最愛

青海老ハルヤ

最愛

 締め切った窓に靡かないカーテンを横目に、1人の女性が横たわっていた。白銀に染まった髪と継ぎ接ぎのような肌は、もう相当な年齢に達しているように思えるが、机の中にある健康保険証を調べてみれば、彼女がまだ40代であることが分かるだろう。

 1人用にしては広すぎる部屋は、ほとんどがぬいぐるみで埋まっていた。まるで随分と贅沢な家で育てられた少女のような。溢れんばかりの原色の中で、色が無いのはカーテンと女性だけだった。

 コンコン、とノックがあって、薄茶色の制服を着た職員の男性が入ってきた。青いボードを手に挟み、赤ちゃんを抱くようにクマのぬいぐるみを抱えている。山崎さん、と職員は呼んだ。

「山崎さん、お子さんがいらっしゃいましたよ」

 女性はゆっくりと体を起こした。細い目をさらに細めて、少しだけ口角を上げた。

「もうすぐ来る頃だと思っていたのよ、ね」

 女性はクマのぬいぐるみを受け取り、今度こそにっこりと笑った。子供をあやす様にクマのぬいぐるみをフラフラと揺らす。入院服を脱ぎぬいぐるみに乳をあげようとしているのを見て、職員は「外にいますからね」とだけ言って外に出た。

 扉を閉め切って、ようやく職員は息をついた。ドアの外で覗き見をしていたのだろう、後輩がハテナの表情を浮かべていた。「先輩、あれって」

「……察してるんだろ。言わんぞ」

 ここに入った時から既に精神もおかしくなっていたと言う。なぜうちが、という後輩のうかべた顔に職員は言った。

「山崎さんってのは……」

「戸賀さんの旧姓だ。夫がDVやるやつだったらしくてな。あとは聞くな」

 タイミングを見計らって職員がドアを開けると、女性は、顔がびしょ濡れになったクマを抱いていた。ドアを開けてからも何度もキスをしている。

「山崎さん、その子は明日学校でしょう、もう帰らなくちゃ」

 その言葉に女性はじっとぬいぐるみを見つめ、そして顔を歪ませたかと思うと、もう一度キスをした。そして、本当に大事そうにクマを職員に渡す。

「学校、頑張らなくちゃだもんね、そうだね、ありがとうね○○ちゃん、来てくれてありがとね」

 女性がそう矢継ぎ早に言ったのを背中で聞きながら、職員はドアを開けた。1度礼をして外に出る。ドアが閉まった途端、職員はクマを後輩に押付けた。

「洗っといてくれ」

「うわっ、ヨダレ着いたところを押し付けないでくださいよ、やりますけど」

「助かるよ」

 そう言って職員は手に着いたヨダレを洗いにトイレに行った。最初から手袋をしていればいいのだが、何故かそれに関して女性は厳しかった。手袋をつけていると怒るのだ。

 職員はため息をついた。

 

「山崎さん! 大丈夫ですか! 山崎さん!」

 声を掛けても返事が曖昧になっていた。家族――女性の両親だけだ――を呼んで、あとは駆けつけてきた医者がいくつか痛みを緩和する薬を打つ。

 両親が来て、そして、すうっと痛みに苦しんでいた顔の歪みが消えた。両親の他数名の職員に見守られながら、女性は医者が臨終を告げた。

 職員がドアから出ると、着いてきた後輩がため息をついた。初めてなのだと言う、人を看取ったのは。

「なんか、キツいっす。戸賀さんはまあ、あまり関わったことは無いっすけど……」

 後輩は俯いて言った。仕方がないのだ、そういう仕事だ。そんなことを口にしても、後輩は救われないだろう。職員が高弁を垂れてやろうかと頭の中を探った時だった。

 ふと思い返して職員室まで後輩を連れていき、あのクマのぬいぐるみを手に取った。しまった、と思った。亡くなる前に持っていけばよかった。しかし、違和感があって裏を向ける。この洗濯を後輩に押付けるようになってから気づいてなかったが、最近縫われたような跡があった。

 当然ながら職員は、遺品に勝手に手を出してはならない。しかし、職員は迷わずハサミに手を取った。縫い跡は背から尻まで続いていた。まるで着ぐるみのチャックのようだった。何が入っていると思えてならないほど綺麗に縫合されている。

 糸を切り終わって皮を開くと、綿の中に1枚の手紙があった。ぬいぐるみに似合うメルヘンチックな装飾が施されている。中身にはこう書いてあった。


 拝啓、職員さんたちへ

 介護していただきありがとうございました。今のところ、多少は苦しいですが、それでもここに来てから随分と楽になりました。

 皆さんには苦労をかけたと思います。戸賀なのに自分のことを山崎と言ったり、ぬいぐるみを自分の息子だと思ったり。夫のDVで息子を失い、夫は失踪した。そうして精神まで狂ったがん患者。大変だったでしょう。

 あれ、嘘です。すみませんね。

 2人とも私が殺しました。

 夫がDVをしていたのは本当だったので、夫が殺したように見せかけて息子を殺しました。なんで子供も殺したんでしょうね。自分でも分からない。本当に狂っていたのかも。

 夫はうちの庭に埋めてあります。でも案外警察も緩いもんですね。全然見つからないんだから。

 でも、これでやっとこれでDVから開放されると思ったのに。がんとかふざけんな。嫌だ、死にたくない。なんで私が死ななきゃいけないんだろう。もしあんたらがもっといい治療したら助かったんじゃないかしら。お金が必要だった? なら言ってくれれば保険金いっぱいあったのに。

 まあでも、死ぬまで誰にもバレたくなかったし、たとえ捕まっても解放されたかったから頭のおかしい振りをしました。死ぬまで留置所だったら病院のがマシ。

 この手紙はくまちゃんに隠します。ごめんねくまちゃん。でもこれいつ見つかるかしら。死ぬ前に見つかったらやだな。でも他のぬいぐるみだと気づいてくれなさそうだし。もし私が死ぬ前に見つけても職員さんなら隠していてくれるんじゃないですか? ww

 じゃあ私、死にます。さよなら。戸賀

 

「これって……」

「ああ、自供だな。さて、戻るぞ」

 職員は頭に着いているボタンを押すと、急に体が浮き上がる心地がした。そして、急に足に力が戻る。

 VRゴーグルを外すと、警察署内のとある部屋に職員――いや、警察官、屋島は居た。隣には後輩もゆっくりと体を動かしている。こちらに戻ってくるのは随分久々だった。

 VRを使った聞き取りはつい最近始まった。最初の被験者が彼女、戸賀だった。まるで語らない被験者に対し、ゆっくりと死が近づいてくる感覚が自供を促すというもの。当然ながら反対の声も多く、精神的拷問だという声もあると言う。ホスピスに入れるという意味不明な優しさもそのためだったが、反対派には効果は無いようだった。直ぐに規制されるに違いないので、規制される前に厄介者を吐かせる。その第1号に戸賀が選ばれたのだった。

「先輩」後輩が部屋を出ようとする男に対し口を開いた。

「人って、そんなに訳分からない存在でしたっけ」

「さあな。少なくとも、あいつは誰も愛してなかったってことだ。息子を狂気のアリバイに使うほどにはな」

 その女は別室で横たわっているはずだった。VR内の死が現実に作用することは無い。だが、しばらく起きることは無い。

「さて、その女が言った夫はもう見つかってる。あとは何枚かの紙を相手にするだけだ」

「うぇー、それが一番ヤなんすけどね」

 ふと、屋島は頭を触った。スイッチはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最愛 青海老ハルヤ @ebichiri99

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ