Curious!

yokamite

Ignorance is Bliss

 窓から差し込む緋色の夕闇に今にも包まれようかという放課後の教室。僕は定期試験で赤点を取った訳でも、生徒指導の対象になるような非行に走った訳でもないのに、何故か誰も居なくなった教室で1人、居残りを命じられていた。──そう、何を目論んでいるのか、僕の隣で試験管をしゃかしゃかと上下に振って中身を攪拌こうはんさせている、この人に。


「後輩くん!遂に完成だ...!私が持てる全ての叡知えいちと積年の研究データを結集させた超大作がね...!」


 感慨深げに高らかと宣言して、そのとやらを誇らしげに見せつけてくる先輩に、俺は思わず溜息を漏らす。


「先輩、それ、ただのジュースですよね...。」


 レモンの搾りかすに牛乳、卵の殻、そしてオロナミンCの空き瓶が数本、机に散乱した状態で乱雑に放置されているのが目に入る。


「侮ることなかれよ!この度、オロナミンCに牛乳を混ぜたら美味しいという情報を匿名の情報筋から入手した。これは今までの研究成果とも組み合わせて検証してみるほかなかろう?」


「匿名の情報筋って、ただの同級生ですよね...。それに何で俺まで先輩の好奇心に付き合わされなければならないんですか...?」


「そんなもの、研究者である私自身が検証したところで主観的な感想になってしまうだけで意味がないからだ。こういうのは、客観的な第三者による意見が必要なのだよ。」


「単に不味そうだから自分で飲みたくないだけですよね...。」


 僕は科学部に所属する高校2年生だ。そしてここは科学部の部室で、本来であれば部活動の時間はとっくに終了している下校時刻だ。だが、俺はこうして時折同じ科学部に所属する先輩のプライベートな実験に付き合わされては、研究サンプルを取るためだと称してゲテモノを摂取させられている。


 科学部は現時点で僕たち2人だけで、廃部の危機に瀕している。理由は何となく察しが付くのだが、高校3年生の先輩が部長に就任してからというもの彼女の破天荒な性格に付き合い切れなくなった部員が立て続けに退部、今に至るという訳だ。


 ──では何故僕も退部を申し出ないのかって...?それは...。


 誠不本意ながら、僕は彼女のことが恋愛対象としてなのだ。性格にさえ目を瞑れば彼女は美人と言い切ることができるほどの容姿を持っている。それに、こうして毎日のように放課後の教室で彼女の奇行に振り回されながら共に過ごしているうちに、どこか彼女の内面にも惹かれていく自分が居ることを否定しきれないのが、何とも悔しい。


「おい後輩くん。何をボケっと突っ立っているのかね。覚悟を決めて、さっさとグイっと行きたまえよ。男の子だろう...?」


 僕は先輩に促されるままに、ええいままよと試験管の中身をあおる。


「どうだ...?我が自信作の味は?」


「う...。」


「う...?」


 ──うぐっ...。なんだこれは。卵黄のねっとりとした舌触りに牛乳の臭みとオロナミンCの甘味がミスマッチして、吐き出すのを堪えるので精一杯だ。僕は10秒ほどかけて、口内に纏わりつく液体を何とか嚥下えんげして言い放つ。


「はっきり言います。クソ不味いです!」


「ふむ...。やはりか。牛乳と5:5で割ったときは悪くなかったと言うのに、流石にやり過ぎたか。」


「わかってたなら、態々わざわざ僕を実験体にしないでくださいよ...!」


 ──まただ。結局こうして彼女は、僕の苦しみに悶える憐れな反応を楽しみたいがために僕を弄ぶ。


「まあまあ、そうカリカリしなさんな。ほらこれ、口直しの本物だよ。」


 そういって先輩は僕に1本、未開封のオロナミンCを渡した。僕は勢い良く栓を抜いて一気にそれを飲み干した。


「それにしても不可思議だな...。科学部に入部してからというもの、私は知りたいことがあればその日のうちに調べ、実験し、証明してきた。だから今まで、私の知的好奇心は過不足なく満たされてきた...。」


 そういって先輩は顎に手をあてて悩み憂うように語りだす。


「だが、最近どうしてもわからないことがあるんだ...。」


 先輩が分からないことなら、僕にも知りようがないだろう。そんなこと相談されても、僕に力になれることはない。そう思っていた僕は、先輩の次の言葉に度肝を抜かれる。


「何故、君はいつも酷い目にあうと分かっていながら、私の好奇心を満たすための道楽に付き合ってくれるのかね...?」


 僕の心臓はどきりと、強く脈を打つ。──それは貴方のことが好きだから、1分1秒でも長く傍に居たいのですとは、口が裂けても打ち明けることはできない...。


「私は自分で言うのも何だが、自分勝手な変わり者だ。という欲求が抑えられないがために身勝手な振る舞いを繰り返してきた結果、周囲の人々はどんどんと私から距離を取るようになった...。」


「だが、それでも君だけは常に私の傍に居てくれた。私の我儘わがままに文句1つ言うことなく...。人間は利己的な生き物だ。見返りがなければ行動を起こすことはない、そうだろう?」


「は、はい...!」


 先輩の貫くような疑いの視線に、僕は思わず直立不動で硬直して、狼狽しながら返事をする。


「後輩くんにとって、私と共に居るとは一体何なのか、私は凄く興味があるな...!」


 先輩の性格上、一度好奇心を抱いた対象には死んでも執着するのが目に見えている。僕は彼女に好きだという気持ちを隠しているうちは、一生彼女から離れることはできないだろう。だが、それもいい。それでもいいと思ってしまう僕の頭も、なかなかに重篤だ。


「先輩...。」


「ん?なんだい...?」


 僕は意を決して先輩に告白する。


「もしその答えを知りたいのであれば、一生僕の傍に居てくれませんか...。」


 先輩は目を見開いて僕の言葉を噛み締めるように考え込む。聡明そうめいな彼女のことだ。僕が放ったこの一言で、僕の真意を汲み取って先輩への好意がばれてしまうかもしれない。そうしたら、謎が解けた先輩は僕に興味をなくしてしまうのかな。


 しかし先輩はうつむく僕の顔に触れ、何も言わずに唇を重ねて来た。


「これが私の答えだと言ったら、君はどうするのかな...?」


「君と一緒に居れば、私は一生退屈することはなさそうだ。」


 口に広がるオロナミンCの甘酸っぱい香りが、僕の初恋を祝福しているようだった。

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