大地の魔女は、静かに暮らしたかっただけなのに

夏木

第1話 魔女との出会い


「耳障りな音が聞こえたと思いきや、まさかこんなことになるとは……」



 ここ百年、人間が踏み入ることのなかった深い森の奥にある家へ帰った魔女・テラは、いつもの椅子に座り長い黒髪を耳にかけながら呟く。

魔女という言葉に相応しい黒のワンピースが皺になることを気にせず、大胆なスリットから足を露わにして組む。



「何が起こるか分からないからこそ、楽しいものですよ!」



 そう元気よく言うのは、銀髪の少年。雑巾片手に、家の中をせっせと掃除しているところだ。

 それを見て、テラは深い息を吐く。



「お前のことを言っている。まさか人間と暮らすことになるなんて。他の魔女に知られたら何と言われることか」


「いいじゃないですか。僕も他の魔女に会いたいですし、今度呼んでパーティーしましょう」



 少年は手を止めて、パーティー案を考え始める。食事や飾りなど、指折りながら挙げていく。その顔は期待に満ちていた。



「お前なぁ……私は静かに暮らしたいんだ。魔女を呼んだら煩くて仕方ない。お前も静かにすることだ」



 ずっと森の奥で息を潜めながら暮らしていたテラの望みは、打ち砕かれた――この少年によって。



「じゃあ、僕を追い出しますか? そうしたら僕、すぐに死んじゃうなぁ。それは困っちゃうなぁ」



 少年は雑巾を持ちながら、テラとの距離を詰め、上目遣いで目を潤ませる。輝くサファイアのような瞳に見つめられて、テラは思わず怯んでしまった。



「うっ……それが出来ぬから、こうしているのだ! お前も分かっているのだから、掃除を続けなさい!」


「はーい」



 無邪気な声で返事をして、少年は掃除に戻る。

 今までの静かな生活とは離れてしまったが、テラは頬を緩める。


 一人から二人へ。生活を変える要因となったこの少年との出会いは、わずか一月前に遡る。




 ☆



「騒がしいと思えば……人の子か」



 草の香りが広がる日中の森の中で、魔女・テラは目の前に横たわる少年に眉をひそめて呟いた。


 体を小さくし、木の根元で丸くなる少年に近づき、テラはジッと観察する。

 やや長めの銀色の髪は、赤い血が固まって束になっている。どうやら頭から出血しているようだ。


 身に付けている白い上下の服も同様に、血の染みがある。露わになっている足は何も履いておらず、皮はめくれあがり、酷い有様だった。



「可哀相に。このままでは森の動物たちに食い荒らされるだろう。せめてもの慈悲を与えてやるか」



 テラは立ち上がり、右手を横へ振る。すると、地面が揺れ、起き上がり始めた。それをもってして、少年を埋葬しようとしたのだ。しかし。



「ゲホッ……ぁ?」



 少年の目が薄く開いた。

 銀の隙間から空のような蒼い瞳がテラを写す。

 常人と離れた髪と瞳の色で、テラはあることに気付き、手を下ろす。盛り上がった土はどさりと元の場所へ落ちた。



「お前……ヴァルツ王国の子か」



 島国であるヴァルツ王国。そこは現在地からは海を渡った先にある国。

 その王の血を継ぐ者にしか現れない、特有の髪と瞳の色を持っている少年が、どういうわけがあってか、別の地にいる。理由はわからなくとも、何か問題が起きたことをテラは理解した。



「人の子よ、何故ここにいる? 理由なく、ひとりで海を渡ってきた訳ではなかろう?」


「ぁ、ぁ……」



 今にも閉じそうな瞳で、少年は何かを言おうとしているが、声になっていない。必死にテラの方へと手を伸ばす。その手も火傷のように皮膚がめくれ上がっている。


 痛ましい姿を目の当たりにし、縋るように伸びた手をテラは優しく握る。



「微かに残る魔法の残滓……裂傷は人の武器で負ったものではないな?」



 まじまじと少年の体を見れば、数多の傷から溢れて血溜まりを作っている。緑が赤に犯され、特有の匂いが広がる。それにつられてか、後方の木の影から狼が顔を出した。



「グルルルル……」



 手負いの少年は格好の餌だ。飛びかかってきそうな狼にテラは一度目を合わせる。



「駄目だ。お前にはこの子はやれない。代わりに……西にいる人をやろう」



 テラが西へ顔を向ければ、狼も同じ方を向く。

 言葉を理解しているかのような行動だ。そして、その方向から音が聞こえてくる。



「――いたか!? 何としてもヴァルツのスパイを見つけ出せっ!」


「了解!」



 指示をする声と従う声。それに続く足音。

 いつもの森と違う喧騒に、狼は声のする方へと一目散に駆けていった。



 狼が去ってから、テラは手袋を口で加えて外すと、少年の首元に左手を添える。すると、そこから優しい緑色の光が溢れ出す。



「ヴァルツの子よ。まだ死んではならぬ。ヴァルツにはえにしがある。どれ、私が手を貸してやろう」



 光が少年を包む。次第に苦しみに満ちていた少年の顔が和らいでいき、ゆっくりと瞳が閉じていった。



 ☆



「目が覚めたか? ヴァルツの子」


「んんん……あ、あ……」



 テラは少年を家へ連れ帰ってからまる三日経った朝、少年は目を開けるが、頭から爪先まで、包帯に巻かれ身動きもままならない。それでも、首を横に動かして近くの椅子に座っていたテラを見た。



「完全治癒できるほどの魔法では、人の肉体が耐えきれぬだろう。それでも幾分マシになったはずだが……体は痛むか?」



 そう言われて、少年は首を横に振る。



「そうか。では包帯の下を見てやろう」



 手際よく包帯をほどいていき、少年の回復を確認する。傷は癒えつつあるが、完全に塞がっている訳ではない。ガーゼを変えたり、部分的には新しい包帯に巻き直したりしている間、少年は何度も何かを言おうとしていた。が、声になっていない。



「ふむ、声が出ぬか。それは余計な事を言わせぬための魔法だな。他人の真似をした下手な魔法だ。そんなもの、私の前ではゴミ同然」



 テラの指先が少年の顎、そして喉に触れる。のど仏を通り過ぎるまで優しく撫でた。



「どうだ? これで声が出るだろう?」


「――あー……! 出ます! ありがとうございます!」


「っ……お前、煩い子だな」



 声が出たことに歓喜した少年は、大きな声で感謝を伝える。突然のボリュームに、テラは両手で耳を塞いだ。



「あ、すみません……でも、本当にありがとうございます」



 少年はボリュームを下げ、姿勢を正して再び伝えた。

 今度はその声を受け入れたテラは、頷いてから元いた椅子に腰掛けた。



「あの、貴方は……?」


「人に尋ねるなら自ら名乗るべきであろう?」


「あ、すみませんっ。僕はジルバートです。それで貴方のお名前は?」


「ほう、ジルか……お前は私のことを知らないのか?」


「そうですね、僕の知ってる話を繋げれば、貴方は魔女――大地の魔女、テラ……さん」


「ああ、その通りだ。で? その大地の魔女が住む森にどうして踏み入った? 名前を知っているのであれば、噂も聞いたことがあるだろう?」



 魔女は人には使えない魔法がある。それは簡単に人を殺すほどの力を持っている恐ろしいものだから、魔女に近づいてはいけない。

 大昔には魔女狩りもあり、魔女も人を好意的に思っていないことがほとんど。

 近づけば殺されてしまう。

 そう言い伝えられているのだ。


 どんなに貧困者であっても、魔女のことを知らない人はいない。そして知っていれば、魔女が住む森など理由なく近づこうとするわけがない。

 魔女も魔女で、自分の存在を悟られないように人に紛れるか、存在を主張して人を近づけないようにしている。


 互いに壁を作っているからこそ、魔女であるテラは長い時を静かに暮らしてきた。

 稀に興味本位で森に入る人はいたが、テラの魔法で惑わしては森から追い出してきている。


 今回、死にかけていたジルバートは何故森へ来たのか。長く生きるテラでも、予測付かなかった。


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