石の下

「私は六段格で。ヘッヘ」

 と、甚八はさッさと白をとった。かんの甚八といえば江戸名題のかけ碁のアンチャン。本職は大工だが、碁石を握ると素人無敵、本因坊にも二目なら絶対、先なら打ち分けぐらいでしょうなとウヌボレのいたって強い男。かわごえくんだりへ来て、手を隠すことはない。

 しゆう川越在のせんどう津右衛門といえば、碁打の間には全国的に名の知れた打ち手。名人上手に先二なら歩があるという評判であった。礼を厚うして各家元の専門棋士を招き、棋力は進んで五段格を許されていた。諸国の碁てんどもがさんきん交替で上京の折に盛名をきいて手合いに訪問すると、大そうなモテナシをうけるのはいいが、みんなコロコロ負かされてしまう。とうてい敵ではない。津右衛門の棋力は旦那だんな芸にあらず、実力五段充分と諸国の碁打に折紙づきの評判が二十年もつづいて、各家元の打手をのぞいて、田舎棋士の筆頭に押されている達人であった。しかし甚八は怖れない。江戸の素人天狗なら三目置かせて総ナメにしてみせらアと猪のように鼻息の荒い奴だが、棋力はたしかに素人抜群、専門棋士の二段ぐらいの腕はあった。

 金にあかして家元の棋士にチヤホヤと買いとった五段格、しよせんは田舎の旦那芸。田舎侍がコロコロ負かされるのは当り前だ。田舎侍の碁天狗などに碁の本筋が分る奴は一人だって居やしない。千頭津右衛門などと名前だけは大そうだが、こちとらは金持ちとはちがって一文無しでたたき上げた筋金入りの腕前。生馬の目玉をぬく江戸の天狗連を総ナメのアンチャンだ。二目はおろか三目でも負かしてみせらア。アッハッハ。というはらの中。ひとつ田舎天狗の大将をオモチャにしてやろうというので、はるばる川越くんだりへ御足労とシャレた次第であった。甚八に遠慮なく白をとられても、津右衛門には蚊のとまったほどもこたえないらしく、クスリと笑って、

「私の耳には江戸の噂もまれにしか届かないが、六段格の甚八さんという名はついぞ聞いたことがないな。むやみに白を握りたがる人に強い人はいないものだが、血気のころは私も覚えのあることだ。せっかく御光来のことだから、お気に召すように打ってあげよう。その代り、いいかね、一番手直りだよ。お前が負ければ私が白。また負ければ、お前さんが二目。また負ければお前さんが三目。また負ければお前さんが四目。また負ければお前さんが五目。また負ければお前……」

 怒るかと思いのほか、こうつぶやきながら黒石をとる。子供のように軽くあしらわれて、この野郎め、ふざけやがるな、黒石を皆殺しにしてやるぞ、といきり立ってしまった。

 腕が違うところへ、いきりたって突ッかかるから、問題にならない。アベコベに甚八が皆殺されにちかい大惨敗。やむなく黒を握って、手合い違いだ、面白くもねえ。うそぶきながら、これも惨敗。二目ならちょうど良い手合いのはずだが、いきりたっているから、これも問題なく惨敗。三目も惨敗。とうとう四目に打ちこまれた。さすがに四目となれば、のぼせていても甚八とても豪の者、白の地はいくらもつかない。今度こそ黒の勝と見えた。白はシャニムニ隅の黒石を攻めたててきた。そこは生き筋のある石だ。

「フン。負け碁ときて、のぼせたか」

 甚八は鼻の先で苦笑。そこへお茶を持って現れたのは、津右衛門の妻女、千代。

 津右衛門は五年前に先妻を失い、千代はその後にめとった後妻で、まだ二十一。美人ではないが利巧者で、結婚後、良人おつとに碁を習い覚えてめきめき上達し、田舎天狗を打ちまかすぐらいの手並になっていた。千代は盤側にすわって盤面を見つめていたが、

「どんな手合?」

「四目だ」

 これが甚八にグッときた。なにが四目だ。四目の手合か、どうか、盤面を見るがいいや。生き石をムリに攻めたてて、それが四目うてる碁か。手合ちがいもはなはだし。白を持つのはオレじゃアないか。

「フン。バカな。オレに四目おかせる人が、そんなムリな、生き石を攻めたてるようなバカをするかい。冗談じゃアない。生き死にも分らなくって、よく白が握れるじゃねえか」

 鼻先であしらいながら、考えもせず石をおく。考える必要はないのだ。ちゃんと生きのある石だ。しかし、妙なムダ石を一ツおかれて、甚八は顔色を変えた。

「アッ! ナ、なんだと?」

 甚八は飛上るように身を起して、盤をにらんだ。生きだとばッかり思っていた。なんたることだ。田舎碁打じゃアあるまいし、賭け碁で江戸の天狗連を総ナメの甚八が、この筋を見落すとは! 黒石は死んでいるのだ。

 津右衛門は甚八が顔色を変えてすわり直したのを見て、ほほえみ、

「夜もだいぶ更けたようだから、このへんで寝ようではないか。お前さんも目が血走って兎の目のようだよ。身体に毒だな」

「目の赤いのは生れつきだ。江戸ッ子は徹夜でなくちゃア碁は打てねえ」

「そうかい。それじゃア、夜食でもこしらえてもらいましょう」

 どこの碁打の家庭でも夜更けの夜食にはれている。かねて用意の手打ウドンがポッポッと湯気をたてて運ばれる。

「甚八さん。おあがり」

「どうぞ、あついうちに召上れ」

 と千代にも言われても、それらの声が耳につかないらしい。甚八はなお執念さりがたく、殺気走った目をこらして盤上をにらみつづけている。その隅が死んでは、とうてい足らないようだ。しかし、ほかに勝筋はないのか。津右衛門はすでに黒の勝筋なしと見極めているらしいが、それが口惜しくて投げられない。

 津右衛門はドンブリをとりあげたが、そのドンブリをひざの上へ下し、ひとはしもつけずにだんだんうなだれた。次第に顔色があおざめてきた。ジッとすくむように見えたが、ポロリとドンブリを落した。

「ウッ!」にわかに胸をかきむしり、前へつんのめると、エビ型にまるまって、虚空をつかみ、タタミをかきむしった。その場に、千代も女中も居合わしたので、甚八に毒殺のケンギがかからずにすんだようなものだ。こういう急変になると、当時の医学では、病死か毒死か見当がつかない。その場の状況、毒殺の原因の有無で、どっちかに定まるような怪しい医学だ。まだドンブリに一箸もつけない時だから、タタミ一面ドンブリの海だが、甚八はケンギをまぬかれたようなもの。狭心症とか脳いつけつというような急変であったろう。

「…………」

 津右衛門はのたうちながら、妻をさがしているようだ。何か言いたいことがあるが、もう声がでないらしい。彼の右手は何か異様な運動をした。何か意味のあることをしようとするらしいが、ケイレンや、苦しみもがくことに妨げられて、瞬間的な持続しかないので、意味を完成することができないのである。

 彼は碁盤の方に向って、時々手をのばすのだ。と、苦しみのために、もがかねばならなくなる。また、同じ方向へ手をあげる。手をのばす。幾たび目かに気がついたが、指が一つの方向を指しているのだ。千代はその指を見つめて考えた。何かを指さすのでなければ、あのように手を握り、一本の人差指だけを突きだしはしないであろう。津右衛門は尚もいくたびか同じことをくりかえした。

 人の執念はおそろしいもので最後に碁盤を指したとき、はげしくケイレンして、そのままの姿勢で息をひきとったのである。苦しみだして十分間ほどの短時間であった。野辺の送りも滞りなくすんだ。参会の人々が退去して近親だけ残ってから、千代の実父の安倍兆久とその長男、千代の兄の天鬼は千代をよんで、

「先晩きいた話では、津右衛門殿は息をひきとるまで同じ方向を指さそうとされたそうだが、ひとつ、その部屋へ案内して、その方向を見せてもらいたいものだ」

「ごらんになっても、その方向には何もございませんよ」

「江戸の碁打の甚八とやらを指し示していたのとは違うか」

「いえ、そうではございません。のたうつうちに、にじりすすんで方向が変りましたが、お苦しみのうちにも、もがき、もがきして、いつか碁盤の方を指さそうとなさるようでしたから」

「それはフシギだな」

 父と兄は千代の案内で座敷へ赴き、碁盤をおき、先日通りに物を配置した。配置が終って津右衛門が倒れてもがきつづけた方角から指の示す方を見ると、隣り座敷との間の唐紙から次第に庭園の方を指すようになる。庭園といっても、かなり広いが、そう手数のかかった庭園ではなく、別に死者が指し示すにふさわしい何物もない。兄の天鬼はしきりに庭を眺めていたが、いぶかしそうに、首をうちふった。

「どうも、フシギだな」

 彼は碁盤にちょッと手をかけて持ち上げてみたが、

「フシギだなア。ここで、こう倒れたのだな。こんなものかな」

 彼は死者の姿を再現した。

「オイ。これでいいのか」

「ええ。そう」

「オイ。いい加減を言うな。まちがっていたらそう言え。この場所へ、こんなカッコウか」

 千代はあきれて兄を見つめた。なんて真剣な顔だろう。もどかしさに、みつくようだ。目は殺気立ってギラギラ狂気めいた光りをたたえている。そして、死にかけた人間のもがく様子を本当に再現しようとしているのだ。

「およしなさいよ。そんなバカなマネ」

「バカッ!」

 天鬼はたまりかねて爆発した。なんというしようそうだろう。もどかしさに狂い立っているのだ。千代は呆れて、無言のまま兄の姿勢をエビ型に曲げてやった。わざと邪険に手足を折るように押しまげても、彼は妹の手の位置を必死にはかって、余念なく、ただ死者の正しい姿勢を再現するに夢中であった。

 天鬼はもがきつつ、うごめいた。虚空をつかみ、タタミをむしりつつ、一寸二寸、うごめき進んだ。時々、碁盤の方向を指そうとして、苦しさに虚空をつかんだ。

「こんなか!」

「そう」千代は呆れ果てて、いい加減に返事した。必死の天鬼は妹の返事の寸分のユルミも見のがさなかった。

「コラ。ハッキリ、本当のことを言え。本当にこんなか」

「ほんとに、そうよ」

 千代の驚きは絶大であった。必死の一念とは言え、天鬼はまるで津右衛門の死を見ていたように同じ死のもんを再現しているではないか。津右衛門には言葉がなかったが、天鬼にはもどかしさに狂ったような言葉があった。そして張り裂けるような狂気のわめきが、それ自体、まさに死なんとしつつある人の叫喚でなくてなんだろう。まさに天鬼その人の、もがき、のたうつ断末魔の姿であった。

 しかし千代は気がついて、ゾッとした。天鬼はかれたように津右衛門の断末魔を模倣しつつ、チラと碁盤を指さす瞬間に、実に全部のこんぱくを目にこめて指の方向をはかっているのだ。その先に何があるか。彼の全ての精魂がそこにかかっているのである。

 兄と父はそれからの二日間、庭園を、庭園の外の山の中をブラブラ歩いていたが、三日目にちちの自宅へ戻って行った。


    *


 ちょうどその頃はさつちよう軍が江戸をさして攻めのぼってきた時であった。山ちかい辺地とても、流言のざわめき、軍靴の恐怖はたちこめている。農民とても、安閑としてはいられない気持であるが、特に金持の豪農はりやくだつの恐怖に苦しんだ。津右衛門が死んで一か月ほどたって、上野寛永寺にたてこもった幕府軍が敗走し、戦火が次第に関東からおうしゆうへ延びる気配になったころ、父の兆久と兄の天鬼が三十五日のこうかたがた現れて、

「どうだ。ここも追ッつけ戦場になるかも知れんし、よしんば戦場にならなくとも、敗走する兵隊や押込み強盗の群れが入りこんでくるにきまっている。そのときになって慌てて逃げても、もうはじまらぬ。津右衛門殿なきあとは、女手と幼児ばかり。屈強な豪の男がいなくては、このドサクサに人の目をつけやすい土蔵の金箱や品物を無事守り通せるものではない。私が一日のうちに二百人三百人の人足を集めて、この家の品物全部たった一夜で荷造りしてやるから、今のうちに私のところへ引移ってくるがよい。あの山奥の秩父だけはたった一ツの安全地帯だから。この家はいずれ泥棒どもに住み荒され跡形もなくこわされてしまうだろうが、ただ捨てるのが心残りならば、秩父の私の別邸とこの屋敷を取換えてやろうと思うが」

 言葉巧みにこうすすめる。千代とても戦禍の不安がないではない。津右衛門なきあと、使用人を別にして、この家族には全く男子がなかった。彼の先妻には二子があったが、いずれも女で、先妻がそうであったように二人の娘も肺病であった。姉の生乃は病気を承知でムリに嫁してすぐ死んだ。妹の玉乃は今年十九。寝たきりではないが、寝つくことが多く、せ細り、蒼ざめつつブラブラしている。

 千代には東太という一男が生れ、津右衛門の喜びはことのほかであったが、東太はまだ三ツ、手足まといにはなっても、男手の中に数えることはできやしない。

 こういう頼りない家族であるから、千代とても避けうるならば難を避けたいのは山々であるが、今や、こうして父の説得をきくうちに、ふと思いついたことがあった。ハハア、さては、と気がついた。

 千頭家には妙な家憲があるのだ。この家憲は世間の人々にも知られているが、世間の噂は元々当にならないものだ。けれども、千代は千頭家に嫁して、津右衛門から、世間の噂が正しいことをたしかめていた。

 千頭家では息子の成人に当って、先祖伝来門外不出の言い伝えを語りつぐことになっている。その語り伝えられるものが何事であるかは、父と息子以外の誰にも分らない。息子の母も弟も知ることができないのである。そしてその語り伝えられるものは決して文字に記してはいけないとされていた。

 千頭家は元々この土地の人ではなかった。徳川初期のころ、三代家光の頃と言われるが、いずこよりかこの地へ移住し、ばくだいな山林原野を買い、人足をあつめて開墾し、今日の元をひらいたのである。莫大な土地を買ったほどであるから、元々お金持であったには相違ない。平家の落武者の子孫だの、豊臣家の血縁の者ではないかというような田舎らしい風聞があったのである。

 今でも土地の人々が信じていることは、千頭家の祖先が何者かは知れないが、高貴の出で、祖先伝来の山の如き金箱をつんでこの地へ移ってきたが、移り住むと、盗難を怖れて、車に何台という金箱をいずこへか埋め隠したのである。父が息子に語りつぐのはその金箱の隠し場所だ。その証拠には、ほかのことなら、文字に書き残して悪かろうはずがない。あやまって人目にふれると大変だから、文字にすることができないのだ。すなわち金箱の隠し場所に相違ない、と。

 しかし、また人々は言う。文字に記して人目にふれて困るのは金箱の隠し場所とは限らない。もしも豊臣の子孫なら、その系図を文字に記して残すのも不安であろう。

 そして一部の人々が信じていることは、千頭家は決して高貴というのではないが、実は切支丹キリシタンの残党である、と。千頭家の祖先が隠したのは、金箱ではなくて、切支丹の品物を地下に埋めたものだ、と言うのだ。どういう証拠でそんな噂が残っているのか分らないが、なるほど三代家光のころは切支丹断圧最後の時、その絶滅の時であるから、単なる風聞にしては時代がよく合っている。あるいは土民の先祖に切支丹の品々を目利きし得る人がいて、千頭家の持参した荷物の中に秘密の祭具を見かけたのかも知れなかった。

 津右衛門は千代に語って、

「世間の人は色々のことを言うが、オレのうちはそのような大それたものではない。まア多少はある一人のちょッとしたいわくづきの人物に関係があるが、この家の者がその血筋ではないのだ。わが家の血筋などはとるにも足らぬものさ。関係があるという血筋の人については、ちょッと先祖は言外をはばかる事情があったが、今ではさしたることもない。そこで私のオジイサンの代からそれを系図に書き入れてあるよ。東太が成人して家督をついだら、東太にたのんで見せてもらうがいいさ」

「では、父から息子へ語り伝える必要はもうなくなったのですか」

「イヤ。それはまだある。これだけは文字に記するわけにはいかないのだよ」

 と津右衛門は笑ったものだ。

 千代は今までそういうことを気にかけなかったので、この家に関係ありという人物が誰であるか、それを知ることなどは津右衛門の死後も忘れていた。

 しかし、今、こうして実父と実兄が、言葉巧みな方法で、この家を我が手に収めようとするのに気付くと、ここに何かがあるナと気がついた。即ち、父と兄は見破ったのだ。東太はまだ幼少であるから、言うまでもなく父の語り伝えをうけていない。とすれば、ひんの父は、その語り伝えを残さなければ、死んでも死にきれなかったろう。彼があの断末魔ののたうちまわるもんの中で、右手を必死に動かしていたのは、その語り伝えの内容を暗示しようとしていたのだ。

 天鬼はまるで気違いのように津右衛門の死にゆく様のマネをしたではないか。よほど重大な理由がなければ、あのように必死に、あのように愚かな所業のできるものではない。天鬼は瀕死の津右衛門が必死に指し示した方向に、村人の噂に高い金箱の隠し場所があると判断したのに相違ない。その指の示す方向の山林中を、彼らは二日間も歩きまわっていたではないか。しかし彼らはその所在地を知ることができなかった。いったん帰宅して色々と検討したあげく、多分この屋敷内のどこかに金箱があるべきことを推定したのであろう。

 こう気がつくと、主婦たるものの本能がムクムクと頭をもたげた。千代は既に東太の母であり、千頭家の主婦であった。安倍兆久の娘でもなく、天鬼の妹でもなかった。千代はキッと顔をあげて父をマジマジと見すえて、

「お父様も情けないことを仰有おつしやいますね。私は千頭津右衛門の妻ではございませんか。主人が死んで一周忌もすまぬのに、三十五日、四十九日の法要もつとめずに、どうしてこの家がうごかれましょうか。女ばかりの私たちが戦乱がおそろしいのは申すまでもございませんが、一周忌もすまぬうちにここを空き家にするぐらいなら、ここで泥棒に締め殺された方が本望でございます。東太や私や家屋敷が助かるよりも、ここを守って死に果てることを、亡き津右衛門も満足してくれるだろうと思います。もう二度とそのようなことを仰有って下さいますな」

 気品あくまで高く、余言を許さぬ鋭さ。しかし兆久天鬼とてもオメオメ引き下りはしない。なおもしつこく食い下って数日を重ね、その日中は何食わぬフリをして屋敷内をくまなく調べている様子であったが、ついに目的を果さず、千代のリンリンたるはくにおされて、むなしく退却してしまった。

 父と兄が去ると、千代はホッとした。そして亡き津右衛門の必死に示した指を追い、その意味を判じ先祖伝来の遺言を復活して東太に伝えるのは自分に課せられた一生の仕事であると心に誓うところがあった。

 さッそく仏間に入り、本尊の秘密の胎内から系図をとりだして調べた。この系図はまさしく慶長年間からはじまっていた。

 その系図の文字とは別に、何かこまかく書きこまれているのは、それが津右衛門のオジイサンが書き加えたという文字にちがいない。そのほかには書きこみがなかった。しかし、その書きこみには、別にそう重大らしいことは書いてなかった。

「千頭家は当地移住まで特に記すべき血統なし。初代津右衛門長女さだ」

 そこまでは当り前の文字であるが、その次から風が変って、字ではあるが、読みようのない文字である。

「人左川度。キウンヨザギンブ。クレビラキ。当家大明神大女神也」

 こう書かれていた。

 千代は考えたが、分らなかった。それを紙片に書きとり、系図を元の場所へおさめ、折にふれ紙片をとりだして考えふけったが、どうしても、手がかりがない。

 四十九日がきて、近在の人々が集った。そのとき江戸からこうにきてくれた碁打の一人が、

「人の話では、仏は勝碁の途中になくなられたとのこと。神田の甚八に四目置かせて勝碁とはさてさて怖しいことでござるが、棋譜は書きとめてございませぬか」

 千代もこれには参った。亡夫最後の勝局、この譜を残しておかなかったのは残念だが、あの唐突の死に際してそんな余裕のありうる筈のものでもない。

「私もそれを残念に思いますが、終盤ちかくチラと見ただけの盤面、しかと覚えておりませぬ」

「甚八と申せば江戸の素人てんは三目でもめったに歯の立たぬ豪の者。まず二段はたっぷり打ちましょう。甚八に四目置かせて勝つなどとは名人といえども考えられぬことでござる。棋譜の知られぬは残念千万でござるのう」

「うち見たところでは白によい碁ではございませぬ。黒は置き石を生かして白を圧迫し、黒に充分の碁ですが、隅の黒石に平凡な死に筋があるのを見落して、せっかくの好局を負けにしたのでした」

 千代はこう答えて、目にアリアリと黒の見落した筋を思い浮べた。その時、千代の頭にひらめいたのは、その手筋であった。彼女は顔色の変るほど驚いた。彼女は腹に力を入れて、ウンとこらえた。しばしして、人に顔色をさとられぬうちと座を立って、わが部屋へ逃げこんだが、その踏む足もウワの空、宙を踏むゆめ心地ごこちである。

「アア!」

 彼女はフスマをしめて部屋にはいり、崩れるようにすわりこんだ。断末魔の津右衛門が指さしていたのは、一つの方角ではなかったのだ。すぐその指の先にあるもの、碁盤なのだ。のたうちまわって前へ前へすすみつつも、指さしていたのは、たしかに碁盤であったはずしかり。たしか碁盤そのものであったのだ。

 甚八が見落していた手筋というのは、敵の石をとって二目できたとき、とった石を又とり返される筋があるのを見落していたのである。甚八ほどの打ち手が見落すのはフシギであるが彼は血迷っていたのであろう。この手筋を碁の術語で「石の下」と言うのである。

「石の下!」

 津右衛門の言いたい言葉はこれだったのだ。人々の噂する金箱が、もしも隠されているとすれば、石の下なのだ。

 その日から千代の思案と探索が新しく再びはじめられた。しかし謎も解けなければ、どの石の下とも判断の下し様がなかった。千代はついにあきらめて、東太が成人したら、すべてを東太に明かして、東太の力で探させようと思ったのである。

 それから二十年すぎた。そして新しく事件が起るのである。


    *


 あのときから二十年たって、甚八は立派なとうりようになっていた。デップリふとって、目から鼻にぬけるような鋭いところは表には現れていないが、碁は相変らずの好きな道で、石を握れば、今もって江戸の素人では並ぶ者なし、彼を打ちまかす新進の素人天狗は一人もでたことがない。折にふれて思いだすのは千頭津右衛門のこと。

彼奴あいつばかりはメッポウ強かったなア。オレを打ち負かした素人碁打は天下に彼奴一人だが、よくもこッぴどく打ち負かしおったものだ。オレを負かしてトタンに血を吐いて死んだのも、鬼神の力を借りてオレに勝ったがために、約束によって鬼神にイノチを召されたのさ。さもなきゃオレに勝てやしねえな」

 とウヌボレはいくつになっても治らない。この甚八のところへ、ある日、千頭家から使いの二人の男が現れた。中年者は安倍地伯といって、津右衛門の千代の実弟。その連れの若い男は地伯の妻比良の弟で和具須曾麻呂という者であった。その口上をきくと、津右衛門の二十一周忌の法要を営むについて、仏の急死に縁の深い甚八にもぜひその席につらなっていただきたい。急死に縁が深いといえば語弊があるが、二十一周忌という昔話になれば、あれもこれもなつかしいばかり。仏もさだめし甚八を、また彼との最後の対局をなつかしんでいるであろう、というような話であった。こう言われてみれば甚八とても、なつかしさはこみあげてくる。

「もう二十一周忌かねえ。早いものだ。まったく、なつかしいねえ。そうですかい。それじゃア、何をおいても、お供させていただきましょう」

 さっそく旅仕度をととのえ、二人に案内されて、川越在の千頭家へおもむいた。きてみれば、村の姿も、建物も昔に変るところがない。変ったのは、人の姿ばかりである。甚八がはじめてここを訪れた時は、彼の頭も人の頭もチョンマゲだった。千代の腕にだかれていた三ツの東太は二十三の男ざかりとなったそうだが、どこにいるのやらあいさつにも出てこないし、姿を見かけたこともない。その代り妙な人間がタクサン住みついている。

 千代の弟の地伯がここに住んでいるのは、まだ話が分るが、地伯の細君比良の一族、父の和具志呂足、比良の弟の須曾麻呂、妹、宇礼の父と子三人がそっくり住みついているのである。志呂足は山の神の行者で、病気を治し、悪魔疫病をはらい、吉凶禍福を占う。バカに人の出入りが多いな、と思ったのはことわりで、日中は山の神の信者が相当数訪れるのである。津右衛門の先妻の子で、肺病の玉乃、今はもう三十九のウバ桜であるが、どうやら行者志呂足の愛人ともめかけともつかないような関係ができているらしい。

 二十年も昔のことで、甚八は津右衛門の命日を忘れていたが、誘われるままに来てみると、すぐ命日かと思いのほか、法要の当日までにはまだ一週間も間があるのだ。

「どうも、変だな。何かあるんじゃないかな」

 と、そこは生馬の目をぬくけ碁の大塚甚八、鋭い眼力で、なんとなく怪しい気配を感づいた。


    *


 地伯が姉の婚家へころがりこんできたのにはワケがあった。父の兆久が死んだのは今から十五年前のことである。安倍家は秩父の豪家であったが、兆久に事業癖があって、鉱山に手をだしたり、陶工をよびカマをつくって大々的に陶器をやかせて失敗したり、山気を起して江戸を往復するたびに先祖伝来のばくだいな財宝をすりへらして死んでしまった。

 安倍家をついだ長子天鬼は親の山気をよくの方へうけついで、強慾のケチン坊。弟の地伯に天保銭一枚わけてやるのも惜しいのである。兆久が死んで二十日ばかり経たころ、弟をよんで、

「お前に分家もさせぬうちに父が死んでしまったが、財産をしらべてみると父が使い果して、めぼしいものは何一ツ残っておらぬ。そういう次第でお前に分けてやるような田畑も金もないが、幸い長の山の山林だけが残っている。それをそッくりやるわけにはいかぬが、長の山には平地があるから、お前一人の腕で今年一年かかって山をきりひらいて畑にしただけくれてやる。明日からさッそく仕事にかかるがよい。しかし、人手を頼んではならないし、また今年一パイきりひらいた分だけだぞ」

 時は三月はじめであるから、年の暮までには相当ある。地伯は兄の厚意をよろこんで、翌日から雨風にもめげず、日のあるうちは開墾にかかる。なれない労働だが、働く分だけ自分のものになると思えば、夢中であった。と、半月ほどすぎたころ開墾の現場へ役人がきて、彼を捕えてろうへぶちこんでしまった。そこは安倍家の山林ではなく、他家のものであった。

 地伯は役人に哀訴して、兄の天鬼にきいてくれ。兄がこれこれ言ったのだから、兄の思いちがいなら、兄がなんとかしてくれるに相違ないから、とたのんだが、役人が天鬼の言葉だと伝えたものは、

「とんでもない。あのバチ当りめが。長の山は今ではウチの山ではないと言ってきかせても、そう言ってオレをだましてオレに何もくれないツモリだろうと一人ぎめに開墾をはじめた悪者でござる。ウンとこらしめて下され」

 という返答だった。幸い微罪によって一か月ばかりで釈放されたが、わが家へ戻ると、一足も玄関に入れず、お前のような悪者はただ今かぎり勘当だ、と突きだされてしまった。仕方なく姉の千代をたよって千頭家の居候になったのである。

 姉の千代はお人よしで気の小さい地伯をあわれんで、番頭代りに帳づけなどの仕事に当らせた。先妻ののこした玉乃が病身ではあるが、一ツ玉乃が年上の似た年ごろ、ゆくゆくは二人を一しょにさせて幼い東太の片腕にもと千代は考えていたのである。

 ところが、こう魔多し。千頭家の広大な地所のうちに、タナグ山という海抜四五〇米ぐらいの相当な深山がある。山の入口に小さな鳥居があって、これを山の神というのであるが、さて鳥居をくぐって山の奥へどこまで行っても、どこにもホコラがあるわけではなく、どこが山の神の所在地だか誰にも分らない。山の神というものは、どこの山の神でもそういうもので、まア頂上、むしろ山全体が神体なのかも知れない。タナグ山には登山道すらもない。頂上へ行くには谷をわたり岩をよじ道なきところをいまわらねば行かれないが、どこの山でも昔はたいがいそういうもの。登山という遊びが流行して以来名山高山には一ツのこらず道がついたが、全国の名もない小山は登山家の対象にならないから中腹ぐらいまでキコリの道がある程度で、頂上までの登山道などずめったに在るものではない。

 タナグ山は昔から何人かの信仰があったらしく、そのふもとには誰がたてたのか小ッポケながら鳥居があり、それが古くなると、いつのまにか誰かがたて代えて今につづいていた。すべて山の神の信仰は闇夜に行われるものだそうで、鳥居のたて代えも闇夜に誰がやっているのか、知る人もなかったし、気をまわす者もなかった。どんな人間が信仰しているのか、それを問題にする必要もなかったのだ。

 ところが川越の近在で酒造業をやっていた男が、せっかく仕込んだ酒を、たるたたきこわしてみんな土にすわせたアゲクに、

「ワレこそは先祖代々タナグ山の神霊に仕えてきた神の血をひく家柄で、酒造業は時至るまで世を忍ぶ仮の営み、ワガ本名は和具志呂足、ワガ長女の名は比良、長男は須曾麻呂、次女は宇礼と名のる。すべて神慮によって定められた神族の神名である。神託によって本日より公然と山の神のさい一切つかさどるであろう」

 と名乗りをあげた。つもる負債に発狂したという説もあり、ようきようだという説もあった。

 しかし彼の病気の治療がフシギにきく。占いが当る。そういう評判がたつようになって遠路訪れる病人もあり相当はんじようするようになった。

 その評判をきいて、長い病気に悩む玉乃が志呂足の施術をいにでかけた。フシギや日増しに力もつき、心気とみにえて、血色もよくなったから、玉乃はたちまち志呂足を生き神様と狂信するに至った。これだけで済めばさほどのこともなかったろうが、ここに千代の一大心痛事があったのである。ほかでもないが、一粒種の東太の智能が低いのである。父は素人日本一とうたわれた打ち手、母とても結婚後習い覚えた碁が東太が三ツになる時には素人てんを打ちまかすほどに上達した利巧者。二人の仲に低能が生れるはずはないから、よほどオクテの大器晩成型。むしろ大物が育つのかも知れないなどと先を楽しみにしていたが、いつまでたっても智恵がつかない。日に日に心痛が深まり、いッそわが子を殺して一思いに死にたいと思うほどの悲痛な心境になっていた。折から玉乃が志呂足を信仰してメキメキと元気になり、義母の千代にも信仰をすすめるから、目の前にその実際を見ては心の動くのも当然だ。そこで東太をつれて志呂足を訪ねた。

 志呂足は東太母子をむかえて、いと満足げにうちうなずき、

「ソチたちがここへ来ることは、とうに私は知っていたよ。東太にはタナグ山の神霊の怒りがタタリをしている。ソチの祖先が神様の山を金で買って所有したのがいけないのだよ。そのタタリが東太に現れ、またそのタタリを私がといてやることがチャンと定められているのだから、何も心配することはない。ソチの家がタナグ山の神霊の化身たる私の神殿となることも太古からの定めであるから、ただ今からソチの家へ引き移る。東太のタタリは津右衛門の二十一周忌の日にバラリと解けて東太は立派な男になるぞよ」

 こう言って、一族をひきつれさッさと千頭家へ引越してしまった。おぼれる者はわらのタトエで、千代にはそれを拒むことが、できなかった。それが今から十年ほど前のことである。

 それ以来、千代は様子を見ていたが、東太の頭の発育に見るべきような変化は現れてくれないが、なにがさて、津右衛門の二十一周忌の当日に至ってバラリとタタリが解けるのだという。ちゃんとはじめにこう宣言がしてあるのだから、変化がなくとも文句も言えない。果して実力ある行者であろうか、山師ではあるまいかと、日夜に思い悩んでいるうちに、ウバ桜とはいえぼうの玉乃は志呂足の情婦ともめかけとも侍女ともつかぬ得体の知れないものとなり、地伯もいつか狂信して、志呂足の長女比良をめとり、千頭家の番頭よりも、山の神の忠実な玄関番になってしまった。下男も女中もみんな志呂足の信者となって、広い邸内に千代の味方は一人もいなくなったのである。

 千代は心細さにたまりかねて、兄の天鬼に相談した。心のよからぬ兄ではあるが、得体の知れない行者にくらべれば、どれぐらいタヨリになるか分らない。利にさとく、人心の表裏に鋭く眼のはたらく兄であるから、心がねじけているだけ志呂足の敵手としては手ごわい手腕を現してくれるかも知れない。それを心だのみに天鬼に相談すると、天鬼は苦笑して、千頭家へ遊びに現れ、一か月の余もユックリ滞在して志呂足の正体を観察していた。

「イワシの頭も信心からと言う通り、人間は気の持ちようで多少の病気はなおるようだな。しかし死病の人が生き返ったり、バカが利巧になることはあるまい。あの志呂足は食わせ者さ。東太をあわれむ余りとはいえ、あんな食わせ者に屋敷をかしたお前もバカだな。だが、今となっては仕方がない。二十一周忌に志呂足のツラの皮をひんむいてやるから、それまで待つがよい。東太はオレが秩父へつれて帰って、仕込みもなかろうが、多少は智恵のつくように手をほどこしてやろう」

 愛児を手ばなすのは心もとないが、志呂足一味の中におくよりは兄の手にまかせた方が無難かも知れないと、千代もその気になった。ところがこの話を伝えきいた志呂足が思いもよらぬ大立腹。千代を明々ととうみようのゆらぎたつ神前によびつけ、須曾麻呂、比良、宇礼、地伯はじめ信徒の重立つものがこれを取りかこんで、

「東太はタナグ山神のタタリをうけている罪人。私が当家に神殿を移したのも、東太に代って日夜山神のアワレミを乞い、ツツガなくタタリの解ける日を待つためである。東太がこの地を動くならばタタリのとけることはなく、さらに山神の怒りにふれて神隠しにあい、地底へ封じこまれてしまうぞ。それでもよいか」

 こう言って千代をおどかす。千代も仕方なく、この由を天鬼に告げると、

「アッハッハ。なんとか口実をつけて二十一周忌の解禁をごまかされては大変だ。なんでも志呂足の言う通りになっておれ。お前もまわりの者がみんな志呂足の信者では心細かろう。オレの知人に御家人クズレの漢方医がいて、夫婦ともに世なれた人だから、この人を差し向けて上げよう。礼を厚くもてなして、東太の教育をたのむがよい」

 天鬼は秩父から約束通り、入間玄斎、同人妻お里の両名をさしむけた。天鬼の知人にしては上品で落着いた人物。御家人くずれで、漢学の素養もあるが、道楽に身をもちくずしたこともある酸いも甘いもかみわけた通人夫婦。五十をすぎて子供もなく、デタラメに薬を煮たてて病人をだましてきたのんな夫婦で人生を達観し、一向にクッタクがない。低能の東太のお守り役にはまことに適当な人物であった。願ってもない人が来てくれたと千代はことごとく喜んで、離れの下と二階を分け合って、入間夫婦と東太母子の四人が仲よく水入らずで暮すことになった。天鬼は時々訪れてユックリ滞在し、ここに離れの一味と母屋の志呂足の一味は邸内を二分して、津右衛門の二十一周忌を待つこととなったのである。

 ところが二十一周忌が近づいた時になって志呂足はタナグ山神のお告げと称して、変なことを言いだした。

 その一ツは、当日津右衛門の霊が法要の席に現れて何か告げることがあるそうだから、彼の死の日に千頭家に居合した者一同が法要に参集すること。

 他の一ツは、東太は当日、志呂足の次女宇礼(十八歳)と結婚すること。結婚の儀終って東太のタタリはバラリと解けるというのであった。

 津右衛門の死んだ日に千頭家に居合した者といえば、言うまでもなく甚八と千代が中心人物。そのほかには玉乃をはじめ、女中のギン、ソノという二人、文吉、三次という下男、いずれもまだ当家に働いているばかりでなく、みんな志呂足の信者であった。

 これをきいて天鬼は笑い、

「おいでなすッたな。何かやるだろうとは思っていたよ。イヤ、面白い、アッハッハ。津右衛門殿の霊が現れるか。何を言わせるツモリだろうな。何を言わせるにしても大きにタノシミのある話だ」

 津右衛門の霊が何を言っても天鬼にカカワリのないことだから、彼ははなはだクッタクがないが、当事者には薄気味わるい話である。ひょッとすると、千代に一服盛り殺されたというようなことを言わせかねない。

「まア、まア、心配するな。霊魂をよぶなどと言ってどんなことを告げさせるにしても、オレがみんな化けの皮をはいでみせる。それより困ったことは、東太と宇礼の結婚だな。うまいことを考えおったな」

 東太を自分のムコにしてしまえば、あとは野となれ山となれ、すでに同族親類で、バラリがうまくいかなくともまたゴマカシもきくし、強いてインネンもつけにくくなる。

 それに天鬼が今もって甚しく気がかりなのは、たしかにこの邸内に隠してあるに相違ない伝説の金箱であった。もはや志呂足のたくらみには、その伝説の金箱が含まれているのではあるまいか。近在の者には知れわたっている伝説なのである。津右衛門がのたうちながら碁盤の方を指したということも、すでに人々に知れ渡っているのだ。

 天鬼が時々見まわりにきてユックリ千頭家に滞在する習慣をつくったのも、東太の身を案じてのことではなくて、志呂足の企みが実はそッちに根を発しているのではないかという疑いによるのであった。しかし今までの偵察では、志呂足一味が邸内や建物を探索したという事実だけは一度もなかった。その探索を人知れず行うことは不可能だ。そして、それらしい素振りだけは全くなかったのである。

 しかし、東太と宇礼の婚礼を行うというダンドリの発表にあって、天鬼もおどろいた。そのダンドリなら、天鬼も考えていたのである。天鬼の娘のお舟も宇礼と同年、十八であった。イトコ同士であるが、そんなことは問題ではない。津右衛門の二十一周忌に志呂足の化けの皮をはぎ、千頭家から一味の者をたたきだして、千代の感謝をかい、何の面倒もなく、東太とお舟の縁組を結ばせようというコンタンだ。二十年前に父兆久と共にひどく真剣に邸内を探しまわったのは今から思えばムダな話。東太という低能児と自分の娘を結婚させれば、期せずして千頭家をきりまわす力は嫁方のもので、おまけに東太の母だって、自分の妹ではないか、お舟と東太を一しょにさせれば、自然に千頭家はわが意のままだ。

 このことは、東太と宇礼が結婚しても同じことだ。低能の東太に当主の実力は有りッこはないから、家をきりまわす者は嫁であり嫁の一族だ。志呂足一味が邸内の探索などとそれらしいどんな素振りもしなかったのは、はじめからこの結婚を予定しており、それを見越して落着き払っていたようだ。

 なぜかと言えば、邸内の探索らしい素振りをミジンもしたことがないというのがその証拠である。近在では噂に高い伝説の金箱であるから、この邸内に移り住めば、誰だってずそれを探してみたいのが人情だ。十年間も住んでいて、一度も金箱の在りかを探したことがないというのは、もっと確実な方法が予約されていたせいだろう。

 こう考えると、さすがの天鬼もくさッてしまった。まてよ、なにかよい方法はないか。悪智恵では人に負けない天鬼、そこで人知れずジックリ考えはじめた。


    *


 こういうことを何も知らずにやってきた甚八、しかし、鋭い勘ですぐ邸内の異様な気配だけは感じとった。こいつアいけねえと思いついて、邸内の人間を相手にせずに、散歩のフリをして村人から事情をきいてまわったのはさすがにけ碁の名人。

「なるほどねえ。当日、津右衛門の霊のお告げがあるのかえ。それでオレが一枚加えられたとは知らなかった。こいつア要心しなきゃアいけねえよ。なア。どんなヘボな碁打だって、自分でムダと思う手は打ちッこないね。オレをここへ呼んだ意味というものが必ず有るに相違ないよ。その筋を見のがしてると、とんでもない不意打をくらい、どんな目に会うか分りゃしねえや。クワバラ。クワバラ」

 碁の手筋にしたって、深く究めなくては本当の筋は分らない。和具志呂足のうつ手筋を見破るには、千頭家のあらゆることを知らなければならない。甚八はいささかもタメラわなかった。彼は足にまかせて疲れを知らずに村内を軒並にきいてまわった。

「へい。そうですかい。千頭家の祖先は豊臣の大将か切支丹キリシタンの親玉かという大物ですかねえ。大八車に何台という金箱がねえ。話が大きいねえ。親から子へ門外不出の語り伝えをねえ。なるほど。え? 津右衛門さんが死ぬときに、もがいたって? ええ、そう、そう。な、なんですッて? それが金箱の在りかを指していたんですッて!」

 甚八の頭は敏活だ。彼はハッと思わず大きい目玉をひらいて里人を見つめて、

「それで、金箱の在りかを、どなたか突きとめましたか」

「それがいまだに分らねえだねえ。チョックラ指をさしたぐらいじゃ分らないねえ」

「そうでしょうなア」

 二十年前のこととは言え、あの碁に負けた手筋だけは、どうして忘れられようか。石の下! 実に無念の見落し。石の下!

 それだ! 甚八はひそかに思った。

「そうだとも。アア、大変なことだぜ。津右衛門が必死に指したのは、ほかでもない、あの碁盤だよ。碁盤に仕掛けがあるものか。あの最後の局面。今や黒のイノチとり、オレが必死に考えていた見落しの筋、石の下、があるだけじゃないか。碁を知らない者には分らないが、いまわの際にはそんなことは言ってられやしねえや。するてえと、この秘密を見破ることができるのは、天下にオレ一人だけ。オレがあの局面の説明をしない限りは誰にも分りゃしないのだ」

 まさか千代が相当の打ち手で、この秘密を見破っているとは知らないから、甚八の胸にはムクムクと宝探しの黒雲がむれたった。

「フン、おもしれえや」

 と甚八は腹に笑った。

「志呂足の一味がどういう企みでオレを呼びやがったかは知らないが、その手間賃はフンダンにもらってやるからな。何よりも先ず目に立つ石を探さなくちゃアならねえや」

 さすがに甚八は千代とちがって謎をとく筋、カンドコロというものの見当をつける手法になれていた。先ず有名な石、古くから人に知られた石、そういうものから次第に当ってみるべきだ。家の土台石の下というのも考えられるが、こいつア家を造った大工を殺さなくっちゃア秘密がもれてしまう。甚八は大工であるから建築のことはよく分るのだ。しかし、大工殺しの秘密だってこの家の歴史の中に有りかねないから、根掘り葉掘り昔の秘密をさぐりだして必ず宝の在り場所を、否、宝そのものをわが手に入れてみせるぞと誓った。

 ばくだいきわまる手間賃が目先にチラついて甚八の心ははずんだが、なんの企みがあって自分がここへ呼ばれたかを考えると、薄気味わるさは増す一方だ。

「オヤ、命日までまだ七、八日あるんですかい。今日明日のようなことを仰有おつしやったはずだが、どうしたわけで?」

 甚八がこう問うと、地伯は薄とぼけるのか何も答えず、年の若い須曾麻呂がきわめて冷淡に、

「東京へ買い物のツイデにお寄りしたのです。すこし間があると思いましたが、ほかにツイデがありませんから」

「そちらのツイデはそれがよろしいかも知れないが、こッちのツイデも考えてもらいたいね。私もとうりようと名がつくからには、ちッとは手下もいるしヒマな身体じゃありませんぜ」

 甚八の語気は甚だ荒かったが、須曾麻呂は言葉を濁して返答らしいものも言わない。さてはオレのかんしやくが奴メにグッとこたえたらしいなと思っていると、そうではないらしく、千頭家へついてからの待遇の悪いこと。部屋は召使いどもの隣り部屋。食べる物も召使いと同様の物らしく、「法事の日はそうするからね」と女中がゾンザイに犬に食物を与えるようにおいて行く。酒をだせ、というと、ヘン、生意気なという顔で、それでも一本ぐらいは持ってきてくれるが、あとはてんでとりあわない。ほかに立派な部屋がいくつもあいているようだから、こっちも招かれた法事の客、そッちへ移したらどうかと言うと、

「お前なんかと格の違う親類方がたくさん見えるんだよ。山の神のお客様だって、いつ遠方から泊りの方が見えるか知れやしない。お前さんはここでタクサンだ」

 というようなあいさつであった。

 甚八は考えた。これはオレを怒らせようという算段かな、と。しかし、甚八の怒った結果、彼らが何かトクをするかと考えてみると、どういう手筋を考えたって奴らのトクになるような結論はでてこない。たとえば甚八が癇癪を起して東京へ帰る。それが二十一周忌の一件に何かの影響があるだろうかとシサイに思いめぐらしても、なんの影響があろうとも思われない。甚八も賭け碁で一生きたえあげた眼力、人生表裏に相当徹しているツモリであるが、こうワケがわからなくては、ハイ、わかりません、で引ッこむわけに行くものではない。

「畜生メ。天下の甚八を怖れ気もなくよくもナメたマネをしやがるな。ようし。オレも神田の甚八だ。てめえらがその気なら、こッちは逃げ隠れするものかい。正体見とどけてツラの皮ひんむいてやるから覚えてやがれ。ついでに石の下の金箱をゴッソリ神田へミヤゲに持って帰ってやらア。アッハッハ」

 こう度胸をきめて、里人の間を歩きまわって、石の話、千頭家の祖先の話、狙いをつけていてまわる。

 ふと川越の居酒屋で一パイのんだのだが、これを運命というのであろう?

「オレは東京の大工だが、旦那だんなにたのまれて石を探している者だがね。どうだい、このへんに名の知れた石はねえかね」

 居酒屋のオヤジはいかにも土地の事情に明るいという年寄。甚八の言葉をよくギンミしながら、

「そうだねえ。石にも色々あるが、庭石に使いなさるのか」

「それがだ。この旦那がタダの旦那と旦那がちがう。まア、大金持の気違いだと思えばマチガイねえや。人間がやらねえことを、やってみたいてえ気違いだね。たいこうの大坂城で使った何百倍の大石でもかまわねえから、大小にかかわらず天下の名石を探してこいてえ御厳命だね」

「このあたりで名石というのは、あんまりきかないねえ」

「山か河原でもかまわねえが、石がタクサンあるようなところはないかね」

「そうだねえ。石がタクサンあるてえば、山の神だが、こいつア庭石になるかねえ」

 甚八はグッと胸にくる驚きを抑えて、

「へえ。山の神てえのが、石の名所か」

「この近在のタナグ山に山の神があるのだが、お客人は田舎のことに不案内のようだが、この山の神てえものは御神体が山でもあるしまた石だね」

「その石は山のどこにあるのだ」

「慌てちゃアいけねえなア。オレが見てきたワケじゃアねえ。山の神だのサエノカミてえものは石を拝むものだてえ話さ。ホコラの代りに石がころがってるだけのものだね。名石だか、奇石だか知らないが、タダの石かも知れないよ。行ってみればどこかに石があるのだろうが、それを東京へ持って帰るわけにもいかねえだろうよ」

 志呂足の奴め。するてえと石の下を見破ったのはオレに限ったことじゃアない。オレは津右衛門の指す盤面から見破ったが、志呂足はほかの筋からたぐりやがったのだろう。だが、待てよ。奴メが知っているなら、今ごろは石の下を掘り当てているはずだな。するてえと志呂足は山の神までたぐりよせたが、石の下とは知らねえな。

 その翌日、甚八は何食わぬ顔、鳥居をくぐってタナグ山へふみこんだ。見たところすぐ頂上へ登れそうな低い山だが、どう致しまして。第一、道はたちまち消えてなくなる。谷川づたいに登ると、両側は絶壁になって、とても、よじ登れやしない。森の中へふみこむと、視界がきかなくなって、辛うじて登りつめたところはようやく中腹。おまけに本当の頂上がどっちにあるかハッキリしないし、うっかり進むと下山の道に迷う危険がある。

「さすがに一筋縄じゃアいかねえや。そうだろうなア。大八車に何台という財宝を隠すからには、いかな神田の甚八の眼力といえども、易々見破れるものじゃアない。山てえものはバカにならねえものだなア。アタゴ山とはだいぶ違わア。だがナ。神田の甚八を見損っちゃアいけねえぜ。オレが十日とコンをつめりゃア、江戸城だって築いてみせらア。ハッハ」

 問題は道なき山の頂上へ登る手口の発見だ。山へふみこむと山の姿を見失う。そのとき己れの位置と方角をいかにして正しく知るかという問題だ。だが山中には越えがたいやぶや絶壁が諸方にあると、二日三日で仕上げのできることでないのは確かであった。

 明日はいよいよ二十一周忌の当日という夕方、甚八が疲れきって山から戻ってくると、珍しく離れから使いがきて、遊びにこないかという。行ってみると、天鬼を中央に、千代も入間夫妻もそろっている。天鬼は笑って、

「棟梁にははじめての挨拶だが、私は千代の兄で安倍天鬼という者だ。こッちの夫婦は入間玄斎という御家人くずれの通人だ。今度の招待には、棟梁もめっぽう面くらったらしいな」

「ヘッヘ」

「くわしい事情は私が説明しなくともみんな探りだしたであろうが、ハッハ。イヤ、あんたがこの村へきてからのことは、みんな知っとるよ。よくもまア足マメに一軒のこらず訊いてまわったものじゃアないか。よほど面くらわなくちゃアできない芸当だが、しかし、へきがなくちゃアこう身を入れてやれるものじゃアない。そのへきに感じて、ここに誰からも訊きだすことができなかった一ツの書付を進ぜようじゃないか」

 天鬼は笑いながら、懐中から、一枚の半紙をとりだした。それをひろげて、甚八の前へ押しやったのを見ると、アッと顔の色を変えたのは千代であった。

 これぞ亡夫の先々代が系図に書き加えた謎の文字ではないか。仏像の秘密の胎内に隠された系図は、今では千代のほかにその所在を知る者はないはずだ。悪智恵が達者な天鬼とはいえ、いつのまに系図の所在を見破り、書き写したものであろうか。思えば悲しい千代である。彼女はすでにこの謎の文字を思いだすことも忘れていた。東太成人せば、と、その日をタノシミにすることができたのは、思えば短い年月であった。東太が生れもつかぬ低能児と分っては、亡夫が死に際に暗示した謎をとき、家伝の言葉を東太に伝える希望も根気もありゃせぬ。いっそ東太を殺して自分も死んでしまいたい日夜の悲しい思い。謎の文字を思いだすさえ、身をきられる苦しみ。全てを忘れて東太と共にバカでありたい千代であった。

 しかし、いつのまに天鬼がこれを見破ったのだろう。そんな様子はツイぞ見せたことがないだけにおそろしい。二十年前、狂人のように亡夫の死に様をまねて指の方向をはかって以来、二度とそのような様子はなかった。すべてをキレイにあきらめて忘れきったようであった。そのくせいつの間にか系図の所在を見破り謎の文字を書写しているとは怖しい。何くわぬ顔をしながら、心はいつもいちに千頭家の秘密を追求していたのだ。なんという怖しい兄であろう。

 ああ、我あやまてり。千代は思った。東太の低能の悲しさにめしいて、千頭家の由緒ある秘密の断絶を意としなかった天罰だ。この秘密の解明を人手にまかせて、どうして先祖に顔が立とうか。否、東太にも会わせる顔がないではないか。千代の顔色は思わず幽鬼の如くにあおざめて、ひきしまった。

 天鬼はそれにチラと目をくれてニヤリとうち笑い、

「お前が顔色を変えるところを見ると、まだこの謎を解いていないな。謎をとけば、顔の色を変えるほどのことはない。甚八さんや。この謎の字は千頭家の系図にしるされた秘密だよ。天下にこれを知る者は千代と私のほかにはいない。あんたいくら村中をけまわっても、これをきだすワケにはいかないのさ。この紙キレそっくり進ぜよう」

 天鬼はカラカラと笑って、

「さてとうりよう。この紙キレを進ぜる代りに、こッちも一ツ知りたいことがある。あんたは村人たちに、このへんに名の知れた石はないかと訊いてまわりなすッたね。これはどういうワケだね。石ということが頭にうかんだワケを明してもらいたいね」

 天鬼は眼光鋭くジッと甚八の目を見つめた。天鬼は見るべき方角をあやまったのだ。もしも千代の顔に一目やれば、彼はその意外さに気づいたはずだ。心臓の鼓動がとまったように恐怖のために全身堅くひきしまり思わずブルッとふるえたのは、甚八ではなくて、千代だったのだ。

 甚八はケロリとして、

「イエ。なんでもありませんや。ちょうど旦那だんなに庭石をたのまれていたから、ついでに探しただけのことでさア」

「ハハ。たかが庭石を探すぐらいで、あの道のないタナグ山へ踏み入り、藪を越え、谷をわたり、岩をよじてさまようことはないだろうさ。そのワケを言いなさい」

「そうですか。それじゃア申しますが、私しゃアね。死んだ旦那が指したのは、方角かも知れないし、また碁石かも知れないと思っただけさ。石を探せという意味かも知れないと思いましたのさ。あっちこっち山中に至るまで探して歩くと、どこかに目ジルシの石らしいものが見つかりゃしないかなぞと思ってみただけのことでさアね」

 甚八の言葉がいかにも素直でアッサリしているから、天鬼はうなずいて、

「なるほど」

 そんなことか、と思った。この時に至っても、彼の目の方角がわるかった。もしも千代を一目見れば、ハテナと思ったはずである。千代は我を忘れて、考えこんでいた。ああなんたることだ。二十年。わが身に課せられた義務を忘れて無為にすごしているうちに、二十年目に迷いこんだ風来坊がたッた六、七日のうちに、彼女の知り得た秘密の全てを見破っているではないか。さすがに甚八は「石の下」とは言わなかった。言わないから怖しい。彼はすでにタナグ山中を歩きまわっているというではないか。タナグ山中と見たのは、なぜだろう。怖しい。彼はすでに多くのことを知っているに相違ないのだ。もしも天鬼が「石の下」という碁の筋のことを知っているなら、タナグ山中を歩いているという甚八の怖しさが身にしみて分る筈なのだ。千代はぼうぜんと考えこんだ。こうしてはいられない。家伝の秘密をオメオメ人に見破られ、隠された財宝を人手に渡してなろうか。だが、どうすればよいのだろう。千代は傍に人々のいるのも忘れて、いかにして彼らの先に秘密を見破るべきかと思い迷った。


    *


 甚八は部屋へ戻ると、天鬼からもらった紙キレをひろげて考えこんだ。

「人左川度。キウンヨザギンブ。クレビラキ。当家大明神大女神也」

 しばらく見ているうちに、顔色が明るく変った。彼はヒザをたたいて起き上った。

「フン。そうか。するてえと、やっぱり金箱だ。それも、よほどばくだいな金箱に相違ない。金山奉行か。首斬られ、というのが分らねえや。当家大明神、大女神てえのも、分らねえが、佐渡金山奉行とあるからには、金箱だけはマチガイがねえや」

 歴史を知らない甚八には全部のことは分らなかったが、的は外れていなかった。

 歴史の心得があったにしても、この謎の文字からだけでは正確な結論は得られない。系図に書き加えられた文章全部、つまりこの謎の文字に先立って、

「千頭家は当地移住まで特に記すべき血統なし。初代津右衛門長女さだ」

 これがないと分らないが、これだけでも正確なことは分らないのである。系図の初代津右衛門長女さだ。その下に記入の歿ぼつねん、慶長十八年七月二十日、という日付があって、はじめて全てが解明する。

 日本歴史に通じた読者はすでにお分りであろうが、この文中の佐渡金山奉行とあるのは、言うまでもなく大久保ながやすのことである。

 家康の挙用した人物中で、大久保長安は僧天海以上の怪物であったろう。彼はもとこうしゆうの猿楽師で大蔵ゆうと言ったそうだが、能は相当な名手らしく、はじめ家康は能楽師として彼を召抱えたのである。ところが彼は金山試掘を建議し、言のままに北山を掘らせると多量の金がでた。つづいて佐渡に金山をひらき、そのフシギな手腕を認められて、経営運営の任に当り、諸国の金山を支配し、佐渡金山奉行も兼ねた。はちおうに三万石の領地をもらったが、諸国の金山銀山を支配しているから年中旅行がちであり、自宅でも旅先でもその抜群の好色生活で当時の人々をうならせたものだ。落ちつく先々にめかけの数は数十人。旅行中は夜毎の宿々で土地の女を数名はべらせてその方面に休息の必要を知らない。日本史上金へん随一の親玉。でる金の含有量もケタが違う。その時分海中へすてたクズが今では大切な原鉱だ。そのような金へんのせいすいの気が身内にこもってゼツリンの精力が生れるのかも知れないね。彼はよく金銀も掘りだしたが、青史にれな精力の実績も記録に残しているのである。慶長十八年四月病死した。

 長安は死に先立って妾たちに遺産分配の金額を書きこんだ遺言状を一人一人に渡しておいた。同時に長男の藤十郎にも遺言して、妾たちの遺産分配を必ず実行するようにと堅く申しつけておいたのである。長安先生色道の大家だけのことはあって当時異例の大フェミニストであったのだ。

 ところが長安の死後、藤十郎は妾たちに約束の遺産を分配してやらなかった。そこで妾たちは立腹し、立派な遺言状を持っているから堂々と訴訟を起したのである。訴えをうけた家康が長安の私宅や、諸国の金山銀山に所在する長安支配の倉庫などを調べさせると、公儀へ届けでずに隠しておいた金銀その他日本第一流のこつとう類の山のごときイントク物資が現れてきた。

 おまけに切支丹キリシタン信仰の証拠が現れ、外国を手引きするとか、内乱の準備とおぼしき品々や連判状のようなものまで現れたそうだが、これは当時の伝説で、事実ではなかろうという話である。しかし当時の人にこう信ぜられていたのは確かである。この結果、その連判状の如きものを理由に、何人かの大名が罪をうけた。

 藤十郎一族はハリツケになったが、ここに哀れをとどめたのは訴えでた妾たちで、これも同罪なりと「首を斬られ」てしまったのだ。時に慶長十八年七月二十日のことであった。

 その歿年と系図に記入の文章を見れば、初代津右衛門の長女さだが長安の妾の一人であったことは明かであろう。

 以上が今日の史料から判読しうる事実であるが、さだは長安の生前多くの財宝をうけとってそれを生家に秘蔵していたと見るべきであろうか。幸いにその財宝は長安の死後も発見されずに、そのまま千頭家の私財となり、ここに千頭家開運の元をひらいた。当家大明神大女神とあるのは、それを指すのであろう。

 甚八はそんなことまで知り得なかったが佐渡金山奉行に関係ある財宝が石の下に隠されているものとにらんだ。

 明日は法事の当日。これで千頭家のとうりゆうは終りだが、その方が清々と後クサレなしというものだ。明後日から川越あたりに宿をとって、精根つくして秘密の石を見届けてやろう。東京から二、三人若い者をよびよせて、万事手ぬかりなくやるから成功疑いなしだと甚八は満々たる自信であった。

 ところが、甚八がさて寝につこうとする時現れたのは須曾麻呂であった。

「いよいよ法事の当日になりましたが、津右衛門どのの霊にでてもらいますから、身支度して、おいで下さい」

「法事は明日じゃアありませんか」

「甚八さんは二十年前をお忘れとみえますね。あなたは仏と碁をうって夜をふかし、四目の対局の時には翌日未明になっていたのですよ。今夜はこれから二十年前を再現するのですが、碁盤にむかっているうちに、翌日未明になるでしょう。ちょうど津右衛門どのの死んだ時刻に霊が現れるはずになっております」

「ハハア。なるほど。私が誰と碁をうつのかね。まさか津右衛門さんの幽霊と碁をうつわけじゃアあるまいが」

「来てみれば分りますよ。みなさん用意してすでに集っておられますから」

「そうですかい。それじゃア支度して参ると致しましょう」

 なるほど、霊が現れるにはそれにふさわしい道具だてが必要なわけだ。そのためにオレをよびよせたのか。こう言われてみれば分らないことはない。謎の文字を考えこんでいるうちに時を過して、夜中になってしまったと見える。

 そこで甚八が支度をととのえて大きな台所へでてみると、これは驚いた。女中のギンとソノが二十年前の物らしい小娘の大柄なつつそでをきて控えている。千代もいる。彼女も特に命じられたのか、二十年前の物とおぼしい着物をきている。

 ギンが甚八の前へすわりこんでペコリとあいさつするから、

「オヤ、改まって、なんだい?」

「イエ、二十年前がこうだったんですよ。私があんたを二階座敷へ御案内したのだから」

 ギンが二十年前のつもりらしく彼を二階へみちびくと、そこは二十年前と同じようにチャンと碁盤がそっくり昔の場所においてあって、その津右衛門の席に坐っているのは東太、その横に介添役に控えているのは天鬼であった。

 天鬼は甚八に笑いかけて、

「尊公もさだめし片腹いたかろう。これなる若者が当時三ツの仏のワスレガタミ東太だが、かれを津右衛門の身代りに、尊公と二十年前の情景をここへ再現するのだそうだ。東太はねむたくて御覧のようにコックリコックリ坐っていながら目があかない始末だから、オレがこうして介添役に控えているのさ。二人合せて津右衛門一人だよ」

「なるほど。すると、この坊っちゃんに仏の霊がのりうつるんですかい」

「イヤ、イヤ。そうじゃないそうだ。霊のうつるのは志呂足の娘でミコの比良という女だよ。自分のミコでもない東太にのりうつるような器用なことはできるものかい」

 定刻が来たらしく、志呂足が上座に現れ、比良が下座に現れ、控えという要領で中間に須曾麻呂が現れて、各々その位置についた。

 須曾麻呂が、ヤアーッという大声をかけたと思うと、ピンと威儀を正してハッタと甚八を睨みすえ、

「時刻であるぞ。甚八、四目おけ」

 この若造がはなはだしく虫の好かない甚八、大目玉をギロリむいて、

「何だと。甚八とは何だ。笑わせやがるな。仏の霊をひきだせる力があったら、オレの霊もひきずりまわして碁石ぐらい動かしてみやがれ。山の神の霊力でオレの腕をネジ動かして四目おかせることができるかできないか、さア、やってみろい」

 甚八は神田の職人。一度むくれたらテコでも動くもんじゃない。須曾麻呂はこれを怒ったのか唇のまわりがブルブルふるえたが、あとは一言も物を言わず、ジッと目をひらいて虚空をみつめている。

「ヘン。唐変木め。山の神ぐらいで驚くもんじゃアねえやな。唐変木の親玉はどうしていやがるか」

 志呂足の方をみると、これは我関せず涼しい顔、ジッと目をとじている。ミコの比良をみると、これも目をとじてジッとしている。甚八は苦笑して、

「どうもあきれたもんだね。甚八だって言やアがる。くそ、いまいましい野郎だ。再びぬかしやがるとポカリとお見舞いするから覚悟しろ。ボツボツ幽的をだしてくれ。こッちは気が短けえや」

「まアまア、とうりよう、そう短気を起しちゃいけない。めったに見られない見世物だから、ゆっくりお手並拝見とシャレよう」

「それも、そうだね。しかし、いつまで待たせるものかね」

「刻限があるのだそうだ。その刻限になると手打ウドンがでてくるそうだから、そのへんへきたらそろそろ幽的のでる刻限だと思わなくッちゃアいけないね」

「甚だ面白えや。するてえと今はどのへんかなア。今ごろは白のいいとこのない局面だったね」

 そこへお茶を持って現れたのは、千代である。甚八は苦笑して、

「そうだっけなア。なんでも奥さんが茶を持ってきて、そんときからオレの形勢が逆転したんだねえ。つまらねえ筋を見落したものさ」

 思えば残念この上もない。五段とはいえ素人相手に四目で打ち負かされたとあっては、一生ねざめが悪いのである。甚八は渋いお茶を一息にほして、

「奥さんがあのとき現れなければ、私は負けがなかったかも知れないね。負け碁に仲のいいところを見せつけられちゃア、のぼせちまわア。オレも若かったなア」

「誰でも負けがこむと、同じ手合の人でも三目ぐらいまで打ちこまれるそうですわ。碁打ちの方は皆さん覚えがおありでしょうよ」

「それがあなた、奥さんの前だが、私はあの一夜のほかは誰にも負けがこんだてえ覚えがないのだからね」

 そこへギンがポッポッと湯気のたつウドンのドンブリをもって現れた。それを甚八と東太の傍におく。ソノがドビンを持って現れて、お茶をつぐ。

「いよいよドンブリが現れたね。これから、そろそろ幽的の現れる刻限だね」

「あと十分ぐらいのものかね。津右衛門どのが息をひきとられた時刻までは」

 ひとしきり言葉がはずむと、一座はさすがにシンとした。その断末魔を見とどけた千代には思いだすのもつらい時間であったろう。甚八とても目にアリアリと残っている情景、気色のいい時間ではないらしく、目をとじて、顔をふせたが、フシギや甚八の面色は土色に改まり、額に汗がうき、彼は握りしめた手をひらいて、急いで胸をかきわけるようにしたと思うと、前へのめって、畳をむしり、

「ウッ。ウッ。ウッ」

 彼はバッタリ伏すと、もがいては前へすすみ、ドンブリへ五本の指をそっくり突っこんでひッくりかえした。一面にウドンの海だが、甚八はそんなことはもはや意識にないらしく、夢中に畳をむしり、ときには力つきてうつせとなり動かなくなるかと思うと、再び畳をむしりつつウドンまみれにいずりまわってもがく。

 人々がすべを忘れてぼうぜんそれを見ていたのは、それが津右衛門の幽霊の再現だと思ったせいだ。しかし、天鬼は、ふと気がついた。あまりにも真に迫っている。甚八のような威勢のよい職人に志呂足のヘナヘナの術がかかるものではなかろう。

「ハテナ」

 天鬼はいぶかしんで、そッと横へまわり、ウドンの汁が手につかないように注意して、甚八の襟をつかんで、顔をのぞきこんだ。

「オッ! これは幽的や病気でもないかも知れんぞ。口から血を吐いているぞ。ひょッとすると、毒をのんだのかも知れねえ。入間玄斎先生をよんでこい!」

 しらせによって離れからけつけた玄斎は甚八の顔をジッと見て、マブタの裏をかえしてみたが、

「どうやら毒らしいね。まず、吐かせなくちゃいけないが、うめをドンブリかドビンに一パイぐらい持ってきてもらいたいね」

 しかし、手おくれである。梅酸をのんで吐く力もなく、甚八は死んでしまったのである。

 東京から出張してきた医師によって、甚八の毒殺は確定した。甚八が毒をもられたとすれば千代が持参したお茶のほかにはないようだ。そのお茶をいれたのも千代である。大きなドビンに番茶をいれ、熱湯をさして、さらに火にかけ、うんと渋茶に煮たてた上に、それがこの家のいれ方であるが、若干の塩を入れてだすのである。

 千代は一応容疑者として地方の警察へひかれたが、この警察では他に複雑な事情があるものと見て、結城新十郎に応援をもとめた。

 そこで新十郎は田舎通人と虎之介にとりまかれつつ、川越へ到着したのである。


    *


 新十郎はまる五日間、留置の千代を取調べずに、傍証をかためているようだった。彼は全てを調べあげたが、特に甚八の行動には興味をひかれたらしく、彼が諸方を歩いたと同じように諸方を歩いて、彼が何を質問し、何を突きとめ、何をきいて満足したか調査してむことを知らないようであった。

 夜は夜で歩きまわり、また読書にふけっていたが、花迺屋と虎之介に系図を示して、

「この系図の書きこみは面白いものですね。これによると、村人の言い伝えには意外の真実がこもっているのが分りますよ。初代津右衛門長女さだは明らかに大久保長安のめかけの一人ですが、長安は、ばくだいな財産をイントクしていたと同時に、切支丹キリシタンでもあったと言われているのですよ」

 田舎通人はニヤリと笑って、

「それじゃア私は隠し物は切支丹の祭具と見るね。金箱だという説は誰しもいい加減に思いつく空想だが、切支丹てえのは、しかるべき達人のニラミがないと見破れない」

 虎之介はこれをきいて大笑。

「何年たっても半可通の頭だねえ。系図の文句を読み落さないように気をつけることだ。当家大明神大女神也とあるのはどうだ」

「それはすなわち当家切支丹の開祖大女神ということさ」

「ハッハ。このウチには切支丹らしいものが何一ツないじゃないか。デクノボーめ」

 すべてを調べ終って、千代をよびだした。千代はあおざめて力のない様子である。新十郎はイスをすすめて、

「あなたがお茶をいれたのはマチガイありませんね」

「ハイ」

「お茶をいれて、それを二階へ持って行く時刻はあなたがはかったのですか」

「いいえ。その指図は宇礼さんです。宇礼さんもミコですから、神の霊がのりうつッて、時刻がお分りなのやら、私たちの前にピッタリおすわりで、一々指図なさるのでした」

「ときに、あなたは、碁がお強いそうですねえ」

「イイエ」

「御ケンソンはいけませんね。初段格はおうちになるということを古い碁客から承りましたよ。あなたは御主人と甚八の四目の碁の終盤をごらんになりましたね」

「終盤だけ見ておりました」

「どんな碁でした」

「さア。黒によい碁でしたが、一隅の黒石が死んだので足らなくしたようでしたが」

「なにか筋を見落したということでしたね」

「見落しがあったようです」

「その筋は石の下ではありませんか」

 新十郎の声は、にわかに早口で高かった。千代はビックリして目をそらした。千代は答えなかった。

「甚八は村の方々をまわって、このへんに有名な石、珍しい石はないか、ときいていたそうですね」

 千代は黙して答えない。

「とうとう川越の居酒屋で、タナグ山の祭神が石だということを突きとめて、次の日からタナグ山へわけこんで歩きまわっていたそうですね」

 千代はまだ答えなかったが、新十郎は一向に気にかけない風であった。

「甚八はあなたの兄さんに答えて、オレが石をきいてまわるのは、仏が死ぬとき指したのが碁盤じゃなくて碁石だからと考えてみたからだと言ったそうですね。たしか甚八はそう申したそうですね」

 千代はなおも答えがなかった。

「あなたは茶をもって二階へ上ったとき、二人のどちらへ先に茶ワンをだしましたか」

 千代は驚いて顔をあげたが、蒼い顔にちょッと血の気がさした。

「甚八さんへ先に差上げたと思います」

「どのへんの位置へ差しだしましたか」

ひざのすぐ横手でしたでしょう」

「次の茶ワンは?」

「東太の膝の横手です」

「兄さんの前ではありませんか」

「いいえ。そこは兄の前にも当りますけど、兄は一膝ぶんぐらいひッこんでおりましたから、東太の膝にすぐ近く、兄の膝からは二尺ちかい距離は離れておりましたろう。特に気をつけてそこへ置きました」

「なぜ特に気をつけたのですか」

「二十年前を再現すること、したがって、兄のためではなく、東太が亡父の身代りですから」

「二十年前には、二人はお茶をのんだでしょうか」

「覚えがありません」

「東太さんはのみましたか」

「いいえ」

「よく覚えていますね」

「居眠りしていて、お茶がそこにあることを知らなかったと思います。ソノがドビンを持って茶をいれ代えにきたとき、東太の茶ワンは手つかずに茶が残っていました」

「そう、そう。ソノもそう申していましたよ。その後はどうでしたでしょう」

「その後のことは記憶しません」

「茶に食塩を入れるのは、いつごろからの習慣ですか」

「私が当家に嫁しましたとき、すでに当家の習慣でした」

「甚八はお茶を一息にのみほしたそうですが、あなたは見ましたか」

「見たような気もしますが、そうでないような気もします」

「あなたは、いま何が一番気がかりですか」

「東太のことが気がかりでございます」

 それから新十郎は東太のことを話題にして、その幼少のころのこと、今のこと、いろいろ何十分もきいたアゲク、じんもんをうちきったのである。

 それから新十郎は千頭家へ赴いて、ギンとソノをよび、千代が茶を入れる時の動作をよく思いだすように命じて、二人にそれを実演させた。

「別に変った様子、変った挙動はなかったのだね」

「変ったことは一向にございませんよ」

「その塩のつぼを持ってきてごらん」

 女中から壺をうけとると、中をしらべていたが、つまんで舌へのせてみた。彼はすぐ吐きだして、

「たしかに塩だ。この塩の分量が、近頃メッキリへらなかったかね」

「そんなことは気がつきませんね」

「ヤ。ありがとう」

 新十郎の調査はそれで終りであった。

「さア、東京へ戻りましょう」

 彼は二人の連れに言った。

「いったん東京へ戻って、二、三日後に、また出直して参ることに致しましょう。それまではだれが犯人だか、おあずかりと致しましょう」

 新十郎は二人の連れの顔を意地わるく見くらべてクスリと笑った。


    *


 その翌日、海舟の前にひかえているのは虎之介。今日は珍しく竹の皮包みを持参した形跡がない。その必要がなかったのである。川越へ再出発に一、二日間があるから、いつものように慌てる必要がないのだ。

「気ぜわしいと、虎の顔は間が抜けるが、落着き払うと、一そう間が抜けて見えるぜ。珍しい顔だが、長生きはするなア」

 海舟は悪血をとりながら、虎之介の面相をひやかしている。ちょッと推理になやんだせいだが、今やその悩みが解消したせいでもあるらしい。彼はナイフをおいて、懐紙できつく後頭部の血をしぼった。

「犯人は千代じゃアあるまい。千代はお茶のいれ役で、またそれを運ぶ役目だ。とうにきまった役柄だから、そのとき毒をもっては直ちに身の破滅となることが見えすいている。利巧者の千代が、そんなヘマをやることはあるまい。言うまでもなく千代は相当の碁の打ち手と新十郎がにらんだ通り、津右衛門が暗示したのは石の下だと知っていたのだ。だがそれを言っちゃア甚八を殺した動機ができるのさ。一人で生きる能のない東太を残して人殺しの罪をきたくない千代の思いは必死なのさ。知らぬ存ぜぬ、あくまで無罪を言い張りたいにきまってらアな。犯人は千代の兄、天鬼だぜ。彼こそは犯罪の鬼才にめぐまれ、血も涙もないごうよく者だ。弟地伯を巧みに勘当した手際を見ても大胆不敵の悪略鬼謀が知れるじゃないか。天鬼は甚八を目の上のコブと見たのであろう。生かしておいては我より先に千頭家の秘密の財宝を見破る怖れが充分だ。他の者からは知ることのできぬ系図の謎を甚八にあかしたのは、甚八の捜索に尽力すると見せかけて、彼を敵手と見ている心をそらして見せた手段であろう。系図の謎を知ってみても、甚八の身に三文の得にもなりゃしないぜ。そんな物を知らなくたって、石の下に財宝が埋めてあるということは、すでに甚八が信じてうたぐらぬところだ。ここのカラクリが分れば、天鬼が目の上のコブをひねりつぶした悪計は一目リョウゼンというものだ。毒はひそかに塩ツボに仕込んでおいたに相違ない。自分も毒茶をのむかも知れぬ危い立場の天鬼を誰が疑る者があろうか。そこまでチャンと計算していたことだろうさ」

 海舟の推理は巧妙に天鬼のカラクリをついて上出来だった。なんたる眼力! 虎之介はことごとく舌をまいて、平伏してしまった。


    *


 千頭家では、今日しも、第二回目の実演が行われていた。碁盤の向うに、東太、天鬼、上座に志呂足、下座に比良、中に須曾麻呂が座をしめているのは前日と同じだが、甚八の代りには花迺屋がニヤリニヤリと鼻ヒゲをひねってすわっている。廊下には官服私服の警官がジッと見物しているのである。

 さて階下の台所では、今しも千代がお茶を入れるところだ。その正面に宇礼が坐って、それを見つめている。ギンとソノもその近いところに座をしめている。千代はドビンに茶を入れて塩を入れ、熱湯をついで、火にかけた。しばらくフットウさせてから、二ツの湯のみに茶をついだ。それを持って階上へあがる。

 次に宇礼の命令によって、ウドンをつくりはじめる。ウドンができる。ギンがウドンをもち、ソノがお茶のドビンを持って二階へ去る。今や残ったのは宇礼一人である。その正面に向いあっているのは新十郎。そして、ここにも私服の警官がそれをとりまいていた。

 新十郎は女中が立ち去ると、宇礼をうながした。

「さア。それから、あなたが前日した通りのことをおやりなさい」

 宇礼はハッと新十郎を見つめた。

「さア。つづけて、おやりなさい。この前、あなたがした通りに」

 宇礼はゾッとすくんだように見えた。新十郎は彼女の前へ三歩四歩近づいて、坐った。

「やるのですよ。この前にあなたがした通りのことを」

 新十郎の視線は宇礼の目にくいこんで放れなかった。決して強い力で睨んでいるのではない。ただ見つめているだけであるが、まったく変化がなく、ゆるむことも、強くなることもなかったし、とぎれることもなかった。よそから見ればなんでもない視線であるが、そのいちな粘着力でからみつかれた相手の目には、どうしようもない重さであった。視線は厚みも重さもある棒状のものとなって、目の中へグイグイくいこんでくるし、そこまで意識してしまうと、モチのように宇礼の頭にからみつき、重く突きこみ、こねついて頭全体がその重みだけでつぶれそうになるのであった。

「それ。この前あなたがしたことを、あなたがしてみせる番ですよ」

 宇礼の顔はあわれみをうのだか、絶望したのだか、新十郎に挑むのだか、わけが分らない顔になった。宇礼はフラフラ立ち上った。塩壺を持って井戸端へ行き流しへ塩をあけて水で洗い流した。彼女は再び台所へ戻り、塩のつまった大きなカメから、二ツカミの塩を壺の中へ入れた。

 ちょうど、それをやりとげた時だった。二階からギンとソノがけ降りて、入間玄斎をよびに駈け去ろうとしたのである。

 階下では宇礼が、階上では志呂足、須曾麻呂、比良の三名が、それぞれ捕えられていたのである。

 新十郎は苦笑しながら警官たちに説明した。

「宇礼がミコで、暗示にかかり易い娘と見こんで、やったまでのことですが、ほかに証拠が一ツもないので、破れかぶれ窮余の策というわけでした。うまくいったらオナグサミというところでしたね」

 彼も大いにらかったらしい。

「この事件を説くカギは、甚八をよびよせたのはなんのためか、というところに気がつけばよかったのです。はじめから甚八は千代に殺された如くに毒殺される役割でした。甚八の毒殺によって、二十年前の津右衛門の死が毒殺としてよみがえる公算もあります。それも千代には不利な事となったでしょう。偶然にも、甚八と千代は石の下を見破った地上に二人だけの人物でした。このためにますます千代は苦境にたち、自分の無罪を大胆に主張することもできないようなハメにおちこんでしまったのです。甚八をわざわざよんでおきながら女中や下男なみの食事をあてがって、帰りたければ勝手に帰れ、お前なんぞは特別に用のない人間だと人々に思わせたあたりは一歩あやまれば水泡に帰する巧妙大胆な策略でしたろう。また、実演の席で須曾麻呂が甚八をよびすてにして怒らせたのも巧妙な策。腹をたてれば誰しもノドがかわくし、その場の事情やツツシミを忘れて一息にお茶をのもうというものです」


    *


 虎之介の報告をきいて、海舟は静かにうちうなずいた。

 そして、何も言わなかった。

 やがて房をよんで、碁盤を持参させた。

「虎は碁をうつかエ」

「ハ。ヘタの横好きで」

「虎のタンテイ眼では、碁がヘタなことは知れている。石の下を心得ているかエ」

「ハ。それを心得ませぬのが、まこと痛恨の至りで」

「石の下とは、こんな手筋だ」

 海舟はサラサラと並べてみせた。それを私が代って読者に解説すると次のようなことになる。

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