃ」
「は、はいぃ!!」
グレゴリーの言葉に、近衛兵は慌てて立ち上がると舞台の裏へと走っていった。
「貴様……ただの司祭ではなかったのか」
「聖職者たるもの、心身共に健やかであるべき。それが一族の家訓でのう」
魔王はグレゴリーの拳を跳ね除けると、数歩飛び退いて構え直す。
グレゴリーもまた、魔法陣に囲われた両拳を構え直し、ヴァーエルⅡ世を真っ直ぐ見据える。
「よかろう、爺とて加減はせん。せめて楽に殺してやろう」
「爺となめてかかるなよ、若造」
暗雲立ち込める中央広場で、魔王と司祭による1対1の戦いが始まった。
この日、50年目の勇者凱旋祭はリュコス王国にとって最悪の日になった。
物語が動き始めるのは、ここから2週間後の事である。
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