みみくる少女はかしましい
藤原くう
第一話
ある地方都市のあるところ。三つの道が合わさる三叉路に喫茶店があった。
それぞれの道からやってきた少女たちは、今まさにその喫茶店のテラス席に向かい合って座っていた。
ぱっつん前髪の少女はミラ。足を組んで眼鏡を上げているのはメル。少女どころか人間には見えないタコ型の存在はベーツという。椅子に座った彼女たちは、揃って浮かない表情をしている。タコ型生命体だって、無数の触手のうち、四本しか力が入っていない。
彼女たちは、数年来の友人。こうしてお茶会なるものを催すことは何度かあれど、ここまでお通夜ムードなのは初めてである。皆一様に、腹の中に抱えているものがあったのだ。それを口にしようとすれば、「あの」という言葉がハーモニーを奏でた。
互いに譲り合っていると、注文していた飲み物が運ばれてきた。ミラの前にはレモンティーが、メルはコーヒー、ベーツはミルクココア。それぞれ口をつけ、ほうと息をつく。
「私からいいかしら」
そう言ったのは、メルだ。どうぞ、とミラは口にし、ベーツは触手の一本を同意を示すかのように上げた。いつだって冷静な進行役であるメルに、二人は感謝していた。
「相談したいことがあるの。ちょっと――いや取り繕うのはなしね。大分困っていることがあって」
「メルが困るだなんて珍しい」そう言ったのは、ミラだ。「なんでも完璧にできるのに」
「おかしいかな」
「人間はミスするものよ」
「じゃあちょっとくらいミスしないとか」
「わ、わたしも相談したいことがあります……」
「そのおどおどした性格を治したいとか?」
ミラに言われたベーツがビクンと体を震わせる。プルプルとした質感に見合わず、がちがちに緊張しているようであった。
「そ、それもそうなんですけど、そうじゃなくってっ!」
「大声を出さなくても聞いているから落ち着いて?」
はい、とどもりながら言ったベーツは、大きく呼吸をする。――腹式呼吸ではなくラマーズ法になっていたが。
「えっとそのう。相談したいのは気になる人ができたっていうか」
「気になる人」
「それって恋愛相談?」
ぷるるんとした頭が前後に動く。か細い肯定が、恥ずかしがっていることを物語っていた。
「奇遇ね。私も同じようなことを相談しようと思っていたの」
「ベーツにメルもなの?」
「っていうことはミラちゃんも……」
「そうよ、何か文句でもある」
「あっありません」
「そんなに怖がらせるような言い方しないの」
メルの手がよしよしと慰めるように触手を撫でる。ミラはふんっと鼻を鳴らす。
「わ、わたしがこんな性格だから……」
「別にあんたがそう言うことじゃないでしょ」言ったのはほかでもないミラ。「あたしも乱暴だったわ」
「正直じゃないんだから」
「うっさい! それより、その相談ってやつを聞かせなさいよ」
「私? でも、最初に言ったのはベーツちゃんだから、あなたの相談から聞きたいな」
「うぇええっ!? わたしからですか」
「言い出しっぺだもの」
ミラとメルは、口を閉ざして、目の前のタコ型生物の言葉を待つ。彼女はもじもじと所在なさげに触手を動かす。
「好きな人ができたっていうかそのう。わたしってこんな見た目をしていますから、どうしたらいいんだろって思って。いてもたってもいられなくて」
触手二本をぶつけながら言うベーツの姿は、閑静で洒落た喫茶店の中で非常に浮いていた。彼女へ突き刺さる目線は、その多くが嫌悪感をまとっており、わずかながらに好奇の目も混じっていたが、好意的なものなど皆無だった。タコを醜悪にしたような見た目のものに、好意的なものを抱けという方が無理な相談だった。
大きな体を小さくさせて言ったベーツを目にしながら、なるほどね、とメルは言う。
「しっかし、あんたって宇宙人ですよってあけっぴろげにしてるくせによく捕まらないわね」
「むしろ、着ぐるみだと思ってもらえているみたいで……」
「あ、そっか。怪しすぎて怪しくないってやつね」
「ですです」
「あたしもそういう姿にしてればよかったなあ。今の体ってすっごく窮屈」
「でもそのおかげで、市役所に努められている」
ミラは高卒認定試験に合格し、市役所に就職していた。三人の中では唯一勤め人である。ちなみにメルは大学生で、ベーツは高校生。ベーツみたいなのが高校にいたら、ちょっとしたパニックになりそうだが、通信制だから大丈夫とは本人談。
「そりゃあそうだけど、やっぱり自分本来の姿がいいし楽じゃん。メルはそう思わないの?」
「あはは。もう慣れたわ。それよりも、ベーツちゃんの好きな人ってどんな人なのか知りたいな」
「グレイさんはその――」
「名前グレイっていうんだ」
「は、はい。ネットで知り合った人なんで本名はわからないんですけど、グレイ・ジョーンズっていう方で」
「ネットでってことは顔も見てないってこと」
恥ずかしながら、と今にも消え入りそうな声でいうベーツを、ミラが軽蔑を込めた視線で見つめる。その視線に気が付いたのか、ベーツは頭を俯かせた。
「顔も知らないやつを好きになるだなんて、あたしには理解できないわ」
「じゃあ、そういうミラちゃんに聞きましょう。あなたはどうして人間が好きになったかを」
すました顔でレモンティーをすすっていたミラは噴き出す。琥珀色の液体が霧状に飛び出し、テーブルの上はレモンの香りが漂う。
ミラはお手拭きで口元をふきふき。「いきなり何言うのよっ!」
「そんなに人のことを言うってことはさぞかし、清く正しい出会いをしたのかなってね。で、実際どうなの?」
ずいっと身を乗りだしてメルが言う。真似するように、ベーツも触手二本をテーブル上へと乗せて、その光沢感の強い体を前のめりにさせた。
興味津々といった風の二人を前に、ミラはたじろぐ。
「べ、別にいいじゃん。あたしのことは」
「でも、教えてくれないと、相談に乗りようがないけれど」
「うっ。わかったわよ! あたしが好きになったのは、職場の同僚」
「へえー職場恋愛ってやつだ」
「そんなんじゃない! だから言いにくいのよ……。メルはいつだってそう。あたしたちのことを茶化すんだ」
「悪かったわよ。それで、悩んでいることって?」
「そこのベーツと一緒」
「人間みたいな形してるじゃない」
「そりゃあまあ、ここはヒトの目があるから。でも、うちだったら、こんな姿してない」
「我慢すればいいじゃない」
「あたしはあんたみたいに我慢強くないの。うちの中でまで姿を変えてるだなんて考えたくもない」
鳥肌を払うように、ミラは腕をさする。そんな彼女の様子に、ベーツは首を傾げた。
「着ぐるみを着るのが苦手なんですか」
「……あんただって得意なようには見えないけど」
ミラの視線が、ベーツを上から下まで舐めていく。何度見ても宇宙人らしい見た目。この星で古典的名著に位置付けられている『宇宙戦争』に出てくる侵略者をデフォルメしたかのようだと、ミラは常々思っていた。
「得意です」
「生まれたまんまの姿さらしてるやつが何言ってんだ」
ぴえぇっ!
そのような泣き言にも似た奇怪な声を上げたかと思うと、ベーツは触手の間へと顔を突っ伏した。
はあ、とミラはため息。視線は、おかしそうに微笑んでいるメルへと向いた。
「その見下してるような笑い方やめてくれない?」
「そういうつもりはないのだけども」
「わざとやってないなら、むしろ最悪よ。――それより、あんたはどうなのよ」
「好きな人ならいるよ。ミラちゃんみたいに気の強いお姉さんなんだけどね」
うへえ、とミラは声に出せば、メルは違うよとばかりに手を振った。
「ミラちゃんに好意を抱いているわけじゃないから安心して。この未開の惑星にいるちっぽけな生物が、一生懸命虚勢を張っているところが好きなんだ。ミラちゃんはそうじゃないでしょ?」
「…………ひねくれててもっと気持ち悪い」
「ありがとう」
「褒めとらんわっ。で、そんなあんたは何を相談したいのよ。聞いた感じ、悩んでることなんてなさそうだけど」
メルは何も入れていない真っ黒な液体をすする。その姿には、みじんも不安は見えない。いつも通り優雅で、洗練されている。ある種の優越感にも似たオーラをぷんぷんまき散らしていた。ミラは下に見られていると感じるし、ベーツなんかは安心感を覚えるのだった。
カップがソーサーへ置かれる。メルが再び話し始める。
「いやいやそんなことないって。たくさん悩んでいるわ。彼女のことを考えると、心が締め付けられてカッと熱くなってくる」
「好きな人と一緒にいられる瞬間を考えたときみたいに……?」
「そうそう。大好きな人とベッドで夜を共にしたときのことを考えるだけで、火照ってきちゃう」
「それ興奮してるだけだろ」
「そうともいうかもしれないわ。でも、心の中で燃えるこの感情はまさしく愛ってやつでしょう?」
早口でまくしたてられると、反論しようとしていたミラもなんだかそんな気がしてくる。愛にしたって情愛とか性愛とかそういったちょっと変わったものかもしれなかったが。
メルの顔はほのかに赤みを帯びている。それは確かに興奮かもしれなかったが、闘牛というよりは、盛りのついた猫のようだとミラは思った。
「もじもじしてどうしたんですか?」自分に似ているな、とベーツは思っていた。「あ、もしかしてトイレに行きたいとか」
「確かにトイレにはいきたいな。いや、そんなのじゃあ満足できない。あの子の家に行きたい」
「あんたたちの話かみ合ってるようで噛み合ってないけど。まあいいや。あんたの相談したいことが一番気になるし。ベーツのは……なんか想像つくからいいや」
「ひどいっ!?」
顔に手を当て、そう言ったベーツ。その反応すらも、なんだか読めるのだ。ここ日本という場所に住まう女子高生とやらがそんな反応をしがちだと、経験からミラはそう判断してしまうのだ。ちょっとうっとうしいと思いつつも、同時にうらやましさのようなものも感じた。この惑星の原住生物と雰囲気が似ているからこそ、こうしてありのままの姿をさらけ出していても捕獲されることがないのだろうな、とミラは推察していた。
聞いてくださいよ、と両手らしき長めの触手をばたばた動かし抗議の声を上げるベーツと、それを押しのけようとするミラ。そんな二人をよそに、メルは笑みを強めていた。先ほどまでのアルカイックスマイルから、どこか影の差したような昏い笑いは、見たものにうすら寒いものを感じさせ、漫才のようなやり取りを行っていたミラとベーツも硬直した。
「な、なに笑ってんだよ。気持ち悪いな」
「何かいいことでもあったんですか」
「いいこと、というよりは気持ちがいいことを聞きたいの」
「?」
「あー、そこまでにしない? 真昼間の往来で話すようなことじゃないっていうか――」
「私は愛する人をぐちゃぐちゃにしたいの。もちろん猟奇的な意味ではなく――そんなことするわけがないじゃない――性的な意味でね」
「真昼間から話すことじゃないって言ったよねっ!? ベーツも何か言ってよ!」
「あのう。意味がよくわからなくて」
「純情すぎる!」
「ぐちゃぐちゃにするってどういうことなんですか」
あちゃあと頭を抱えるミラ。彼女にはわかっていた。少なくとも、ベーツよりかはそう言ったことに詳しいつもりだったし、メルの気持ちもわからないわけではなかったからだ。……だからといって、そこまでよどんだような感情を抱くほどではないし、ぐちゃぐちゃにしたいとっも思わないからだ。
説明を求められたメルの目が、ギラリと輝いた。待ってましたとばかりに、メルは口を開く。
「弱いところを責めるの」
「弱いところ?」
「そう。例えば――」
「あーっ!? あっちにUFOがっ!!」
ミラは天を割かんばかりの声を張り上げ、あらぬ方向を指さした。雲一つない青空にはUFOどころか風船一つ、飛行機一機だって見当たらなかった。そもそも古典的なものに引っかかる人間などいないと思われた。だが、落雷のごとき大音声は、テラス席でお茶をしばいていたマダムたちはもちろんのこと、落ち着いた壮年のマスターでさえびっくり仰天させて、その拍子に真白のカップを落とし、ガシャンと割れた。
そして、ミラの隣にいたベーツ。彼女は。
「どこどこっ宇宙人っ!」
弾んだ言葉を口にしながら、触手を天へと伸ばすがごとく、きょろきょろとしていた。幸いなことに、メルの発した言葉はどこにあるのかもわからないベーツの聴覚器官が捉えらることはなかったようである。。
ミラは大きく安堵の息を漏らし、メルを睨みつけた。
「なんてこと言おうとしてんだ」
「だって、聞かれたから答えなくちゃいけないでしょう?」
「バカ。別に答えなくたっていいだろっ。わざとやってんのかよ」
「さあてね。そんなことはどうでもいいの。ミラちゃんはどうするのがいいと思う」
「知らんわっ。あたしにわかるわけないじゃない」
「でも、ミラちゃんはメスなんでしょ?」
「あんただって女性のなりしてるじゃん」
「これは見かけだけ」
メルは自らの胸をたゆんと揺らす。そうすることで、多くの人間の目を引き付けることを自ら理解しているかのような行動である。
「この方が魅力的でしょう? だからこの形をとっているというだけで、別にベーツちゃんみたいな姿をしてもいいの。そもそも私に雌雄の区別は存在しないし、生殖活動もしないのよねえ。原生生物たちはどうやって生殖活動に励んでいるのかしら」
何か知らないかな、とメルがミラへと問いかける。ミラは生物学的には女性で、また、地球人がどのように生殖するのかを前もって調べていた。地球人という別種の中に紛れ込むためには必要な情報だからだが、メルにとってはそうではないらしい。
とはいえ、言葉にするのは気恥ずかしい。ミラは、顔を真っ赤にさせて。
「……エッチなビデオでも見ればいいじゃない」
「ビデオ?」
「そういうのがあるんだよっ! これ以上は説明しないからな!」
「何の目的で地球人は生殖活動を録画しているのかしら」
実に興味深い、と腕組してうんうん頷いているメルに、ミラは頭を抱えた。
そうしている間に、目を皿にして空を見上げていたベーツが目線をテーブルへと戻し、残念そうな声を上げる。
「UFOどこにもいないんですけど……」
「あんたはあんたで、まだ探してたのか」
「そりゃあ宇宙人っていいじゃないですか」
「あたしにはあんたの気持ちがわからん。宇宙人ならここにいるじゃない。あんただってそうだし」
「宇宙人はいればいるだけいいんですからっ」
こっちはこっちでよくわからないとミラは思う。宇宙人なのであれば、多かれ少なかれ鴛海を渡ってきているはず――この惑星の生物はそうでもないらしいが。とにかく、宇宙人なんて無限の宇宙においては珍しくもなんともない。もしかしてベーツという少女(仮)は、この日本においていうところの箱入り娘、というやつなのか。
なんて思われているとはつゆ知らず、ベーツの興味はメルへと移った。
「メルさんの好きな人ってどんな人なんですか?」
「ミラちゃんみたいに、いやそれ以上に気の強い性格かな。わがままで自分の精神を守るために相手にきついことばかり言って周囲の人間から疎まれているような」
「なんだかいい人には思えない……」
「あんたはあたしをけなしてんのか」
「いやいやむしろほめてますとも。むしろそういう性格だからこそ、私は好きになったのだからね」
「あんたのことが嫌いになりそうだよ。っていうか、そいつも実はあんたのことが――」
――あんたのことが嫌いだろうよ。
ミラが言い切った瞬間、氷河期がやってきた。
ブリザードのような重圧の中心点は、ほかならぬメルだ。彼女の体から発せられる、食物連鎖の頂点に君臨するもの特有の迫力は、その場にいる生物を本能的に怯えさせた。ライオンなんかとは動物園でしか会うことができない地球人たちは、そのほとんどが恐怖でその場に硬直した。息を吸うこともままならず、失神した女性がカップもろとも倒れこむ。犬は情けない鳴き声を一つしてどこかへと逃げ去っていった。
宇宙という深淵で、それなりのことを経験してきたつもりのミラも、メルが発する威圧に少なからず恐怖していた。顔に汗がにじみ、カップを取ろうとする指は小刻みに震えた。目の前にいる怒りに震えているであろう友人はこともあろうに、笑みを浮かべている。それが何よりも怖かった。
ぎこちない動作で、もう一人の友人の方を向く。ベーツは気が弱いから、失神どころか失禁していてもおかしくないのではないかとミラは思っていた。
ベーツは、意外にも平然としていた。そもそも全方位へと照射されているオーラのような圧迫感を感じ取れていないように、水晶のような目がメルとミラの間を行ったり来たり。その顔には、疑問が浮かんでいる。
「どうしてそんなに怖い顔をしてるんですか?」
「ちょっとね。ここのミラちゃんが喧嘩を吹っかけてきたから。受けて立とうと思って」
「な、なにが喧嘩だよ。あたしのことをけなしたくせに。ふっかけてきたのはあんたの方だ」
メルとミラは、うなり声にも似た声を上げ、睨みあう。ベーツの、ケンカはよくないですよ、という悲痛な声は、頭に血が上ってしまった二人には聞こえていない。
殺意の塊をぶつけられれば、ミラだって負けていられない。相手が何であろうと、諦めるようなことはしない。それはメルも同じようで、自分を――自分が愛する人を馬鹿にしたミラを殺そうとしているらしかった。
空中で火花が散る。――比喩表現なしに、火花が散ってオゾンのすえたような臭いがあたりへと漂った。快晴無風だった天気が一変する。雲が急速に発達して、生ぬるい風が吹き始める。
まるで、これから始まる決戦を予期しているかのよう。
二人の輪郭が大きく膨らむ。それははじめこそは錯覚かと思われたが、そうではない。ふくらみは徐々に大きくなる。人間というかりそめの皮から、何か得体のしれない存在が現れんとしている。
恐怖で動けずにいる人間たちはそれを見ていることしかできない。それはともかくとして、ベーツも動こうとはしなかった。彼女にだって、何かが起きる――何かが来るという予感はあった。だが、それがベーツの触手を硬直させることはない。むしろ動かせる四本をびたんびたんと元気良く動かす余裕さえあった。
宇宙人が、来る。
呟き声は、次第に強さを増す風の音に紛れて誰にも届かなかった。
空は曇天を通り越して真っ黒。今にも雨が降り出して、天から雲を切り裂き雷が地を打つかと思われた。
その直前。
場違いなポップな音が鳴った。
それは、三つのスマホから生じていた。いわゆる着信音というやつだ。
ミラ、メル、そしてベーツの三人は揃って、スマホを取り出して確認する。誰からの着信だろう。どうでもいい着信だったら、どうしてやろうか――なんて思いながら確認する。
確認してすぐに、その顔から敵意とか興奮とかが消え去る。その連絡の主というのが、三人それぞれの想い人だったのである。何たる幸運だろうか。彼もしくは彼女のおかげで、地球そしてそこに生きとし生けるすべての生物の命は守られた。メルとミラの下へ着信が来なかったら、今頃火の海と化していたことだろう。ミラとメルの二人はそれほどまでの力を有した宇宙人なのだ。
想い人からやってきた連絡は似たようなものだ。遊びに誘うような文面。好きな人からそう言われて不機嫌になるヒトがいないように、宇宙人だって嬉しくないわけがなかった。
剣呑な表情はどこへやら。三人の表情は、一様に幸せにとろけており。敵のことをどう処してやろうかと知略を巡らせようとしていた頭脳は、今は恋愛シミュレーションの様相を呈しているほど。雰囲気が目に見えるならば桜でんぶのようだったに違いない。
緊迫していた空気はすっかり払われている。空では、雲が役割これだけかよ、としょんぼりとしながらもどこかへと消え去っていく。今再び地球へと降り注いだ日の光が大地を照らし、恐怖に震えていた人々は我を取り戻した。
賑やかさを取り戻した喫茶店のテラス席に座る友人三人は、おのおのの席に座る。
「あのう」
最初に切り出したのは、ベーツであった。ほか二人はそわそわとしながらも、どこか申し訳なさそうにしていた。カッとなって、我を忘れてしまったことを恥じているかのように。そんな中でベーツが口火を切ってくれたのは、ありがたいとミラとメルは思った。
「さっき話したグレイさんから連絡が来て、その」
「そ、それならあたしも好きな人から連絡が。メルもそうじゃねえのか」
「うん。すごい奇遇だけどそんなのどうでもいい。今すぐ行きたいわ。だっておうちにお呼ばれしたんだもの!」
三人の意見が合致した。相談をするために集まったわけだが、その相談は解消することはなかった。だが、今はそんな些事なことはどうだっていい。
とにかく好きな人の下へとはせ参じたい。
それだけが三人の頭の中を埋め尽くしていた。
三人はカップの残りを勢いよく飲み干し、立ち上がる。そして、レジの下へ向かう。
「そういえば今回はベーツの支払いだっけ」
三人集まった際は、一人が代表して支払うことになっている。先日はミラが支払ったので、次は最年少のベーツというわけ。
「はい。お忙しいなら、お先に帰られてもいいですけど……」
ベーツが支払う際はいつだってそう言う。いつもなら申し訳なくなるところであったが、今回はむしろありがたい。ミラとメルはベーツに感謝の言葉をかけて、足早に去っていった。
その場にはベーツ一人が残された。
レジの前にベーツが立つと、喫茶店の店主が、入店した時よりかは控えめな驚きの表情をして出迎える。そりゃあそうだ。ベーツはどこからどう見ても宇宙人然としている。あの人間らしい女性二人がいなくなったことで、面倒なことになったぞ、話が通じるんだろうか、なんて思いが、その年齢を感じさせる顔にありありと浮かんでいた。
宇宙人と店主の一挙手一投足に、客も注目を寄せている。
誰かの唾を飲む音が聞こえた気がした。
ジーッ。
ファスナーの下がる音がしたかと思うと、宇宙人の服の胴体が裂ける。その中からにゅっと出てきた人間の手が、トレイに請求された金額分のお金を置き、引っ込められた。
ファスナーが上がり、閉じられると、宇宙人はぺこりと頭を下げ、喫茶店を後にする。
あまりにもリアルな着ぐるみを、人々はぽかんと口を開いて見送るのだった。
みみくる少女はかしましい 藤原くう @erevestakiba
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