第二章「笛吹かば殺人魔女」

 ジェノスが次に向かう国はヤパンといい、我々日本人にはなにか嫌な予感がする名前だが、まだ当分着かないので、安心していいだろう(よしんば、ヤパン→ジャパンのしゃれで、そこが日本だったとしても、よくて明治時代だろうから、俺らと関係ないし)。




 近世ヨーロッパのユーラシアと呼ばれる広大な大陸には、さまざまな規模の国家が点在しており、今のような国境はあいまいであった。ジェノスはいま、周囲に山並みを望む、さざめく波のごとく風にそよいでいる広大な木々のじゅうたんのうえを、箒に横すわりして、ゆっくりと飛行している。そして口にあてているのは白い横笛。奏でる調べは、繊細でか細く、妙に悲しげだが、どこか温かみのある音色であった。


 このローブから、でかツバの三角帽から、スカートからとんがり靴から、一面黒づくめの若い魔女は、趣味の旅行を楽しんでいたが、その目的は変わっていて、各国の名所めぐりとかではない。むしろある意味、名所破壊である。

 このジェノスにとって、人間はただの虫けらで、旅先で見かけたら魔法で五体を引きちぎったり首をもいだり、火を放って焼き殺したりして遊ぶのが趣味という、とんでもない大馬鹿クソ野郎であった。そのうえ、殺される人間たちの恐怖と苦痛にゆがむ表情や、ほとばしる無残な悲鳴を堪能するのが、こいつの旅先での何よりの楽しみで悦びなのだ。まさにキ○ガイの変態である。

 実は彼女も元は人間なのだが、アバウトなので、そういう細かいことは気にしないのだった。




 急に木々が去り、わっとひらけた大地の左右一面、広々した畑が横たわっている。そのあいだに細い道が見え、ジェノスは降りて低空飛行になった。右側にこじんまりした丸木小屋が見えてきた。

 村が近いなと思い、小屋を過ぎようとしたとき、不意に右からパチパチと拍手の音が聞こえてきた。止まって笛から口を離すと、それは小屋の向こうからしていて、そこから十歳ほどの男の子がひょこっと出てくると、そのかわいらしい拍手が大きくはっきり聞こえた。

 音が甲高いので子供だろうとは思っていたので、ジェノスは目を細めた。目のぱっちりした、わりとかわいい顔だちで、ところどころ黒ずんだ麻の白シャツに半ズボンを履いて、いかにも無邪気な天使の笑みで手を叩いている。


「ありがと」

 殺人鬼のくせに柄にもなく礼を言うと、少年は手を下ろして小首をかしげ、はにかむような笑いになった。

「とってもいい曲だね。お姉さんが作ったの?」

「ううん、笛は私が作ったんだけど」と手に乗せて見入る。「どういうわけか、なにを吹いても、この曲しか出ないんだ」

「ふうん。なんか悲しいような、じーんとするみたいな」

「そうね。誰かの魂がこもっちゃったのかな」


 殺人が趣味のジェノスさんではあるが、今は気が向かないので普通に話している。この子の残りの寿命は、彼女がその気になるまでのあいだだが、そうならずに終わることもあり、その場合は、かなり寿命がのびて、とてもラッキーである。




 そこへ馬をひいた男がとおりがかった。チェックの赤シャツを着た、無骨で田舎くさい初老のおっさんで、四十代後半くらいに見える。どうもその子の父親らしかった。


「ジミー、大根の皮むきは済んだか」

「とっくだよ」

「これは魔女さま、こんにちは」

 父親はジェノスに気づいて頭を軽く下げた。隣のアランポラン公国にあるオカルト関係機関、マジカラリヤのおかげで、魔女や魔道士など魔法を使う職人に高級職のイメージがつき、とくにこの近辺ではやたらもてはやされており、なんの権威もお墨付きもない根無し草のジェノスにとっては、飯屋などでタダ食いとか出来て、大変ありがたいことだった。

 だが彼女は、かつては高い地位の師匠についていたものの、今は破門されたも同然で、魔女の中でも最低ランクの風来坊でしかない。武士でいうと、さしずめ落ち武者か、ドサンピンである。



「この人の笛、最高なんだよ」

「おう、そうか」

 おっさんは女の手に持つ笛に気づき、感慨ぶかく目を細めて、目じりにしわが寄る。

「なつかしいな。母さんも結婚前は、よく吹いてたもんだ」

「えっ、そうなの」と息子のジミー。どうも初耳のようだ。

「うちに借金さえなけりゃ、あんなアランポランなんてゴミゴミしたとこに行かなくてすんだんだがなぁ。まあ、来月には帰ってくるんだ。おみやげ持ってな」


 てっきり大きく両腕をあげて「わーい」とか喜ぶと思いきや、ジミーは首をかしいだまましばらく難しい顔をし、やっと口をひらいた。

「父ちゃん、母ちゃんの笛って、どんなだった?」

「すごくいい曲だった」と遠くを見つめる。「お前が生まれるすぐ前に、マリアは俺にこう言ったんだ。『私になにか大変なことがあったら、この曲が聞こえてくるから』って。どういう意味かわからんかったが――」

「いま吹いてみせてよ!」

「俺は吹けん。それよりジミー、すまんが、じゃがいもの皮むきも頼む」

「ちぇっ、わかった」


 しぶしぶ承知し、ジェノスに「じゃあね」と手を振って小屋に引っ込もうとした。が、ジェノスは急に箒を降りて、「これあげる」と少年に笛を手渡した。

「えっ、いいの?!」

 無邪気に目を輝かすのを見て、彼女は顔はにこやかに、心は凶悪にけけけけと笑いながら、「いいの、もうあきたから」とだけ言った。「わーい」と大喜びで持っていく子供の小さな背中を見つめ、魔女の口元が大きくつりあがる。

(あとで真実に気づいたときのガキの顔……!)(さぞかし面白いだろうなぁ)


 見れないのはちと残念だと思ったが、ここにいちいち残ってまでするほどのことではない。

 気づくと親父もいないので、どっか行ったんだな、と箒に腰を下ろして行こうとした。とたん、後頭部にすさまじい衝撃がきて、真っ暗になった。





 気づくと、小屋の中で手足をロープで縛られ、背を柱にくくりつけられ、見れば足元にあのでか帽子が口をあけて転がっている。が、こっちはあけられなかった。さるぐつわをはめられているのである。これは完全に捕虜か人質の状態だ。

 しかしジェノスには捕まる理由がわからなかった。彼女ほどの凶悪犯なら、こうなるわけなど腐るほどあるのだが。

 しかし、それは程なく知れた。


「気がついたかい、殺人魔女さん」

 あの親父が向かいの扉の前にいて、あざけるように言った。部屋の木の窓はすべて閉ざされ、天井に下がる裸電球が室内を白く照らしている。この国では早くも新しい発明である電気が普及し、こんな田舎にも通っている。ジェノスはふと、さっきから規則正しく水をかく鈍い音がしているのに気づいた。ここはあの小屋ではなく、どこかの水車小屋らしい。「殺人魔女」と呼んだからには、彼女の正体は丸わかりのようだ。


「さっきここへ来るときに、あんたの笛が聞こえてたんだよ。あのきれいな悲しい曲。まさにマリアがあのとき吹いたやつだ!」

 してやったり、と言わんばかりに口元を吊り上げる。

「あれが聞こえたってことは、マリアに何かあったんだ。よその国で殺人魔女が暴れてるって聞いてたから、ぴんときた。最初っから、あんたをぶっ殺すつもりだったのさ」

 まくしたてると、あざけりは消え、憎憎しげに口をへの字にひん曲げ、わなわなと震えて指さす。

「あの笛は人間の骨だ! マリアを殺して笛にしやがったんだろう! 許せねえ! とことん苦しめてから殺してやる!」

(いやまったく、おっしゃるとおりでござんす)(すんばらしい名推理でがすね、先生……)

 などと思ったが、女はこれから殺される緊迫感など微塵もなかった。


「杖は、ここにある」

 ニヤついて、部屋の隅に立てかけてあるのを指す男。

「これがなくちゃ、なにも出来まい」いや、出来ますよ。「おっと、杖なしでもいけるってか?」と腕組みして歯を見せて笑う。「残念だが、口も封じてるから、呪文も言えねえ。もう、お前は終わりだ。神にでも祈りな。魔女じゃ届くわけねえけどな」


 彼女の目が見開いているので、彼はおののいていると思って愉快になったが、実はたんにわくわくのせいで目がきらめいているだけだった。

 彼女くらいになると、杖どころか呪文もなしで、目から光線を出して相手を焼き切るくらいは楽に出来る。だが、すぐに殺しちゃつまらない。出来るだけイキらせて極限まで増長させきってから、突然地獄に突き落とすほうが、こいつがより深く絶望して楽しい。ってんで、たんに引き伸ばしているだけである。今の彼女は、命の危機に陥るどころか、たんにこのおっさんをいじって遊んでいるだけだった。



 見ると親父は、暖炉の火にかけていた鍋を持ってきた。中には熱湯がぐらぐら湯だって、白い湯気をくゆらせている。そばの机に置き、にやついて言う。

「こいつをてめえのツラにぶっかけて、ぐちゃぐちゃにしてやるよ。俺は、お前の顔なんぞ全然かわいいと思わんが(よけいなお世話)、女がツラをやられたら、そうとう嫌だろ。二目と見られねえようにしてやる」


 ところが柄をつかんで持っていきかけたとき、扉の向こうで甲高い声がした。

「父ちゃん! 水車小屋でなにやってんの?!」

「ジミーか!」と、あわてて鍋を置き、後ろに怒鳴る。「じゃがいもは済んだのか?!」

「とっくだよ」


 ガキが優秀だと困ることもある。まずい、こいつを殺すところをジミーには見られたくない。まして母親のことは知られたくない。知ったら、どれだけのダメージを食うことか……!


「と、父ちゃんはいま忙しいんだ、帰ってな」

「忙しいんなら手伝うよ」

「ダメだ、そのう――ぶ、豚を潰してるんだ!」

「豚?!」

 うれしそうに声が跳ね上がった。しまった、豚つぶしはこいつの大好きな仕事だった――などと気づいても、遅かった。

「ねえねえあけてよー、見たいよー、豚、殺すとこー!」

「殺すとこなんざ、見たがるんじゃねえっ!」

 ついかっとなって怒鳴ると、それきり息子の声はしなくなった。


 帰ったんだろうと、再び復讐の続きにかかろうとした、そのときだった。ドアの向こうから、今度は笛の音が聞こえてきた。もの悲しい旋律、それでいて、どこか心あたたまる響き。あの曲だ。

 それは、さっき遠くで聞こえたときとは、まるで比べ物にならない影響を彼におよぼした。メロディが、リズムが、笛の甲高い音色が、彼の脳を猛烈に直撃し、涙腺が激しく崩壊した。

「ま、マリアあああ! マリアあああー!」

 とつじょ号泣しながら頭をかきむしり、まくった袖が柄にかかって、鍋が勢いよくひっくり返った。ぽんと高く飛びあがった熱湯の塊は、彼の顔面へもろにぶっかかった。

「ぎゃああああ――!」


 顔をおさえて床にのたうちまわり、あとでジェノスの死体を隠そうとあけてあった地下室の入り口に、頭から落ちた。

「うわああああ――!」 

 数メートルの高みから落下した彼は、鈍い音をたてて床に激突した。

 ボクッ。

 脳天強打。

 即死だった。




 ジェノスは魔法でさるぐつわとロープをほどき、穴をのぞくと、親父が大の字で転がっている。上からの電球の光で赤いチェックのシャツが輝き、顔がよく見えた。目が真上を見て口がアガアとあき、かなり間抜けな死に様である。後頭部からそうとう流血しているらしいが、上からは暗くて見えない。



 鍵をあけて小屋のドアをひらくと、ジミーがべそをかいて飛び込んできた。持っていた笛がコロッと落ち、「おかあちゃん、おかあちゃん……!」と連呼しながら抱きついて胸に顔をこすりつけ、ひたすら泣きつづける。べつに母ちゃんじゃねえよ、とは思ったが、かわいい子供に泣きつかれるのはまんざらでもないので、よしよしと頭をなでてやった。


「どうしたの?」

 聞くと、少年は涙でくしゃくしゃの顔をあげ、途切れ途切れに言った。

「こ……この曲、吹いてたら……なんだかとっても、か、悲しくなって……うう、ご、ごめんなさい……」

「いいよ、そんなの」

 なんだ母親を思い出したのか、と思い、かつてないほどの優しい目で見下ろしながら、うっすら微笑するジェノス。


 だが、急に気が向いたので、少年の頭をむんずとつかみ、魔法で首を、ずぼっ! と引き抜いた。彼は「ぎょはあああ!」と目をむいて大量の血反吐をはき、手足をけいれんさせて絶命した。ジェノスは彼の首と胴体を穴にほうりこみ、見るとそれらは父親の腕の中にうつぶせに落ちて、うまいことおさまっていた。


 魔法で返り血を消し、帽子をひろってかぶり、服をととのえる。ふと床の笛に気づき、ひろって吹いてみたが、音がまったくしないので、それも穴に投げ込んだ。それは少年の隣に落ちて、やはり父の胸におさまり、これで親子三人、水入らずになった。


 ジェノスはべつに笛に思い入れもないので、そのまま外に出て、落ちていた箒に腰かけて、また殺人行脚の旅へ出発した。

 日は暮れ、血のような夕陽が、そのローブの背を黒々と染めていた。





 笛が鳴らなくなったのは、夫と息子が死んで自分と一緒になったので、女の霊がとりあえず満足したからである。

 ジェノスは以前アランポラン公国において、このマリアという女性を遊び半分で虐殺したのだが、あとでその魂を救うのみならず、知らずに供養までしていた。


 作者は今、「もしかしたら、こいつ実は、いい奴なのではないか……?」という疑いを持ちはじめている。

(第二章「笛吹かば殺人魔女」終)

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