第5話
『市立音峰北高等学校』。音峰市の中で唯一存在する『市立』の高校だ。
偏差値は進学校と呼ばれるほどには高く、何より私がこの高校に進学する理由となった『学費が安い』ことが特徴的な学校である。
他にも大学の合格率はもちろん、就職を選んだ場合でも高卒なので一流企業、とはいかないがそれなりにいい企業に就職しているそうだ。その影響からネットで北高のホームページを覗いてみたが、全校生徒数は600人を超えるようだ。音峰市は進学先の基準として偏差値の他に『通学のしやすさ』を重んじる傾向にあるため、生徒数はどの高校も似たようなものになる。しかし、この北高だけは他の高校に比べ、生徒数は1.5倍以上も多かった。
もちろん、生徒数が多いということはその分、校舎も大きくなる。入学手続きに同封されていた校内マップを見るに北高の校舎は少し特殊な構造をしていた。
まず、バス停から降りて校門を抜けても少し歩かなくては校舎に辿り着けないほど広い敷地。受験の際に訪れたが、あまりに広い敷地に驚きを隠しきれなかった。遅刻ギリギリで校門を駆け抜けても教室までの道のりが長すぎて結局、タイムオーバーになりそうである。バスの時間が決まっている私にはあまり関係ない話かもしれないが。
校舎は『東棟』と『西棟』に分かれ、それぞれ3階まである。東棟は一般教室や部室が並び、西棟には視聴覚室や化学室などの特別な授業に使用する施設が多い。また、移動教室しやすいように東棟と西棟は渡り廊下で繋がっているのだが、属する教室によって移動だけで休み時間が潰れてしまうだろう。
グラウンドは東棟の横に位置しており、授業中、窓から外を見れば体育の授業を受けている生徒たちを見ることができるそうだ。一般的なグラウンドの大きさは知らないが、サッカーと野球を同時にできるほどには広い。
更にグラウンドの向こうには
因みに第一体育館は東棟と西棟に繋がっており、校舎の中を経由しようとすれば正面玄関から入り、東棟か西棟に入ってずっと奥に進まないと辿り着くことができない。
また、校舎は東棟と西棟を繋ぐように正面玄関、渡り廊下が連結され、東棟と西棟からそれぞれ第一体育館と繋がっているため、上から見ると上辺が太くなった『日』の形になっているのがわかる。なお、校舎の内側は中庭となっており、小さな池や校舎よりも背の低い木もあった。お昼休みにはそこに設置されたベンチでお昼ご飯を食べることもできるようだ。
「……」
そんな大きな校舎を視界に映しながら正面玄関までの道を歩く。この道には桜たちが私たち新入生を歓迎するように並んでいる。今はほとんど散ってしまっているが3月であれば満開の桜が咲き乱れ、さぞ綺麗な光景を作り出してくれるに違いない。
今日は入学式のため、新入生の他に保護者も学校を訪れる。だが、入学案内には生徒と別に学校に来るようにと指示されており、周囲を見渡しても保護者の姿はなかった。まぁ、私の場合、保護者であるおじさんたちは地元を離れられないため、気にする必要はない。
(あれは……)
葉桜を眺めながら歩いているとやっと正面玄関が見えてきた。しかし、それ以上に多くの生徒たちが校舎に入らずに一か所に集まってわいわいと集まっているのが気になった。なんだろうと首を傾げながら近づくとどうやらクラス表が大きなボードに貼りだされているようだ。まだ時刻は8時くらいだが、入学初日ということもあってすでに多くの新入生たちは登校してきており、人だかりができていた。
(み、見えない……)
私の身長は女子にしては高い方だが、北高は共学なので私よりも大きな男子生徒も数多くいる。そのせいで背伸びをしてもよく見えなかった。中学生の頃、バレーやバスケの授業で周囲をドン引きさせたジャンプ力を発揮すれば見えるかもしれないが、入学初日からそんな目立つ行為はしたくないため、却下。
人をかき分けて前に行くか。それとも、大人しく人がいなくなるのを待つか。
「あ、一緒にクラスだよ!」
「ホント!? よかったぁ!」
「……ん?」
どうしようか、と悩んでいると人だかりの中からそんな青春らしい女子たちの会話が聞こえた。いや、その子たちだけじゃない。あちこちで『違うクラスかー』や『お、今年もよろしく!』など、明らかに仲のいい友達同士のそれが多発しているのである。
(あれ、北高ってエスカレーター式だったっけ?)
中高一貫の学校ならばエスカレーター式で入学した生徒たちが盛り上がっているのだろうと納得できる。しかし、エスカレーター式だとすでに交友関係が築かれており、そのグループに入るのは難しいと判断し、最初から受験候補に入れていなかった。だから、北高が中高一貫ではないことは何度も確認したのを覚えている。
(じゃあ、なんで?)
目の前で繰り広げられる無慈悲な会話を前に私は立ち尽くすしかなかった。何を、間違えた? だって、高校の入学式初日はクラスで『初めましてー』と初対面の高校生たちが会話するのが鉄板だ。
でも、聞こえてくる会話は進級した後、クラス替えが行われ、一喜一憂する青春漫画中盤のシーンと重なる。まるで、序盤から中盤まで読み飛ばしてしまったようで、これではすでに交友関係が築かれているのと同等では――。
「あら、どうされたの?」
「え?」
あまりの衝撃に呆然としていると不意に後ろから声を掛けられ、自然と振り返る。そして、息を呑んだ。
(うわぁ……綺麗な、人……)
染めたわけではない、自然なプラチナブランドの長い髪。
制服の上からでもわかるスタイル抜群の体。
容姿は日本人離れしており、比率はどうであれ、少なくとも血に他国のそれが混ざっているのは確かだろう。
そんなどこか浮世離れした女子生徒が私に優しく微笑んでいた。女の私でも思わず見とれてしまい、ポカンとしてしまう。お嬢様、と呼ばれる存在が漫画の中にいたが、こういった人のことを指す言葉なのだと無意識に理解した。
「驚かせたのならごめんなさい。困ってたようだから」
「え、あ、いえ……」
その人は私の様子を見て苦笑を浮かべ、容姿とは似つかわしくないほど流暢な日本語で話しかけてきた。そんなギャップもあって、上手く言葉を返せない。ああ、私のコミュニケーション能力の低さが恨めしい。
「もしかして、クラス表が見えなくて困ってたの?」
「へ? あ、はぃ」
青春漫画を中盤まで読み飛ばしたような感覚に陥っていました、と正直には言えず、頷いておく。声が裏返ってしまったのは明らかな減点。最初から0点だったため、私のコミュ力評価点はマイナスへと突入した。
「そうですか。では――」
彼女はそんなへっぽこな私を見て優雅に笑うと一つ、頷き――パン、と大きく手を叩いた。
「ッ――」
その瞬間、私の体を何かが貫く。凛、とした冷たい何か。冷たい? いや、違う。この冷たさは温度ではない。あれだけ乱れていた心の波が強制的に落ちつけさせられ、その落差が冷たく感じただけだ。
「皆さん、お静かに」
そんな未知の感覚に戸惑っていると隣に立つ女子生徒が小さな声でそう告げる。たったそれだけであれだけ騒いでいた生徒たちは一斉に振り返り、大きく目を見開きながら沈黙した。その光景が少し異様に見え、不気味に見えてしまったのは私がおかしいのだろうか。
「クラス表の前で立ち止まっていては後から来た人の迷惑になります。自分のクラスを確認したら速やかに校内へ移動をお願いしますね」
「……ぁ、そう、だよね」
「いっけね、すみませんでした!」
「ほら、いこいこ!」
彼女は私を見ていた時と変わらない優しい目で注意する。日本人離れした容姿もさることながら彼女自身から放たれる威圧――いや、カリスマと呼ぶべきオーラによってその言葉は人を動かすほどの力を宿す。それを証明するようにクラス表の前にいた生徒たちは彼女に謝りながら次から次へと校舎の中へと消えていった。
「……」
「ほら、これで確認できるわ」
「……あ、そ、うですね。ありがとう、ございます」
その様子をポカンと見ていると彼女に促され、クラス表の前に移動する。クラスは7つあるようでAからGまで書かれていた。A組から順番に自分の名前を探していき、4番目のD組のところに『影野 姫』の文字列を発見する。
「見つけた?」
「はい、本当にありがとうございました」
自分の名前を探している間、隣にいてくれたカリスマお嬢様風の女子生徒に改めてお礼を言う。今日は親切な人によく会う日だ。この調子で友達も作りたいと切に願うばかりである。ちょっとすでに嫌な予感はしているけれど。
「いいの、気にしないで。困ってる生徒がいたら手助けするのも
「え、生徒会長?」
「それじゃ、また後でね」
あまりに予想外の肩書にキョトンとしている私を尻目にカリスマお嬢様風の女子生徒改め生徒会長は颯爽と去っていった。今日は新入生しか登校しないはずだが、生徒会長なら入学式の挨拶があるのでここにいてもおかしくない。
(綺麗な人だったなぁ……)
でも、さっきのあの感覚はなんだったのだろう。今まで経験したことのない違和感に首を傾げてしまう。
思考の海に沈みそうになるが、ここがクラス表の前だと思い出す。自分のクラスも確認したので他の生徒の邪魔にならないように移動しよう。私は不安を胸に正面玄関から校内へと入った。
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