第3話 神様を毒す②

『あなたはこれから家に帰る途中、何らかの原因で確実に死んでしまう。それはこれまでの行動全てが導き出した因果律。日々の何気ない行動は何の影響もない些細な因果の糸でしかないけれど、それが重なり束ねられると抗いようのない事象を引き起こす。』


「……。」


『私はそんな因果の糸を管理し、調整を行う事が役目なの。本来、あなたの様な"理不尽な死への収束"が起こる前に私たちが身代わりとなって防いでいるのだけど……手違いがあったみたい。申し訳ないわ。』



 淡々と話すアトラクに情報を読み込む事で必死のナクアは反論も出来なかった。

 徐々に浸透した言葉を読み解き、軽く手の甲をつねってみると痛みがある。ここに来るまでの過程も全て記憶にある。夢みたいな出来事だがこれは現実であると赤くなった手の甲を擦りながらナクアは思い至った。

 そして同時に原因を手違いという一言で済ませるアトラクに怒りを覚える。羽交締めにしてやろうと1歩足を踏み出すとアトラクがまたカチカチと口動かした。


『だけど私ならあなたの因果を好きに書き変える事が出来るわ。望むがままに大金持ちになる事も、世界を征服することも可能よ。今回はお詫びも兼ねて特別にお望みの書き変えをしてあげる……ただ、私の願いを叶えてくれたらね。』


「願い?」


『異なる世界に私の眷属でアラクネっていう人の容姿に似た蜘蛛の子達がいるんだけど……あなたアラクネって分かる?』

「わかる!可愛いやつ!!本当にいるんだ!!いや、もしかして会えるの!?会わせてくれるんだ!!そうなんだねジョリーン!!」

『いや、だから私の名前はアトラ――』

「背中に乗せてもらったり、蜘蛛糸でぐるぐる巻きにされたり出来るじゃんジョリーン!!」

『……。』


 ナクアのゲームやアニメ、小説、神話知識ではアラクネとは大抵下半身が蜘蛛になった亜人に対する総称だった。そして何を隠そうナクアはアラクネが好きで小学校の将来の夢にアラクネと書くほど当時からイッちゃってる子だった。

 また、この時点でナクアの脳から自分が今日死ぬという重大すぎる問題がポロンと地面に抜け落ちていた。さっきまでの険しい真剣な顔がギラギラの欲に塗れた笑顔に変わっている。


『はあ、本当に変わった子ね。あなたにはアラクネになって異世か――』

「な、なれるの!! やります!!是非やらせて下さい!!!きゃあああああああああ!!!」


 食い気味の返事に狂気の絶叫。アトラクはそこに耳があるのか足を器用に使って頭の横を抑えていた。


『ッるさいわね!最後まで聞きなさい!――あなたにはアラクネになって異世界で暴れて欲しいのよ。そして向こうの人間達にアラクネという高次元な存在を知らしめて欲しいの。あなたに出来るかしら?』

「出来る!!出来ます!!行ってきます!!」

『待ちなさいッ!!ちょっとは落ち着きなさいよ!!ていうか何処に行くつもり!?あんた馬鹿なの??』


 興奮して出入口に向かって走るナクアをアトラクが顔面に飛びついて止める。アトラクもかなり毒されていて、神らしい口調や雰囲気が崩壊しつつあった。ナクアは顔からアトラクを引き剥がすと真剣な顔で何かを考え、突如口を開く。


「ちょっと連絡していい?実は代引きの受け取りがあってさぁ、ていうか管轄してる人って配達時間守んないだよね。しかもめちゃくちゃ雑に置き配するから有り得ないの。ジョリーンはどう思う?」

『えっ、わかんないわよ。ていうか、ここ時間止まってるし――』

「ならいいか。あっ話変わるけど、ジョリーンのお腹の柄って可愛いよね!足長でスタイルエグちだし、わたし女郎蜘蛛が一番好きなんだよね!」

『は、はあ!? 何言ってんの?? 神に向かって可愛いとか信じられないんですけどぉ!……ていうかナクアも十分可愛くない?その蜘蛛パーカー存在感エグち。』


 アトラクは相当チョロかった。


 ナクアは自分中心で空気が読めないし趣味も変わっているため、割とお喋りな方だが親しい友人は少ない。だが蜘蛛相手なら話は別だ。蜘蛛相手なら可愛いと褒めるし、普通に好きと伝える。そのためさっきの買い物中の会話より余っ程愛想が良かった。


「ていうか、なんでカフェなの? コーヒー好きなん?」

『いや、呼び出すならカフェが良いかなって思っただけ……コーヒーなんて飲んだ事もないし』

「なにそれ可愛い。ならわたしがコーヒー淹れてあげるよ。あっでも蜘蛛は飲めないか。」

『飲めるわよ!大体私は蜘蛛だけど蜘蛛じゃないのよ!神様だから!!』



――それから2時間後……


『だかりゃ、にゃんたをね、わらゃひはね……ちょっときぃてぇんのかッ!!!アハハハハハ!!!』

「聞いてるから、水飲みな。」

『しょんなもん、いるりゅか!! こーひぃー持ってこんきゃい!!ナハハハハハ!!』


 ナクアは知らなかった事だが、蜘蛛にカフェインを摂取させると中枢神経が麻痺して酔っ払った様な状態になる事は既に立証された事実である。もっと言えばドラックに近い効果で巣もろくに張れない状態になる。くれぐれも遊び半分で蜘蛛にコーヒーあげるのはよそう。


『ていうか、あぁんたは、いちゅまでいんの??さっさと異世界いけぇよお!!こにょにぶちんがぁ!!……ってわたひがげえーと開いてにゃいからかっ!!アハハハハハ!!』

「……。」

『ウプ……ヤバ……ちょっとタンマ。……よし、げえーとおーぷんッ!!』


 その言葉と同時にカウンター横の空間に歪みが生まれ全ての光を吸い込む様な暗黒空間が出現した。ナクアが戸惑っているとアトラクが器用に前脚で手拍子しながらハイテンションで叫ぶ。


『ナクアさんのちょっと良いとこ見てみたいっ!!は〜いれはいれはいれ!は〜いれはいれはいれ!は〜いれはいれはいれ!はいれ?』

「……」


 未成年で酔っ払いの対応を知らない素面のナクアにとってアトラクの2時間に渡るダルすぎる絡みは好感度を地中にめり込むレベルで引き下げていた。

 しかしアトラクは気にする様子もなくナクアに近づくと今度はあろうことか八本の足で力士の様に激しく押し始める始末。


『ウェイウェイウェイウェイウェーイ!!!』

「痛っ!ちょ、ちょっと押さないで――ッ!!」


 予想以上の激しい連続突っ張りにバランスを崩して転んだナクアは暗黒空間に音もなく飲み込まれた。


『押し出しウェーイ!!!!フゥー!!』

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