元カノの娘を「先輩」と呼び、半年後に彼女から「お父さん」と呼ばれた

睡蓮

第1話 : ある一室で (プロローグ)

『IT業界の風雲児、引退』

『伝説のエンジニア、業界を去る』


 全国紙の経済面はある男性がオーナー会社の社長を退くことを一斉に報じていた。


「俺、こんなに有名だっけ」


 とある一室、小柄で淡いグレーのジャケットを羽織った男性が、机の上に何種類もの新聞を並べ、それぞれの見出しを見比べながら苦笑している。


「当たり前だろ、十九歳で社長になって、あっという間にこれだけの会社を作ったんだから」


 一緒に紙面を見ている同世代とおぼしき男性が、呆れた様子で言葉を返す。


「あまり気にしたことはないんだけど、ちょっと困った感じかな」

「あの学校でお前のことを知っている人間はあまりいないだろ」

「だといいんだがな」


 彼はあと半月で去る予定である自らの社長室で所在なさげに外を見た。


「お前の人生だからとかくは言わないが、良かったのか」

「そう思えるようにするために辞めるのさ」


 自らの決断を自らが納得できるよう、ゆっくりと話したあといつもの台詞を吐いた。


「青春したくなったのさ」


 

 栗原くりばる玄一げんいち 四十三歳、高校二年生の時に開発したシステム開発支援プログラムがヒットし、高校生にして千万長者に、そのまま上京して会社を立ち上げ続々と玄人受けするヒット作を産み出し、今や年間売上は百億円に迫ろうとしている。シンデレラストーリーを地で行くIT長者だ。



 上述の呼称の他、「天才プログラマー」とか「次世代のITリーダー」など多くの二つ名で呼ばれ、その世界で知らぬ者はいなかった。

 一方で人付き合いを殆どせず、時間があればディスプレイを睨み、キーボードを叩き、ノートに自分しか読めないような字でメモを書き走るという仕事一筋の生活をずっとしてきたせいで社内では「仕事廃人」、「コミュダメ社長」、「プラゼロ(プライベート・ゼロ)」などと呼ばれていた。


 そんな彼が四十路よそじ間際になり、ふと振り返ると自らの青春は全てコンピュータに献げてきたことに気が付いた。

 人に勧められるまま様々なものを手に入れてきた彼だが、誰もが持っているはずの大切なものがなかった。


 青春の思い出である。


 プログラム開発に興味を持って以来友人と遊ぶこともほぼなく、高校時代に偶々できた彼女とも数回デートらしきことをしただけで自然消滅、文化祭などのイベントも空気としてしかいられない状態で、コンピュータ以外への興味が全然と言って良いほど無かった。いや、それしかできなかった。

 小学校高学年からコンピュータの世界にはまり込んでいたため、同世代が経験する殆どのことが欠けていたのだ。それをどうにかして取り戻すことができないか。三年間考えた末に選んだ結論が仕事を辞め、大学生になることだった。

 元々学びたかったコンピュータと関係ないことを専攻し、サークルに入って友人を作り、一緒に飲んで語り合う。そんな明るいキャンパスライフを満喫するのが彼の目標になった。


 思い立ったが吉日。

 共同創業者の一人、今は副社長をしている 一力いちりきつとむに相談すると、しばらく時間をくれと言われた。


 一力からすると栗原は会社の顔として申し分がなかった。

 これまでの経歴や行動からして話題に事欠かない上に、醜聞もない。真面目を絵に描いたような仕事人間だから部下達の見本にもなる。対人関係に一部難があるものの、コンピュータオタクだと思えば納得できる範疇だ。

 一力を始めとした部下の面々からすると支えやすく、自分達も自由にやりやすい存在だった。


 何日かすれば考えが変わるだろうという甘い考えはあっという間に砕かれた。

 栗原がSNSで近い将来自ら退任することを発表してしまったのだ。


 これまで栗原は気まぐれで大きな金を使ってきた。

 普通の人間なら手が届かないし、仮に買えるとしても躊躇う金額のマンションを即決で買ったり、カッコイイと言うだけで、世界で数台限定のスーパーカーをキャッシュ買いした事実はある。

 が、それは彼自身がそれらを欲しがった訳ではなく、周りが社長ならばその位の持ち物が必要だなどと囃し立てたから勢いで手に入れたのだ。

 それが証拠に彼はスーパーカーで郊外のホームセンターまで行くし(荷物が積めなことを気にしない)、グランドコンプリケーションと呼ばれる高級時計を着けたまま夜のウオーキングに出かけたりしている(強盗の危険性がわからない)。これまでの仕事以外には関心がない栗原の行動は一力からすると誰かに大学云々と言われたからだろう位にしか思っていなかった。


 そして数日後、栗原の車や時計がオークションに出た。欲しかった物青春の思い出を手に入れるために、不要な物を処分するのだと語る彼の瞳には確固たる決意が見て取れた。経営者として大きな決断をする時の眼だ。


 一力は仕事以外でそう言う姿を見たことがなかった。

 そして、栗原が本気で『青春のやりなおし』を目指していることを理解した。



 こうして彼は実家がある地方の大学への入試に備えるため、個別指導も行う予備校に通いながら勉強を始めた。


 時に四十歳、受験生として二十余年を遡った。

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