絶対絶命

タヌキ

ノストラダムスの置き土産

 1999年。

 だんご三兄弟がテレビから流れ、街では厚底ブーツを履いたガングロギャルが闊歩し、スケルトンのゲームボーイで皆が遊んでいた頃。

 俺――赤沼浩史は小学三年生だった。

 千葉県松戸市に住むただの小学生だった俺は、将来降りかかる苦難を知らずに毎日をそれなりに謳歌していた。

 学校ではデジモンのアニメの話をしたり、爆笑オンエアバトルでブレイクしたダンディ坂野のモノマネをしたりして馬鹿笑いしていたのだ。

 要は、俺もあの時代は万単位でいたであろう小学生の内の一人にすぎなかったのである。

 しかし、あの時代の小学生として俺は一つだけ欠落していたものがあった。

 ノストラダムスの大予言を信じていなかったのだ。

 何故信じていなかったかは、三十を過ぎた今でも分からない。ただ、世界がそう簡単に滅びる訳がないだろうと子供ながらに思っていたのだろう。

 しかし、あの時代を生きていた人間だからノストラダムスの大予言の一節は、耳にタコが出来るほど聞いた。


『1999年7の月、恐怖の大王が空からくるだろう アンゴルモアの大王を甦らせるため その前後、マルスは幸福の名のもとに支配するだろう』


 織田信長が本能寺で死んだ時代に出版された本に記された、たった二行の文。

 たったこれだけの文章で、当時の小学生は恐怖のどん底に陥れられたのだ。

 空から恐怖の大王という名の隕石か、大地震が起きて家が潰れて俺達は死んでしまうんだ。

 などという、今考えてみれば根も葉もない噂が小学生問わずして伝播していた。

 もしかすると、四年前に起きた阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件や、その時の人類のほとんどが経験したことがなかった世紀末という事柄が、我々に世界の破滅という想像を促進させたのかもしれない。

 小学生の多くは、学区内の裏山や自宅の押し入れ、もしくは自分の布団の中にお菓子やジュースを溜めこんで恐怖の大王の襲来に備えていた。

 中には、どうせ世界が滅びるからと遊び惚けたり、小遣いを散財させていた奴も少なからずいた。

 そして訪れた1999年、7月最終日である31日。

 夏休みの宿題のドリルを早々に片付けた俺は、読書感想文を書こうと町の図書館に向かっていた。その道中、ばったり会った同級生集団に、「恐怖の大王に立ち向かおう」と誘われた。彼等は近所の橋の下に、何処からか拾ってきた段ボールでシェルターを作っていた。

 警察官を父に持ち、同級生の中でも比較的背が高く体格もよかったからだろう。よく、このような勧誘を受けていた。

 俺は読書感想文を理由に断った。


「恐怖の大王が降ってくるんだぞ!」


 そうしつこく言われたが、それでも断った。


「なんで断るんだよ!」


 こうも言われたが、「なんとなく」としか返せなかった。大予言を信じてはいなかったが、何故信じないかは俺にも分かっていなかったからだ。

 俺への失望を隠さない同級生と別れ、図書館で本を借りて家に帰った。

 その後、彼等は橋の下でその時を待ったらしいが、いつまで経っても帰ってこない我が子を心配した親や、連絡を受けたPTAや、通報を受けた警察官達によって発見され、段ボールシェルターは破壊された後に撤去された。

 彼等の中では「ぼくらの七日間戦争SEVEN DAYS WAR」よろしく戦うつもりだったらしいが、現実はそうではなかった。

 結局、何事もなく夜が明けて8月1日がやってきた。

 ピーカンの太陽を見上げながら、当時の俺は「ほれみろ」と優越感に浸った。

 こうして、馬鹿とガキを無駄に騒がせたノストラダムスの大予言は大ハズレという結果に終わった。

 それどころか99年以降、度々世界滅亡する系の予言が話題になったが、2022年になった今でも的中することなく世界は健常を維持している。

 いったい、いつになったら的中するのか。

 永遠の謎であり、仮に解明されたとしても滅亡しては語り継がれることはないだろう。


「――何見てるの?」


 俺が思い出に浸っていると、マリアが肩口から覗き込んできた。

 マリア――マリア・アストール。三十の時に出来たかけがえのない相棒であり、恋人でもある。

 ウルフカットにした金髪が鼻先で揺れる。


「ガキの頃のアルバム。……昨日、実家から私物と一緒に送られてきたんだよ」


 溜息混じり呟きながら、俺は古いアルバムを閉じる。

 今年で四歳になる姪のために、俺が大学卒業するまで使っていた部屋を空ける必要が出てきた。

 なので、部屋に置きっぱなしだった俺の私物をNYの自宅まで、段ボールに詰めて母親が送り付けてきたのだ。漫画や小説、集めていたCDならいいが、アルバムの類まで送ってくるのは勘弁してほしかった。

 早速、マリアは自衛隊時代のアルバムを発掘し開き始めた。


「凄い顔してる」


 まず最初に彼女が目を付けたのは、レンジャー帰還式の写真。

 死にかけの表情をした二十六の俺が、上官に口へショートケーキを突っ込まれているのを捉えたものだ。

 三日間、飲まず食わずで山籠もりをした後のショートケーキは、沁みるというよりもただひたすらに甘かったのを思い出す。

 その次にマリアが目を付けたのは、練馬駐屯地に着任したばかりの写真だ。


「なにこれ?」


 駐屯地祭で出店をやった時の写真だが、二十八の俺はしかめっ面をしている。

 理由は身に着けているエプロンにある。当時流行っていた、自衛隊が異世界に派遣される漫画のキャラがプリントされているのだが、それがロリっ子、更に言うとあられもない姿でとんでもないポーズを取っているものなのだ。

 部下に押し付けられたものだが、家族や友人に見られ、危うくロリコン認定されかけたのだ。


「浩史って実は……スキモノ?」


 現在進行形で交際している女性にもこう言われては、俺はもう泣くしかない。


「……嫁入り前の娘が、そういうことを言うんじゃありません」

「冗談だって」


 冗談を言われるのは好きではないが、こんなやり取りをしているとふと思うのだ。

 世界が滅びませんようにと。

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