届かぬ声 ガラスの瞳

大柳未来

そのいち

「ごめんください……」

 ウチはくまのぬいぐるみを抱えて、お店に入る。このぬいぐるみをお迎えしたお店だった。あっちを見てもこっちを見てもぬいぐるみと目が合う。まるで絵本の中のような、アニメに出てきそうなお店だった。

 このお店に来た理由は、話すとちょっと長い。


 ウチにはいつもいつも一緒にいる友達がいた。

 この子はくまのぬいぐるみの『ぴーちゃん』。

 ぴーちゃんをお迎えしたきっかけは、幼稚園の頃に読んだ絵本だった。その絵本の主人公がくまのぬいぐるみと友達になって色々遊んでいたから、ウチもくまのぬいぐるみが欲しいってねだったのをはっきり覚えてる。


 お迎えしてしばらくしてから、ぴーちゃんとお話しできるようになった。ぴーちゃんはおまぬけさんだけど、ウチはそんなところが大好きだった。だけど……。


 「ただいま、ぴーちゃん」

 ママ、パパがいない家に一人、小学校からウチは帰ってきた。いつもだったら「おかえり、エミリ」って優しい声で返してくれるぴーちゃんは無視してくる。


 ウチが小学校四年になった頃から、ぴーちゃんはしゃべらなくなっちゃった。

「ぴーちゃん……」

 ウチはぴーちゃんを思いっきり抱きしめる。ぴーちゃんのふかふかの体は抱きしめててすごい良いんだけど、ここに「エミリ~、苦しいよ~」って返してくるのがいつもだったのに。


 ぴーちゃんは何も言わない。ウチは寂しかった。


 寂しさのせいで、ぴーちゃんが痛がることを考えないですっごく強く抱きしめちゃった。でもそのおかげで、ウチはぴーちゃんの奥にある『何か』に気づけたんだ。これは何だろう……?


「ごめんね。ぴーちゃん」

 ぴーちゃんの背中のチャックを開けて、綿の中に手を突っ込む。……あった。固い物をわしづかみにして、取り出した。それはちっちゃな黒い、四角い箱だった。


 箱の中にはお金と、手紙が入ってた。「君の大切な友達が、話せなくなっちゃったらこの子を買ったお店に来てね。もちろん、お友達も忘れずに一緒にね」って書いてあった。


 このお金を使って電車に乗って……ウチはこのお店に来たんだ。

「いらっしゃいませ。あら、その子と一緒に来てくれたのね。パパとママはどこ?」


 ぴーちゃんと会わせてくれたお店の人が奥からやってきた。黒いエプロンを着てる、切れ長な目のお姉さん。ずっと笑ってるように見える。きっとぬいぐるみに囲まれてるから幸せなんだなってウチは思ってる。


「ううん。一人で来ました」

「そっか、その子、お名前は?」

「ぴーちゃん」

「いい名前だね。ぴーちゃん。触ってもいい?」

「うん」


 お姉さんは笑顔のまま、ぴーちゃんを撫でてる。ゆっくり、ゆっくり撫でながら、じっとぴーちゃんを見つめてる。


「うん、幸せそうだね。どこも悪くないように見える」

「ぴーちゃんの言葉、分かるの?」

「いいや。大人は彼らとは話せない。でもね。毛並みを見て、大切にされてることは分かるんだよ」

「そっか……」


 ウチは床を見た。意味もなく木目を見る。木目の一部が顔みたいに見えて、それが困り顔のように見えた。今のウチみたい。


「君はぴーちゃんとよくお話してるの?」

「お話してた……最近はぴーちゃん、お返事してくれない。ずっとウチのこと無視する」

 口に出すと、胸が急に苦しくなってきた。なんでなんだろう。いきなりお姉さんの顔がぼやけた。我慢できない。顔が熱くなって、涙が止まんない。


「ぴっ、ぴーちゃん、うううウチのこと、嫌いに、なちゃったの、ひっく、かな」

「違う。それは違うよ。ぴーちゃんは今でもお返事してる。君が聞けなくなっちゃっただけなんだ」


 お姉さんはぴーちゃんじゃなくて、ウチを撫で始めた。笑顔をウチに向けて、ゆっくり話しかけてくる。

「どうすれば、ぴーちゃんの声また聞こえるようになる? ウチ何でもするからぴーちゃんとお話ししたい。ぴーちゃんとまた遊びたい……」


「簡単さ」

 お姉さんの目が開いた。お姉さんの黒目は真っ黒だった。ウチの知ってるどんな黒よりもずっと黒だった。目を閉じた時の黒よりも、夜空の黒よりも、絵の具の黒よりも、ずっとずっと黒かった。


「君もぴーちゃんの仲間になればいい。私ならそれができる。おいで。私がまた、ぴーちゃんとお話できるようにしてあげる」

 ウチはお姉さんと手を繋いで、お店の奥に連れてかれた。

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