絶世解歌論戦記

稲見春晴

序章 残雪の底に残りし紅の花

第1話 天つ少女の挽歌

 人の世において創造されたものの中で、最多であるものはやはり文芸であろう。百歳ももとせを経て語り継がれるような神韻縹緲しんいんひょうびょうもあれば、玉響たまゆらに消えゆくも又一つの在り方である。


 幾多の学者先生に議論されながらも未だ解釈が定まらないものもあれば、形を成すこともなかった草稿さえ万々千々ばんばんせんせん


 人は、数多の文学にあくがれ忘れして幾星霜を重ねてきた。そしてその中で生まれてきた解釈は、人により時代により変化を見せる。その変遷を以て、「力」も形を変えていく。


 ――なんて、精一杯それらしく冒頭を書いてみたが、どうだろうか。学者の末裔だというのに、どうも私が書く文章は要領を得ない。このノートを開いてくれた者なら分かるとおり、僅か数行を書き上げるのに何度も書いて消してを繰り返している。


 これを読む人はきっと、当時のこと――多分、「彼女」のことを知りたいのだろうから、可能な限り期待に応えられるよう努力しようと思う。しかし、論文以外でこんなに長い文章を書くことはなかったものだから、こんな覚束ない文章でもどうか許してほしい。


 まずは取り急ぎ、彼女について語るにあたって最重要事項ともいえる時代背景について語ろうと思う。早いところ我らがヒロインの人となりについて……或いは歴史に歪められた彼女の人生の真実について知りたいところだろうが、少しの間だけ付き合ってくれると嬉しい。


 この世には、「文異能者」と呼ばれる者が存在する。否、今は「存在した」と表現したほうがよいだろうか。文異能者とは、人知を超えた力を持つという点で特殊な性質を持った文学者及びその末裔の総称である。


 非常に優れた文学士には、人ならざる存在の手によって、特殊な力が与えられる。その力は、彼らが特に研究に力を入れた作品の、彼らが導き出した「解釈」に呼応して形を変える。

 能力として使える解釈の元となる作品は一作品のみで、彼らは世界中に存在するが、数としてはそう多くない。


 上手く説明できないから、私の異能で説明しようと思う。私が司る力は、とある有名な短歌だ。


  友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ


 私は最初、この歌の「われよりえらく」見えることから感じ取れる作者の嫉妬心に強く共感していた。だから能力もその「解釈」に呼応して、憎い相手を百合の「花」の毒で弱体化させるという、非常に攻撃性の強いものとなっていた。


 対して愛妻家の父は、「妻としたしむ」ことに重きを置いていたため、能力はもっぱら戦闘には向いていなかった。ただ私の母を喜ばせることに長けていた。

 同じ「花」に依存した「解釈」でも、彼は自らの手から花束を生み出して母に贈ったり、髪に手を触れてフラワーリングを出して母の頭に飾ってみせたり……そんな二人の姿も、恋を知らぬ私にはただ「なかよし家族」にしか見えなかったものだ。


 そんな父の真意は、やがて私にも理解できる日は来るのだが……ここで書いても面白くないので、別項に譲ることにする。長い手記になる予定だ、ゆっくり読んで察していってほしい。


 何故、人ならざる存在――ここでは仮に「文学の精」とでも呼ぶことにしよう――が、我々人間にこのような力を与えたのかは、私には分からない。しかし、この力が、人が扱うにはあまりに大きすぎたことは確かである。

 今から数百年前の日本においては、その頃の記録によると現人神として信仰の対象とされた例もあるらしい。文明が発達して武器もその頃とは比べ物にならないほどの殺傷力を持つようになった私達の青年期でさえ、文異能者は強力な兵器として重宝された。


 とりわけ戦争放棄をしている我が国においては、兵器としては利用価値よりも放置した際の危険度の方が高く、政府はご機嫌を取るべく異能者のいいなりになっていた。その中でも特に和歌の解釈の異能を司る「歌象者」が覇権を握っており、当時の日本には歌象家を最高層としてその他の異能者、そして非能力者と明確なヒエラルキーが存在した。


 文異能者は、大きく二種類に分かれる。一つは、先祖が得た力を遺伝によって受け継いだ者。古典文学を研究する家系に多く、一度与えられた力は、その家系の長子に代々受け継がれていく。

 その家の長子にのみ受け継がれるこの力は、外界においては勿論、家庭内の力の差においても大きな影響を及ぼす。力が手に入らなかった弟妹達は、長子の圧倒的な力には逆らうことはできず、服従するしかない者も多い。そのためこのタイプの「持つ者」には横柄な者が多く、私の父は彼らとの人間関係に非常に苦労したようだ。


 もう一つは、自身の代で力を与えられた者。近代文学の研究者に多いが、異能を得てから何代目かによって厳しい序列が出来上がっている文異能者界隈では、しばしば見下されるようだ。

 父がその典型で、研究会で嫌味を言われ続ける彼を見て、私は子供心ながらに怒りが沸いたのを覚えている。幼かった私が一番初めに知ったこと、それは、人間の中に見た生存欲求、他人を見下し自分がのし上がろうとするその動物的な闘争本能であった。


 ――とまあ、これ以上は私自身の人生論になってしまうから、これくらいにしておこう。私が前もって伝えておくべきことも書ききれたと思う。本当は、もう少し詳しく説明したいところではあるが、あなた方も早いところ「本編」に目を通したいだろう。


 続きは少しずつ書いていくことにして、早速ではあるが、「彼女」……盛咲和梅さかさきかずめの物語に入っていこうと思う。


    ***の手記より抜粋


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