花向かいの古図書館

山切はと

プロローグ:ある日の図書館①

 ここではないどこか遠い世界。


 そこは人々が平和に暮らし、魔法使いたちが当たり前のように日なたを歩く世界。

 地方都市エルの、花壇が自慢の中央公園の向かいに、ひとりの魔女が働く古い私設図書館がある。


 小さいながらも豊富な蔵書を誇る魔法図書館ウィッチズライブラリとそこの司書には、いつのころからか奇妙な噂がついて回っていた。


 そこにはこの世のあらゆる本が集まっており、司書は来館者の望む本ならどんなものでも必ず見つけだしてしまうのだという。


 たとえそれが、まだこの世のどこにも存在しない本であったとしても。



 月曜日の午前中、魔女にして古図書館の司書であるフィーリアは、カウンターでひとり事務仕事にいそしんでいた。そろそろ昼が近いとはいえ、平日の早めの時間だけあって館内に利用者はいない。それにもかかわらず、彼女はまっすぐに背筋を伸ばし、涼しい顔で大嫌いな書類チェックに取り組んでいた。


「…………」


 彼女が素早くペンを走らせる音が無人の館内に響く。


「…………(つまらないです、これ)」


 同時に薄い唇がわずかに動き、声に出ない程度に不満を漏らしていた。


 本当はもっとつまらなさを全面に押し出してもいいのだが、立場上そういうわけにもいかないのだと彼女は強く考えていた。ここにはいつ利用者が現れるか判らないし、今この瞬間も厳密には彼女ひとりではないため、品位を欠くような行動はできない。少なくとも、あのヒトの仕事が終わって次の休憩のタイミングが来るまでは--。そんな思いを胸に、彼女は苦虫を噛み潰したような表情をさらに噛み潰して、なかったことにしていた。


「フィーリアさ~ん、三号書架の点検終わりましたよ~」


 そうこうしているうちに、フィーリアの頭の上から間の抜けた少女の声が降ってきた。彼女は書類から顔を上げ、大きな眼鏡を直しながらその声に応えた。


「ありがとうございます、アスタさん。異常ありませんでしたか?」

「はい、問題ないです~」

「助かります。何か用意しますから、少し早いですが昼休憩にしましょうか」

「いいんですか~? じゃあ、お言葉に甘えて司書室で待ってますね」


 アスタと呼ばれた少女は、腰まである金の長髪を揺らしながら空中で一回転した。愛嬌ある顔立ちの彼女は透き通るような白い肌をロング丈のワンピースで包んでおり、足下は実際に透き通っている。フィーリアはそんな彼女の動きを、今日もよく透けているなと思いつつ目で追った。


「今日のお茶は何かしら。楽しみにしてますね~」


 アスタはそのまま空中でくるくると回りながら、カウンターの奥にある木製の扉をすり抜けていった。宣言通り、彼女は司書室に移動したのだ。フィーリアはそのご機嫌な背中を見送ると、ゆっくりと立ち上がった。彼女もまた、この休憩時間を待ちわびていたのだ。


「…………アスタさんが手伝ってくれて助かるわ。ちょっと透けているけど」


 そう口にした彼女もアスタに続き、司書室に移る。ただし、きちんと扉を開けて、であるが。


 休憩室を兼ねた小さな司書室のテーブルには、すでににこにこ顔のアスタが着いていた。朝の光にちょっとだけ透き通る彼女の目の前には、彼女専用の小さいティーセットが置かれている。フィーリアは先に自分用のマグに水差しの中身を注ぐと、小さなパンと一緒にアスタの向かい――すなわちフィーリア自身の定位置――に置いた。また水とパンだけですか、と眉を下げて咎めるアスタを無視して、フィーリアは空っぽのティーセットにそっと手をかざし、アスタのカップを湯気をたてる緑色の液体で満たした。彼女はそれを見て、うれしそうに声を上げる。


「わあ、リグ茶ですね」

「ええ、お好きだと言われていたのを覚えていましたので」


 そこまで準備を済ませてやっと、フィーリアはアスタの向かいに座った。ますます笑顔を咲かせるアスタとは対照的に、どこか沈んだ表情のフィーリアは肩で切りそろえた髪の毛をかきあげるとほんのわずかに眉を下げ、申し訳なさそうに口を開いた。


「本物のお茶をお出しできればいいんですけれど……。私の実力では、香りとか、どうしても本物に劣りますから」

「いいえ、十分ですよフィーリアさん。この通り、わたしには本物を楽しめるような身体がありませんから~」

「……恐縮です」


 そう言って楽しげに右手を光に透かす図書館の臨時職員アスタは、ある本に憑いている正体不明の幽霊だった。かつてフィーリアが遠くの書店から買い付けた異国の古本にくっついていた彼女は、いつの間にやらこの図書館の手伝いをするようになり、いつしかひとりきりでここに住む司書フィーリアの友人のような存在になった。ある時お茶の趣味で意気投合して以来、彼女たちは日々力を合わせながら図書館を守っているのだ。今はちょうど蔵書のメンテナンスの時期であり、アスタは数多ある書庫の点検作業を担当している。


 フィーリアの魔力で出来たリグ茶をすすりながら、真面目な幽霊職員はその場が華やぐような明るい声で言った。


「そんなことよりフィーリアさん、午後はどうします? わたし、リグ茶気分を味わえてご機嫌なので、あと書庫三つくらいは見て回れそうですよ~?」

「うーん、そう言っていただけるのはうれしいですが、ほかの作業計画との兼ね合いもあります。ここは予定通りに進めましょう。早めに終わったら、先に上がっていてください」

「そうですか~? そういうことなら~」


 上がるといっても、図書館の中にはいるんですけどね--アスタはそうこぼしてまた笑う。


 彼女の本体である古本は、開館中にはこの司書室に、それ以外はフィーリアの私室に保管されている。彼女は本体から大きく離れて活動することができないらしく、名実ともに図書館に常駐する存在だ。そんな彼女は、仕事のないときはもっぱら蔵書を読んで過ごしている。


「ねえフィーリアさん、またおすすめの小説を紹介してもらっていいですか? わたし、読みたい本のジャンルを、がんばっていろいろと考えてみたんですよ」

「判りました。午後、手の空いたときに見てみましょうか」


 太陽のように朗らかなアスタに柔らかな口調で返事をしながら、フィーリアは窓の外に視線を移した。


 外は雲ひとつなく、よく晴れている。風はない。この地域には穏やかな四季があり、エルの街はほどなく本格的な冬を迎えようとしていた。

 窓から差す日がアスタの身体を突き抜けて、テーブルに落ちている。そんな光を、動く影がほんの一瞬遮って――。


「静かな日ですねえ、フィーリアさん」

「ええ。ですが、それもここまでかと」


 フィーリアは椅子を引いてすっと立ち上がる。

 首を傾げるアスタに、彼女は大きく伸びをしながら微笑んだ。


「お客様です。きっと、今日も騒がしくなりますよ」


 遠くからわずかに聞こえる靴音と台車の音。それを聞いたフィーリアは残りのパンを水で流し込んで表情を引き締めた。彼女は来客の顔を思い浮かべながら、司書室のさらに奥の通用口へ向かった。


 彼女がドアの前に立つのと時を同じくして、通用口の呼び鈴が鳴らされるのだった。

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