【1000PV感謝】水も滴る恋心。~普通を求めた俺の高校生活にワケあり少女たちが寄ってくる~

霧雨かねこ

プロローグ 水の泡


 中学2年生の夏。


 部活を終えて全員が帰った後、俺は今日も一日お世話になったプールを磨き、ビート板やプルブイなど水泳用具の水気を払っていた。これが俺の、水泳部での日課だ。

 顧問の先生から更衣室の鍵を預かるほど、教員たちの信頼だけはあった。


 「こういう物は放置しておくと、カビが生えたり、壊れやすくなったりするからな……綺麗にしておかないと」


 こうして今日も一人、プールサイドで胡座をかき、ビート板を一枚一枚丁寧にタオルで拭き取っていると、不意に誰かの影が視界に映りこむ。

 俺は咄嗟に後ろを振り向くとそこには、両手を胸の前でおさえ、夕焼けで顔を赤く染めた少女が立っていた。


「……先輩?」

「うん、先輩だよ」


 目の前に立っていたのは、先輩の姿だった。


 先輩は、水泳部で孤立していた俺に幾度となく声をかけてきた、よくわからない不思議な人。学年も一つ違うのに、隙あらば俺にかまってきた物好きな人。


 何故だか、先輩の顔も名前も、今では思い出せない。


「どうしました? 忘れ物でもしましたか?」

「違うの。えっと……今日もそれ、やってるんだね」

「ええ、そうですよ。先輩も暇なら一緒にやりま──」

「あのね、たちばな君」


「私のこと、覚えてない?」


「……え?」


「私ね、橘君と同じスイミングスクールに通ってたの。選手コースには上がらなかったし、すぐに辞めちゃったけど」


「……いえ、ごめんなさい。覚えて、ないです」

「っ! そう、だよね……」


「あ、あはは! ごめんね! 変なこと言って!」

「いや、謝るのは俺の方で」


「……私ね。あの頃から、ずっと君の背中を見てきたんだ」


 彼女は小さく一呼吸入れると、自分の想いを紡ぎ始める。


「君の泳いでる姿が楽しそうで、練習にひたむきな姿勢もかっこよくて、たまに見せる笑顔が可愛くて、幼い私は君に見惚れていたんだ」


「え……」


「でも、君から笑顔がだんだん消えていく姿を見て、私は居た堪れない気持ちになった。凄く心配だった。けど、あの頃の私には、何もできなかった」


「……」


「そしたら、私と同じ中学に、水泳部に、橘君が来た」


「中学生になった君の顔を見れた時、なんだか、少しだけ。あの頃の笑顔が戻っていたような気がしたの」


「それで……その、私……なんというか、その……」


「〜〜っ! もう我慢できないから言うね!」



「橘君、いいえ、恵人けいと君」


「私は、君のことが好き」


「これからもずっと、傍にいさせて」



 人生で初めて告白を受けた。

 しかし、俺に与えられた選択肢はひとつしかない。


「……先輩の気持ちは、とても嬉しいです」


「けど、ごめんなさい。俺は、先輩の想いには応えられません」


「……うん、そっか」


「最後に、一つだけ。理由があったら教えてほしいな」


「っ! 先輩が悪いとか嫌とか、そういう訳じゃないんです!」

「ただ……俺が、誰かと付き合える人間じゃないから」


「そんなことないよ! 恵人君は少し自己肯定感が低いだけなの! 私はそんな恵人君でも好きなの! 私なら君を受け入れてあげられる! ……それでも、ダメなの?」


 俺には、恋愛をする資格がない。

 他人の気持ちを理解することができない

 人を好きになることができない。


 それに、俺はただ友達がいないだけで一匹狼のように扱われ、水泳で活躍して目立っていたことから周囲で嫉妬の目を向けられていた。

 そして、外見がチャラそうというだけで、ヤリチンだの、反社だの、理不尽な誹謗中傷や、ありもしない噂話を立てられる学校中の悪者となっていた。

 

 そんな俺と付き合うということはつまり、先輩が俺以上に辛い目に合うことを意味する。

 だから──、


「俺は……先輩が思ってるほど、良い人間じゃありませんよ」


「なんで……なんで、なんでそんなこと言うの!!!!」


 バチンっ


 左の頬に軽い衝撃が走った。


 ……え? 俺、叩かれたの? いや、問題はそこじゃ──、


 訳も分からず先輩に叩かれた俺は、その反動で姿勢を崩し、足元に置いたビート板で右足を滑らせ、そのまま──、


 ゴンッ。


 聞いた事のない鈍い音がした。


「ああっ! ごめんなさい! わたし……」


 床に倒れると同時に視界が揺らぎ、何度も点滅を繰り返す。飛びそうな意識をどうにか抑えるように、俺はゆっくりと起き上がる。不思議と、痛みは感じなかった。


「わたし、そんなつもりじゃ……!」


 俺の異変に気付いた先輩は、咄嗟に駆け寄ると手を差し伸べてくれる。

 しかし、呆然としていた俺の身体は、反射的に先輩の手を弾いていた。


「あ……」


 顔に違和感を覚えた俺は右手を頬に添えると、掌が絵の具を塗ったように赤く染まっていた。


「っ!!」


 鈍痛がする。


 ──ダメだ、頭が働かない。


 俺は意識を保つことに精一杯で何も考えられず、目の前にいる先輩の存在すら忘れ、重い足取りで静かに学校を後にした。


「恵人君……」


 背後で誰かを呼ぶ声が聞こえた、気がした。



 ▽▼▽▼▽▼



「……知らない天井だ」


 俺は家に帰るなり仰天した家族に救急車を呼ばれ、気が付くと病室で寝そべっていた。

 額に傷跡を残した怪我は全治3ヶ月。水泳はもちろん、軽い運動もままならない絶対安静状態だった。


 ──来月には、中学の全国大会が控えていた。


 「……なるほど。ここが、俺の終着点というわけか」


 俺は一人、空虚を見上げながら感慨に浸る。


 俺は、何の為に頑張ってきたんだ?


 こんな人生が楽しかったのか?


「はぁ……」


 今年はもう何もできないし、復帰するにはブランクが大きすぎる。

 このまま水泳を続けたとしても、来年の全国大会には間に合わない。


「もう……潮時かな」


 全てを投げ出した俺は、病室のベッドに身体を預けた。


「俺も、みんなと同じように、普通の人間になりたい……」


「普通の学生みたいに、友達と遊んで、趣味に没頭して、恋愛も──っ!」


 一瞬、額の傷に痛みが走る。


「恋愛、か……」


「好きって、なんなんだろうな」


 こうして、退院した橘 恵人はすぐに水泳部を引退し、約15年間通い続けたスイミングスクールも辞めた。しかし、彼の孤独な中学生活は変わらない。彼に残された最後の一年間は、唯一捨て切れなかった思い出の市民プールで過ごすことになる。


 これは、ひとつの人生に終幕を迎えた孤独な少年による、自由と、平穏と、普通を求めた物語。

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