第4話 キューピットさん(4)

 時間を少し巻き戻して、その日の朝。


 二年B組では女王を中心に女子たちが集まっていた。

 周りの机は周縁に排除されている。その中に自分の席を持つ男子が一人、困った様子でうろうろとしているが、「どいてほしい」と言える勇気も持っていない。と言うか、そのようなことを言う人権は彼になかった。

 女子たちの輪の真ん中には、一台の机。そしてその上には一枚の紙と、手鏡が置いてある。紙には赤いサインペンで大きなハートマーク、そしてその下に丸文字で「はい/いいえ」、さらにその下に五十音表が書かれている。


「――ねえ、これも本物なんだよね?」

 恵美が確認する。


「う、うん。多分……。」


 早苗は今回は、自信なさげな様子だった。否、この儀式ははっきり言って、インチキだった。

 この間、鏡の妖精は上条礼司の好きな相手を教えてくれたが、その後二人が結ばれるのかどうか、はたまた恵美に勝機があるのかどうか、などについては答えが得られなかった。

 それもそのはずで、鏡の妖精の怪談は「他人の既存の秘密を暴く」と言うものであり、未来を操ることはできない。

 そう言う訳で、本物の怪異はもはや役に立たないということで、実質用済みとなってしまった。

 しかし、このままでは恵美の気が収まらない。遠目で優子を見かけるたびに、あからさまににらみつけている。

 だが不思議なことに、彼女とすれ違ったり話しかけたりすると――途端に、毒気を抜かれてしまうのだった。

 優子には、他人の敵意を削いでしまう、独特のおおらかな雰囲気があるのだ。恵美でさえ、彼女にだけはどうにも、強い態度で接することができない。だからこそ、苦手なのだ。

 ……そして、苦手どころか恋敵になった今では、その柔和さと言う美徳はもはや憎たらしかった。……であるのに、なぜかその憎悪を態度に出すことはできない。

 けっきょく憤懣やる方ないまま、一日中不機嫌である。そして代わりとばかりに友人たちにやたらと当たり散らすので、段々と雰囲気が悪くなってきていた。

 そして昨日、事態はさらに悪くなった。

 男子たちの間で、礼司が優子に告白した、と噂が立ったのである。結果はどうなったのか、よくわからなかった。礼司本人は落ち込んでいて、菊に聞けない状態だった。しかし他の男子から間接的に聞くと、「フラれてはいない」とのことだった。どのみち恵美はこれを、切迫した状況と捉えて慌てふためいた。

 友人たちは彼女を除いて、何とかできないかと相談した。そしてその結果、今度は早苗が偽物の儀式で玲奈の留飲を下げることを思いついた訳だ。


 「キューピットさん」。

 

 いわゆる「こっくりさん」の派生バージョン。

 この儀式において参加者たちは十円玉に指を置いて霊を呼び出し、質問する。そしてその霊が十円玉を動かし、紙の上の文字で回答する、というものである。

 よく知られている通り、この儀式の実態は集団心理や無意識によって、参加者の指が動いてそれらしい回答を作り上げてしまう、というものだ(諸説あるが)。

 そしてこれもよく言われることだが、容易に誰かが操作できる。そのような不正防止のため「指に力を籠めない」ことを条件に行うが、そのためにかえって、わずかな力で動かしやすくなってしまうという寸法だ。

 そして早苗たちがやろうとしているのは、まさにそれである。すなわち恵美の恋愛運を確証することで、恵美の機嫌を取ろうという魂胆だ。

 一度本物の怪異に出会った以上、二度目の怪奇現象に対する信頼度も上がるはず。本来キューピットさんにも「運命を操る」ことなどできないが、そこは設定をこじつけた。

 もちろん、一抹の不安がないではない。

 鏡の妖精同様、もしキューピットさんも本当に実在していたら?結果を恣意的に操作することは、祟りの対象になりかねない。

 しかし、いわゆる「こっくりさん」と違って、「キューピットさん」は「安全版」と言うのが通説である。祟りも呪いも存在しない、はずだ。そのため、保険をかけて「キューピットさん」を選んだのだが。

 多分大丈夫だろう、と言う総意の下、儀式はけっこうされることになった。

 参加するのは例のごとく恵美、早苗、心である。このうち二名が共犯なのだ。失敗するということは無い。


「……キューピットさんキューピットさん。どうぞおいでください。」


 儀式の進行はとうぜん早苗の担当だ。

 少女たちの間に数秒、沈黙が下りる。


「……もしいらっしゃったら、『はい』とお答えください。」


 十円玉が動いて、『はい』の上に行く。恵美が息をのんだ。

 あとの二人は、怪しまれないように目を合わせることはしないが、お互いに打ち合わせ通りだ、と心中で思う。


「ではお聞きします。……上条礼司さんは、白石優子さんと付き合うことになりますか?」


 ――『いいえ。』


 恵美の表情がほころぶ。


「『いいえ』だって!ね?今の見た?ね?」

「うん!良かった……。」

 心がわざとらしくはしゃぐ。しかし彼女は普段からわざとらしいので怪しまれることは無い。彼女にとっては追従と本心の境界線などない。


「まだ、肝心なの、これからだから!」


 早苗は儀式を続行する。


「……では、小島恵美さんは、上条礼司さんにアタックするべきですか?」


 ――『いいえ』。


 ――ん、『いいえ』?


 早苗はぎょっとした。心はどうやら、今の質問をちゃんと聞いていなかったらしい。どうもこの子は時々、人の話を聞いているようで聞いていないところがある。


「えっ――」と、恵美の顔が強張る。

「ちょ、ちょっと待って。言い方が悪かったのかも。違う言葉にしてみるね。」

 慌てて早苗が仕切り直しつつ、こっそり心をにらむ――なぜか睨み返された。


「恵美、さんは、礼司さんと付き合える可能性は、ありますか?」


 あえて、「付き合えますか?」とは聞かなかった。あまり断定的なことを言って外れると、後で女王の怒りを買いかねない。


 しかし答えはまた、『いいえ』だった。


 ――なんで、なんで?え、ちょっと、何やってんの?


 早苗は慌てた。思わず心の顔をうかがうと、自分と同じように明らかに困惑した表情だった。心も心で、さっきは早苗がミスをしたのかと思って修正しようとしていたところだった――だが、指が思い通りに動かせなかったのだ。


「な、なんでよぉ!優子とは付き合わないんでしょ!じゃあ、誰が相手なのよっ!」


 恵美が悲痛そうに叫ぶ。

 ……そしてその言葉は、早苗でも心でもない何者かに、「質問」として判定された。

 十円玉が、動き出す。


 ここに来て、共犯二人は同じ結論に至りつつあった。


 ――これ、マジなやつじゃない?


 明らかに、誰かひとりの力によるものではないすさまじい速さで、全員の指が十円玉に引きずられていく。


 ――『い』 『い』 『し』 『゛』 『ま』 『れ』 『い』 『な』


「な、何?え?」

「い、飯島さん?なんで?」

「え、だれ?わかんないんだけど!」


 早苗以外の三人は、彼女のことを知っていた。小学生の時、一時期は友人だった。ただ、恵美と仲が悪くなってから、グループの輪から外されて――


 ――『れ』 『い』 『な』 『れ』『い』『な』『れ』『い』『な』『れ』『い』『な』ゆ』『き』『の』『れ』『い』『な』『れ』『い』『な』『れ』『い』『な』――――!


 指が、止まらない。十円玉は何度も、同じ三文字の上を回り続け、加速していく。次第に、もはやどこを指しているのかわからないほどになった。


「いやあああっ!」

 心が指を離そうと身をよじる。


 ――やばいやばいやばい!


「お、おかえりください!キューピットさん!おかえり下さ――」

 早苗が最後まで言い終わる前に、三人の指は弾かれ、十円玉が宙に飛んだ。

 その場にいる人間はみな、恐怖で目を閉じる。恵美はその一瞬、視界に何か、妙なものを捉えた気がした。そう、それは確かに、色白で透き通った、人間の顔――


 十円玉が机に落下して跳ねる。


 数秒の沈黙のうち、少女たちはおそるおそる目を開く。


「…………キューピット、さん?」

 恵美は放心状態でそうつぶやいた。

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