第26話 正義の鉄槌(5)
次の日の、再び放課後。
智也は教室で優子に報告をしていた。教室には他に誰もいない。
「また悪魔の仕業かぁ……。」
「『悪魔』って言うか、怪異だけど……。」
「処刑人」――コピー君曰く、それが「彼」自身が名乗った名前らしい。契約者が恨みを持つ相手に、本人の代わりに「天誅」と称して報復する怪異。フットワークが軽く動きが読めないと言う。契約者も今のところ不明、だそうだ。
「でも心配だよね、今までと違って物理攻撃だから、万が一のことがあったら……。」
「うん。でも前にも言ったけど、『学校の怪談』の怪異達は、人を殺すことはできないらしいから……そんなにレベルが高い怪異はいないって。」
「うん、そうみたいだね……ちなみにそいつって、いつ生まれたかわかる?」
「それもわかんないってさ。例のごとく最近なんだろうけれど。」
「キューピットさん」や「
だが、その人物が元人に対して強い恨みを持っていたとするならば、それは昨日一昨日から始まったことではないはずだ。少なくとも智也が思い浮かべている「容疑者」は……。智也はその点がどうにも引っかかっていた。
「一応、容疑者っていうか、契約者かも知れない人に心当たりはあるんだけど。」
「誰?」
「……朝比奈毓って人。」
「えーっと……。」
知らなくて当然だった。優子は毓と接点を持ったことは無く、まして彼は影が薄い。
「菅野君と同じD組さ。去年は僕も同じクラスだった……多分、菅野君に苛められてた。」
「……そうなんだ。」
優子は顔をしかめる。自分が知っていたら止めていたのに、とでも思っているのだろう。相変わらず、智也には到底真似できない精神性だ。
「多分、他にも共犯者がいるから、その人たちもこれから狙われるかもしれない。」
「……確かに。契約はまだ終わってないのかも。そういえば、完全に実体化した訳じゃないみたいだし……っていうか、『実体化』ってそもそもどういう状態なんだろうね?」
コピー君は、怪異の実体化の程度は「実績」次第だと言っていた。それは契約の達成度とほぼ同義のようだが、一方で怪異としての認知度も少しは影響するらしかった。今の「処刑人」はそのどちらの条件も満たしていない状態だろうか。これまでの事件と比べて被害者数が少なすぎる上、そもそも怪異だとは(優子と智也以外には)誰にも思われていない。
「さあ……?」
「キューピットさんもそうだけど、最初から誰かに危害を加えることはできる訳じゃない?完全に実体化したら、何が変わる、っていうか、何が有利になるんだろうね……。」
「……確かに。」
「キューピットさん」は契約のプロセスが進行すると共に、一度に姿を現す時間が長くなっていったような印象がある。だが、最終的には完全に姿をさらしたせいで、むしろ智也の物理(化学)攻撃で身を滅ぼしている。結局、何がしたかったのかはわからなかった。
……「契約」を結び、「実績」を積み、「実体化」して、ついでに契約者の「魂」を手に入れる……それらはすべて、何らかの最終的な目的のための過程なのだろうか。それともそれら自体が、単なる彼らの本能的行動なのか?
「それと、これもそもそもだけど……なんで最近になって、この学校で怪異が増えてるんだろうね。智也君はどう思う?」
優子は文字通り、首をかしげながら言う。彼女にとってはそれがいつも通りのしぐさだった。
「さあ……?でも少なくとも、偶然とは思えないよね。」
「うん、そうだね…………。」
優子は自分で聞いておきながら、特に深堀りもせずうなずいて終わらせた。
「あ、そうだ……あの、関係ないことなんだけどさ。」
「何?」
「最近さ……なんか様子が変な人、増えてない?」
「え、変って、どういう風に?」
「なんて言うか……普段はそんなキャラじゃないのに、時々急にっていうか、すごく口数が少なかったりとか、無理に笑ってるように見える人とか。多いって気がしない?」
智也は昔ほどではないが、相変わらず暇なときは湿った視線で人間観察をしている。
「そうかな…………う~ん、ああ、でも、確かにそんな気するかも。」
優子は言われるまであまり違和感を抱いていなかった。……彼女にとって、誰もが均質に「優等生」的なコミュニケーションを取る言語空間は望ましいものであっても、決して気持ちの悪いものではない。智也は改めて、この人の常識感覚が常人と違うことを思い知る。
「それはでも、なんて言うか……そういう時期なんじゃない?だってほら、みんな夏まではこう、エネルギッシュだったじゃん。部活の大会とかもいっぱいあったし。それでなんか、涼しくなって一回クールダウン、みたいな。」
「ああ、なるほど……?」
智也は礼司のことを思い出した……いや、あれは極端な例だが。しかし、確かに優子の言う通り、皆多かれ少なかれ、そういうものなのかもしれなかった。
「なんていうか、そういうの私にはよくわかんないんだけど……みんなさ、ある時はものすごくこう、目標とか夢とかがあって、『頑張って生きてる!』って感じのに、『どうして生きてるのか』、とか決まってる訳でもないって言うか。それでまた、何かのきっかけですごく落ち込んじゃったりするし……私、友達がそういう時に、どうやって慰めたらいいかわかんないんだよね。」
優子が他人にこう言った考えを吐露することは珍しい。誰にでも好かれる割に、優子は余り他人の悩みに共感できない……彼女はその年齢にしては、あまりにも達観しすぎているのだ。その一方で、自分以外の人間を熱心に分析し、いちおう理解しようとする。その点、智也とは割と気が合う点が多い。そのため彼女はどこか無意識に、智也を「同族」とみなしている節があった。
「……僕もわかんないよ。別に、慰めなくてもいいんじゃない?『生きる意味』がどうとかそういう悩みって、個人が勝手に持ってるものだから、自分で勝手に納得するしか解決策は無いと思うよ。」
だが、智也は優子とは大きく異なる点もある。つまり、他人への極度な同情心の欠如だ。彼は長年の「研究」の結論として、自分以外の少年少女を自分中心の価値観に凝り固まった上に、尊大な自意識に囚われた愚者共とみなしている。
もちろん、優子は別だ。彼女だけは尊敬に値する……どころではない。はっきり言って、彼女の人格者ぶりは智也の想像を絶していた。
今の発言からも、彼女にとって「『どうして生きてるのか』が決まっている」ことが当たり前であることが推察される。智也は敢えて聞かなかったが、一体それが何なのか気になる。……大方、「皆を幸せにするために生きてる」とでも言うのだろう。彼女なら本当にそれを実現させようとしている気がする。
はっきり言って智也は、そう言ったユートピア的な「崇高な思想」は軽蔑していた。最近優子と話す機会がそこそこ増えて、彼女の利他的行為の理念についても何度か聞いたが、智也は適当な相槌で済ませていた。できるだけ、真剣に考えないように……さもないと、意地の悪いことを言ってしまいそうだから。
彼女を傷つけるようなことは、言いたくない――智也が他の人間に対しておよそ抱いたことのない感情だった。親に対しても同じだ。「嫌われたくないから」などという気持ちすらない。ただ、面倒なことにならないように本音を封じているだけで、彼は物心ついた時から、常に人間全般を軽蔑し心中で批判し続けていた。
だが、そんな彼でも、優子を見ていると時々思ってしまう――彼女だったら、あるいは本当に、ユートピアでも何でも、実現できてしまうのではないか、と。そう期待してしまう。それが幻想であることは重々承知している。ただの夢想であり、我ながら気持ちの悪い身勝手な憧憬だと。だが……。
「ん?どうしたの?」
優子の顔をぼんやりと見つめていた智也に対して、優子は困惑して顔を寄せてくる。
「な、なんでもない……。」
智也はすっと一歩引いて、顔が赤らむほどの接近は回避した。
――この人に欠点があるとすれば、まさにこういう無頓着さだよな。
「……ま、まあ、とりあえず話を戻すけど……よければ、僕が朝比奈君の様子を見ておくよ。何かわかったら教えるね。」
「あ、ありがとう……協力してくれるんだね。」
「あ……うん。それぐらいなら、簡単だから。」
智也は言い訳の様にそう言った。
――だいぶ飲まれてるな、と。自分でもわかっていながら。
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