見習い魔女と幽霊

「暑苦しい!!」


 クルリナに強い力で引きはがされ、リリーメイは悔しそうに口を尖らせた。自由を取り戻したクルリナは肩で息をしながら、少しだけ乱れてしまった着たコートを直している。今日は冬のはじまりにしては暖かく、リリーメイのようにコートを着ていない人も多い。クルリナもまた、可愛らしいそれを学生服の上に羽織っているだけで、前の大きなボタンを留めていなかった。


 クルリナはぶつぶつ言いながら身だしなみを確認すると、ぱっと勢いをつけてリリーメイに向き直った。彼女を不機嫌な目で見上げたかと思うと、そのまま例の仁王立ちの姿勢で彼女に説教を始めてしまった。そのクルリナの姿には小さいながらも迫力があり、リリーメイはすっかり気圧されてしまっていた。


「いい? 今回はギリギリ許すけど、今後は気をつけないとダメよ? ましてあたしたちは、これから図書館に入るんだからね? 図書館ではまず大声は禁止で、もちろん同意のない過度なボディタッチも――いいえ、これは平素からやってはいけないことで……」

「うう……ごめんなさい……」


 こうしてリリーメイは、突然の狼藉をひとつ歳下のクルリナから本気で叱られることになった。しかもここは図書館の敷地内とはいえ、屋外の、公の場所だ。そのことに改めて気づいた彼女は自分の衝動的な一面を少しだけ恥じたのだった。


 クルリナの説教は思いのほか長大で、実のところリリーメイは途中から飽きていた。彼女は中盤ごろからクルリナの動きの大げさっぷりや、髪留めやコートの装飾といった、意外にも少女趣味っぽい持ち物群を観察し始めていた。さらに彼女のようなしっかりしたお姉さんタイプはリリーメイの友人には少なかったため、なんだか新鮮でおもしろいなあといったことを、彼女は考えていた。


 ちなみに彼女がそんなことを思っていたせいで、ようやく話が終わりかけたころにほんの少しだけ顔がほころんでいたところをクルリナに目ざとく見つけられ、ふたたび叱られてしまったのはまた別の話だ。


 そして。


「はぁ~い、盛り上がっているところ、大変申し訳ございません~」


 諸々が落ち着き始めたころ、彼女たちの頬を弱い冷気がかすめた。


 それとほぼ同時に、一緒に図書館に入ることを決め、改めての自己紹介やちょっとした世間話を交わしているリリーメイとクルリナのところに、どこからか陽気な声が響く。クルリナはその声を聞くとふっと表情を和らげ、彼女たちの前に鎮座する観音開きの正面ドアの方に顔を向けた。


「あら、リリィ。アスタが来たみたいよ」

「アスタ?」


 クルリナの動きに合わせて、リリーメイもドアのほうに目を向けた。


「うん。さっき言っていた、ここの――」


 すると、

「こんにちは~。ただいまご紹介にあずかりました、アスタです~」


 ひとりの色つやの良い少女が、


「幽霊職員よ」


 なんと、ドアを貫通して華奢な上半身を覗かせていた!


「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」


 この日、図書館の前で発せられた女性の甲高い悲鳴を、エルの街の多くの人が耳にしたという。


 その声はいつまでもいつまでも薄紫の空に響き、私設図書館と幽霊職員にまつわる新たなエピソードとして、住民たちのあいだに瞬く間に広がったのだった。



「驚かせてしまって申し訳ありませんでした。わたし、このファミル私設図書館で職員を務めております、アスタと申します~。ごらんの通りの幽霊ですが、死力を尽くして利用者さまのお手伝いをさせていただきますので、今後ともよろしくお願いいたしますね~」


 正面扉を抜け出し、全身をあらわにしたアスタという幽霊は、リリーメイたちの前をふよふよと漂いながら深々とお辞儀をした。対するリリーメイはというと、驚きのあまり涙をぼろぼろこぼしながら、蒼白に蒼白を重ねたような顔で、酸欠の魚のごとく口をぱくぱくとさせている。


「あ、ははははひ、こちらこそそそ驚いてしましまで失礼いたしまいた!」


 しかも、うまくしゃべれていない。


 クルリナはそんな彼女を見て、笑っていいのかダメなのか判らないといった顔をしている。そのことがますます、リリーメイを情けない気持ちにさせた。


 顔を上げ、彼女たちを少し高いところから見守っていたアスタはにっこりと微笑むと、高度を下げてリリーメイの背中をやさしくさすり始めた。アスタの手の感触はやわらかく、温かく、しかし体感温度としては確実に冷たくて、それは彼女がやはり血色が良いだけの『幽霊』にほかならないことを雄弁に物語っていた。よく見ると彼女の右肩はほんの少し透けているが、不思議と嫌な感じはしなかった。なんだか学校の幽霊先生に似ている気がすると、リリーメイは涙を拭きながら思った。


 アスタはやさしく、子供をあやすように言う。


「うふふ、お姉さん、深呼吸しましょうね~。落ち着いたら、館内で書類に必要事項をご記入願います。利用者証を作らせていただきますので~」

「は、はいぃ……ありがとうございます……ごめんなさい……」


 何度も謝りながら、なおも頭を下げ続けるリリーメイに対して、アスタは『自分に驚く利用者は時々いるから気にしないでいい』と励ました。耳元で聞こえるアスタの声は彼女の笑顔と同じ太陽の香りがして、リリーメイにはなんだかそれが心地よかった。


 ――大丈夫だ、アスタさんは怖くない。私は、もう大丈夫。


 彼女はハンカチを持っていない手を開いたり握ったりして、やっと自分を落ち着かせた。


 そんな彼女の変化をかぎ取ったのか、はたで見守っていたクルリナがすかさず口を挟んだ。


「ちなみにリリィ、『死力を尽くして』はアスタの鉄板幽霊ギャグだから拾ってあげなきゃダメよ」

「え!? 死力……死……ああ、そういう」


 にやにやしながら自分を指さすクルリナに対して、アスタは可愛らしく頬をぷっくり膨らませて言い返した。


「も~、クルリナさん、ネタばらししたらつまらないじゃないですか~」

「あはは~、ごめんごめん。だってアスタ、こうするとおもしろいんだもん」

「ひどいですよ~! そんなこと言うと、今度からモデルのお仕事引き受けませんからね~!」

「ちょっ、そ、それは困る! ごめんってば!」


 クルリナとアスタは、いつの間にかリリーメイそっちのけでじゃれ合っていた。どうやらふたりは以前からの、しかも職員と利用者の関係を超えた友人同士らしい。彼女たちはリリーメイの知らない話題で盛り上がっているが、意外にも疎外感のようなものは覚えなかった。


「あはは……」


 それどころか、ふたりの様子を少し下がったところから見つめるリリーメイの口元からは、自然と笑みがこぼれていた。


「っと、ごめんリリィ。あたしたちだけで盛り上がっている場合じゃなかったわね」

「リリィさん、とおっしゃるんですね。それではご案内させていただきますね~」


 彼女たちに促されたリリーメイは、正面扉のノブに手をかけ、図書館の封を解いた。それは重そうに見えて実のところそうでもなく、ごく自然に、軽やかに、彼女の前にその姿をあらわにした。


「ようこそ、ファミル私設図書館へ~」

「……はい!」


 館内へゆっくりと足を踏み入れながら、リリーメイは学友のエミールがここを紹介してくれた理由を、ほんの少し理解したような気がしていた。


 彼は、リリーメイの自慢の友達は、やさしいのだ。

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