第2話 キューピットさん(2)
上条礼司は落胆していた。
その落胆ぶりは、次の日ずっと頭を垂れていたことで、周りから見ても明らかだった。
その日、彼は部活の練習よりもさらに早く、早朝の校門が開いてわずか一時間ごろに登校し、想い人、白石優子の下駄箱に手紙を入れた。
『放課後、屋上に来てください。大事な話があります』、と――よくあるアレである。典型的なアレである。
手紙だけで直接すべてを語ってしまう、などと意気地のないことはしない。彼は面と向かって、自分の言葉で想いの丈を伝えた。
優子は、
『ありがとう。……嬉しいな!えへっ。……でもね、私。礼司くんのことあまりよく知らないから、すぐにお付き合いするのはちょっと、難しいかなぁっ、て。』
と、可愛らしく眉毛を下げつつ、申し訳なさそうにしてから、大人な笑顔で、
『……まずはお友達から、かな』、と言った。
……いや、別に!絶望的って訳じゃない、まだチャンスはある!
礼司はあくまでポジティヴに捉えようとした。しかし、それでも尚かなりショックだったのは、「よく知らないから」、と言われてしまったことだ。
彼は今まで中学校に年間の生活の中で、十分に目立ってきたはずだった。部活動、体育祭、文化祭――そのすべてにおいて、自分と言う人間の本懐と情熱は出し惜しみなく示してきたつもりだった。
それでは足りなかったのか――あるいは、暑苦しいと敬遠されてしまったのか。
彼は比類なき熱血漢だった。他の男子がやってもクサいとしか思われないようなふるまいを素でやってしまう。
だがそれが全て奇跡的に格好いい。スポ根漫画の世界から主人公がそのまま出てきたようだとまで評される。
彼の所属する陸上部は、彼のおかげですさまじい気運である。そしてそれはパフォーマンスにも反映されているが、女子はややその団結の仕方がぎこちないというか、結びつきが強すぎるようである。
なお、その中心にいる女王が小島恵美だ。
女子部員の間では、彼女からの『礼司くんの思いにこたえて頑張ること、でも私より目立って礼司くんに褒められたりしたら……わかってるよね?』という無言のメッセージが共有されている。
ちなみに礼司がリレー走、恵美はハードル走である。
何にせよ、この告白は、礼司にとっては明確な敗北だった。
ゆえに次の日、彼はずっと意気消沈していた。……彼は勝った時だけでなく、負けた時の感情も豊かだった。
自分に魅力が足りなかった、人間性を高める努力が足りなかったのだ。そう、すなわち自分への敗北だった。
――ならばこれから、名誉挽回するしかないっ!
放心状態で過ごしたその一日の終わりには既に、彼はそう決意を新たにし、完全に立ち直っていた。
――そしてさらに次の日。
彼はいつもにも増して意気揚々と登校してきた。しかしここが彼のよくないところで、そういう高揚した精神状態は、すぐに体の動きに反映されてしまう。
練習が終わった後のこと。彼はいつものトレーニングの癖で、階段を二段飛ばしで駆け上がろうとした――あまり前方に注意もせず。
二階との間の踊り場には大きな姿見があり、上り切った時にはもう、二階から降りてくる人影が映っていた。しかし今の彼には、自分の新たな目標しか見えていない。
その結果、上から普通に歩いて降りてきていた女子生徒と激突した。
……そして残念ながら、それは白石優子ではなかった。
少女はよろめいて空中に投げ出されかける。
「――っ、あっ!」
礼司は慌てて彼女を抱きとめた。
「……悪いっ!ほんとにごめ――」
その瞬間、抱き留めた彼女と目が合った。伏し目がちだが、見開くとぱっちりとしていて美しい、真っ黒な瞳――
心臓が跳ねる。それは決して、学校まで走って登校してきたせいではない。彼の心臓はそれほどヤワではない――はずだった。
だが、そんな彼の心にももろい部分はある。そこを、何かがかすめていった――そう、かすめて行っただけで、突き刺さりはしなかったのだが。
その少女は目以外も美しかった。肌は透き通る陶器のように白く、唇は血のように赤い。一本に束ねた髪は……いや、残念だが実際のところ、彼は女性に対してそこまで細やかな印象を抱けない。
それよりも、上から覆いかぶさる形で押し付けられた彼女の胸の柔らかさの方が強く意識されてしまって、それ以外の魅力には正直あまり気づいていなかった。
「あ…………ごめん、まじで、その……。」
「……うん。大丈夫、だから。」
二人とも赤面し目を逸らす。礼司としては早く離れたかったが、少女はなぜかわざわざ時間をかけて身を引く。
その際、彼女の指が彼の二の腕を、掴もうとするかのようにすうっとなでていき、礼司はぞわりとしたものを感じた。やめてくれ。なぜ、そんな手つきをするのだ。
男子としてはこれ以上なく気まずい。しかし礼司はすぐに気を取り直そうとし、少女が落としたかばんを拾い、またしどろもどろと謝る。
いっぽう少女はその間ずっと、ちらちらと目を伏せたり、礼司と目を合わせたりを繰り返し、かと思えばカバンを受け取る時、ますます赤面し目を逸らした。
「……あ、ありがとう。礼司くん。」
けっきょく礼司は反省を生かし、階段は歩いて登っていった。そして自分に言い聞かせる。
――ウハウハしてんじゃねえ。俺は優子一筋だ! と。
そこでふと、今更ながらあの少女と顔見知りだったことを思い出す。そういえば、小学生の時よく同じクラスだった――名前は、
思い出したところで特に意味はない。実際、彼は昔の友人にほとんど拘らない。熱しやすく冷めやすい人間関係なのだ。そもそもその時、何か大事なことがあっても気づいていなかっただろう。
二年B組の教室につく頃には、胸の高鳴りはすっかり収まっており、彼女のことは完全に忘れていた。
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