紫子と大河

1話

 夏目紫子とは幼馴染だった。

 家が近所で、幼稚園から小学校、中学の途中まで一緒だった。

 そうはいっても、一緒に遊ぶほど仲が良かったのは小学校低学年くらいまでだった。

 小学校六年の頃、紫子はあの誘拐事件に巻き込まれ、被害者で唯一生還した。

 そんなセンセーショナルな事件に巻き込まれたのだから、当然、世間の注目の的だった。

 家に押し掛けるマスコミ、クラスメイトからの好奇の視線、幼い彼女にとって耐え難い苦痛だっただろう。

家族公認の幼馴染だった俺は、彼女の父親に「紫子を頼む」と言われた。

つまりは、学校での奇異な視線から守れということだったのだろう。

 しかし、俺はその約束を守れなかった。

クラスメイトのからかいに負けた情けない俺は、彼女を守れなかった。

 そのことを今もずっと後悔している。



 今日もgiftとの合同捜査だった。

 今回のメンバーは紫子と有明憂、俺の三人だけだ。

 内容は電車内で頻発する痴漢を捕まえることだった。

 


 案外あっさりと捕まった。

 正直、こんなことで出動する特殊捜査部隊もどうなんだ。その辺の交番勤務に任せておけばいいだろうに。

「向井君、今こんな事件で俺を使うなよ、とか思ってますか」

「え、いや」

 似たようなことは思っていた。

「憂さん、お疲れ様でした。今日はお一人で帰ってください」

「あ、うん。お疲れ様でした」

 有明を一人で帰した後、紫子は振り返って言った。

「では、向井君。二人で飲みにでも行きますか」

「は?」

「嫌ですか? なら無理にとは言いませんが」

 嫌ではなかった。むしろ紫子が俺を誘う訳ないと思っていた。

「いや、別にいいけど」


 紫子が選んだのは、おしゃれなバーだった。

 俺があまり来ないタイプの店だ。

 紫子はカルーアミルク、俺はジントニックを頼んだ。

「さて、何から話しましょうか」

「何でもいいぞ」

「では小学校時代の話から」

「おう」

 俺と紫子は幼馴染であるが、友達という訳ではない。

 紫子は今とは違って、子どもの頃は近寄りがたい存在だった。

 だから友達もいなかった。

 いつも一人で、小学生が読むには難しい本を読んでいたし、テストはいつも満点だった。

「ドロケイで私が警察になると本物が来たぞって言われたりしましたね」

「警視総監の娘だからな」

「だからって私も警察になるかどうかは、その時は分からないのに」

「ああ、そうだな」


 意識が飛んだ。


 目覚めると知らない床に転がされていた。

「……何処だ、ここは?」

 確か、俺は紫子と一緒にバーで飲んでいて……。

「ああ、目覚めましたか」

 紫子がマグカップを片手に立っていた。

「紫子……、ここは何処だ? 俺はバーにいたはずだろ」

「ここは僕の家ですよ」

「何で、お前の家に俺がいるんだよ」

 思い出せない。

「とりあえず、お水でも飲んで」

 可能性を考える。

 酒で記憶を飛ばして、紫子に介抱されてるとか恥ずかしくて死にたい。

「迷惑かけたな、すまん」

「向井君が思っているようなことはありませんよ。僕が向井君に薬を盛って眠らせて、タクシーで運んできました」

「は?」

 意味が分からなかった。

「何でそんなことをする必要があるんだよ」

「ストーカー殺人とか、強姦殺人とか、被害者がほぼ女性なのは知っていますよね」

「ああ、常識だろ」

 実際に被害者の話も聞いたことがある。本当に胸糞悪い。

「勝手に好きになっておきながら、自分の思い通りにならなかったから殺すとか、迷惑極まりないので、マジで消えてほしいですよ」

「俺も、そう思ってるよ」

「まあ誰でも普通はそう思うでしょうが。でも男性は絶対に何処かで安心している。自分は男で生まれてよかった、と」

「それは……」

「実際、楽じゃないですか。メイクもしなくていい。セクハラに遭うのも稀。力も強い。子どもも生む苦しみもないですしね」

 前置きの後、紫子は結論を言った。

「これで少しは分かりましたか、女性の気持ちが」

「そういうことかよ」

「じゃあ、真面目な話でもしながら飲み直しますか?」

「いや、帰るよ」

「そうですか、残念です」


 帰りのタクシーの中で、俺は思った。

 今の紫子は子どもの頃とは別人になった。

 大胆で、饒舌で、一方的で。


 それでも俺は紫子のことが好きだった。


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