第二話 エルフの集落
二人は神殿から出ると、早速森の中を歩き始めた。
ここはエルフの住まう深い森。木々はビルのように高く、動植物は強靭なものが多い。
巨大な神殿は、そんな樹林の中にポツリと存在する異質なものだった。
しかし、今それを気にしている者は一人もいない。森の動物たちも植物たちも、もちろんエルフたちも、知恵神ヴィドリアを信用しているからだ。
彼女が森を歩けば、獣が道を譲り木々が行く先を指し示す。
そんな、普段恐ろしく危険な森とは異なる姿を見せた周囲の環境に、エルフのビアンカは感嘆した。
やはりヴィドリアは特別な存在なのだと。自分たちを必ず救ってくれるものと。
しばらく歩くと、エルフの集落はそう遠くない場所に見えてきた。
木材でできた簡易的な一階建ての建物に、食事をするための机と用を足すための穴。
そんな最低限のものしかない、小さな集落。人数も、目につくのは12人といったところだ。
現在数多の王朝が成立している人間の国と比べると、エルフの集団は本当に規模が小さい。
しかし彼女たちは、この程度の文明ですら十分に生きていける。人間のように大規模な集団を築く必要がない。それだけ力のある種族なのだ。
「おお、ヴィドリア様! お久しぶりでございます」
彼女が周囲を観察していると、一人の老人が話しかけてくる。この集落で一番の年長者だろう。
美しい金髪は白く染まり、筋肉も痩せている。しかしその瞳に宿した翡翠色の知性だけは、毛ほども衰えを感じさせなかった。
医療技術もないこんな原始的な集落で、彼のような老人が逞しく生きていること。それだけで、エルフの種族的強さがわかるだろう。
「久しぶりですね、セシリオ。ビアンカから話は聞いています。寒冷化が続いていて困っているとか」
「その通りでございますヴィドリア様。ここ最近森の恵みが減っており、動物たちも穴倉に隠れてしまいました。これでは次の冬を越すことができませぬ。どうかお知恵をお貸しください」
セシリオと呼ばれた老人は、恭しく頭を下げ乞い願う。
エルフは強い種族だ。魔法適正が高く、身体能力もずば抜けている。おまけに工作技術も高い。
しかし弱点がある。それは当然、集団の規模だ。
個の力が強いゆえに、彼女たちは村や街といった大きな集団を築かない。当然農耕地など持っているはずもなく、食料のたくわえがあるわけもない。
それらはすべて、必要のないものだったから。
だからこそエルフという種族は、大陸、惑星規模の変革に対応できない。
かつて地球で栄華を極めたネアンデルタール人が寒冷化で絶滅したように、彼女たちもまた集団の規模という些細な要因で打撃を受けるのだ。
この問題を解決したければ、エルフに国という概念を教えるのが最も簡単だろう。それはヴィドリアも良くわかっている。しかし……。
(知恵のある生き物は、総じて惑星規模の変革をもたらす。人間も獣人もエルフもドワーフも、そして私たち神々も、やろうと思えばこの星を変えてしまえる力を持っています。果たして、エルフの文明レベルをここで操作して良いものでしょうか)
ヴィドリアは知っている。知恵を付けた動物は、生命を脅かす重大な変革をもたらすことを。
事実、既にそれが始まっていた。
南の大陸を支配している巨大帝国。石造の街建設には膨大な燃料が必要となり、森林の破壊は年々増えていると。
ヴィドリアからすればまだ取るに足らない矮小な存在。それでも、人間たちはすでにこの星ヴィーダの崩壊に駒を進めていた。
ここでもし、その破壊競争にエルフまで参入してしまっては……。
(結論はただひとつです。生命を司る神として、これ以上の変革は許容できない。人間たちの勢力拡大を抑止する戦力が必要です)
方法はたったひとつだ。人間たちと同じ過ちをエルフに犯させるのではなく、むしろこれを機に生命を守護する兵士となってもらう。
「確認ですセシリオ。貴方たちが求めているのは森の恵み。間違いありませんね?」
「その通りでございます。ヴィドリア様」
そうだ。エルフたちは寒冷化によって死ぬわけではない。寒冷化がもたらす実りの減少によって、間接的に滅びを迎えようとしているのだ。
彼女たちは非常に強い種族。寒さ程度己の身でなんとかできる。当然、より高次元の文明を彼女たちが望んでいるわけではない。
「なら、簡単な方法がひとつあります。原初神クロロプラストに協力を仰ぎましょう」
ヴィドリアは笑顔でセシリオに提案する。まるで、それ以外に方法など存在しないといった様子だ。
「? クロロプラスト……様。というのはいったい?」
「原初神クロロプラスト。植物を司る神です。エルフの皆さんには、彼とその眷属と契約を交わしていただくのが良いですよ」
クロロプラストは、生命を司る五柱の神が一柱。地上から海中まで、あらゆる植物を統括する神だ。
人間の勢力拡大により森林の破壊が進み、現在ヴィドリアと若干対立関係にある。
エルフたちにはつまり、クロロプラストの眷属である森林を守護してもらおうというのだ。
人間の活動を抑止することができ、エルフは寒冷化を乗り越えることができる。森林は保たれ、ヴィドリアとクロロプラストは仲直りという、勝者しかいない策だ。
……いや、人間種は実質敗者となるのだが。
「クロロプラストとの契約は、魔法適正の高い種族でなければできません。これは他の種族が模倣することはできず、エルフだけが使える方法なのです」
ヴィドリアの言葉に、セシリオもビアンカも魅了されていく。
自分たちだけに許された特権。他の種族に模倣されることがないという安心感。これらはまさに、エルフが求めるものであった。
本当はもっと直接的で良い方法をヴィドリアが隠していることなど、二人はまったく気付いていない。
だが、それで生命が保たれるのならばそれでも構わないだろう。ひとつの種を贔屓することはできない。
「彼との契約は単純です。森を守護する代わりに恵みを増やす。それは木の実や山菜と言ったものだけではなく、森に住む動物たちが増えるという意味合いも含まれています。貴方たちは森に魔力を与え、そして守ればいい。とても簡単でしょう」
彼女の言葉は、およそ救世主のそれとは思えない。むしろ悪魔のような歪さを孕んでいる。
嘘は言っていない。本当のこと以外何も話してはいないのだ。しかし巧みにも、彼女はエルフの行動を制限しようとしている。
他の方法があるなど、彼らは知る由もない。
だが悪魔と言うのは、総じて真実を隠すものだ。相手に真実の存在すら疑わせない。事実彼らを救うという要求は果たしているのだから、悪いことなど何もない。
これこそ、生命と統べる神の所業。神ですら、打算のない真実の善意など存在しない。
「わかりました。ではその話を受け入れましょう。それで森が豊かになるのならば」
セシリオもビアンカも、そして他のエルフたちも、ヴィドリアを疑うなど考えもしなかっただろう。彼女の言葉はすべてが自分たちの幸せを願ってのことと信じている。
しかし、すべての生物種を等しく幸せにすることなどできない。もちろん、エルフもどこかで抑えなければならない日が来るだろう。
ヴィドリアは己の悪行に気が付きつつも、その手を止めることはない。
すべての生物を守りたければ、どこかで悪行を働かねばならないのだ。
人の幸せを願うため、己を殺すことこそ自己犠牲ではないだろうか。
彼女は自分自身をそう納得させ、喜んでエルフたちを騙す。それが正しいものと信じているから。
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