女子校のアイドル的存在だった従姉妹の話

幽八花あかね

🔫

 ぱん。っと軽い音を立てて、そのたまはボール紙製のまとを倒した。『姉ちゃんさすが!』と幼い弟がはしゃいでいる。お祭りの射的は物心ついた時から得意だった。

なつおねえちゃん、あのね、ゆきね、あのクマさんね』

 年下の従妹いとこだったあなたも、私にとっては弟と同じように可愛い存在で。

『ん。いいよ! 姉ちゃんが取ったげる。ちょっと待っててね、ユキ』

 あなたのあどけない笑顔を見るために、あなたの〝ありがとう〟の声を聞くために、あの時も嬉々として頷いたっけ。

『――わぁ……っ! おっきいクマさん! ありがとうっ、夏実おねえちゃん。大好きっ』

 ひしりと抱きついてきたあなたは、ピンクのお花柄の浴衣がよく似合っていて。すりすりと頬をよせてくる姿が可愛くて可愛くて。私も妹が欲しかったな、なんて思ったものだ。

 弟たちだって可愛かったけど、あなたが妹ならよかったって、子どもの頃は何度も思った。

 ――そう、本当に、思っていたの。



「私ね、夏実ちゃんの妹になりたいって思ったことなんて、ほんとは一度もないよ。ぜんぶ嘘」

「っえ……」

 その言葉に驚いた、というよりも。私は自らと彼女の体勢に動揺していた。春から大学生になる従妹が、ユキが、新居のベッドの上に私を押し倒している。

 おしゃれな模様の水色のお布団は、いかにも彼女の物らしく清楚な雰囲気で。ふわりとホワイトフローラルっぽい良い匂いがして。

 何年も前の夏にプレゼントしたあのクマのぬいぐるみは枕の横にちょこんと座って、宝石を模したプラスチック製の瞳で私たちを見下ろしている。

 新生活準備の手伝いでってことで来たけど、私にできることはそんなになかった。ユキは要領が良いから、ってそれどころじゃなくて。

 ――なに、この、状況。

「夏実ちゃん、好きだよ。お嫁さんにしたいって意味で大好き」

「およめ、さん? ……ふ、へへ。へ」

 ちょっと想像しただけでおかしくって、変な笑いが唇からこぼれる。笑い事じゃないのに笑けてくる。

 私がユキのお嫁さん? ――あり得ない。

 彼女は可愛らしい顔をくしゃっと歪めて、私の頬をやさしくつまんだ。まだ染めていない彼女の黒髪が、私の首筋を掃くようになぞる。そのツインテールの髪型は、いっそ怖いくらいに似合ってた。

 あんな古めかしい校則の女子校に来なければ、ユキはモデルやアイドルをしていたかもしれない。そんなタラレバを考えては、もったいなって思う。

 ああ、キモい笑いが止まらない。

「ふ、ふへへ、へ」

「もうっ、なんで笑うのー。いじわる。ちゅーするよ」

「へへ、なによ、その脅し」

「……ほんとにするよ?」

「ふふ…………すれば?」

 自分の答えに自分で驚く。〝冗談はやめてよ〟とでも言って、愚かなふりをして彼女を傷つけて、なかったことにしてしまえばよかったのに。

 わざわざ目を瞑って、それでいて彼女から顔を背けて。これじゃ、どっちなのかわからない。したいのか、したくないのか、わかんない。

 ――そう、私だってわかんないのだ。

 ただ、笑いを堪えきれない唇がふるふると震えているのを止めてみてほしかった。この嫌らしい笑い声を、キスで呑み込んでほしかった。

「ね、夏実おねえちゃん」

「……妹は、嫌なんでしょ」

「うん――」

 互いにファーストキスではなかった。別の人と、もうしてた。どっちも知ってた。学校で他の人とキスしていた姿を、見たし、見られた。

 後輩とのキスを見られた日のことも、ユキと他の女のキスを見せつけられた日のことも、未だに脳のどっかに張り付いて離れない。



『夏実ちゃん。さっきのひと、誰……?』

『……恋人』

『…………カノジョ、いたんだ』

『うん。いるよ』



 私とユキは五歳差の従姉妹。

 まあまあそれなりに仲良く過ごしてきた、と思う。一年でもいいから一緒に通いたいって、私の居た女子校の中等部だけを受験してきたくらいには、ユキは私にべったりだった。

 ユキも晴れてうちの学校に合格し、彼女が中等部の一年生、私が高等部の三年生になった、あの年の春。

 私は週に数回、ユキと一緒に登下校していた。通学の電車やバスでもいっぱいおしゃべりして――あの時は、楽しかった、はず。

 曖昧な言い方になってしまうのは、その年の夏、私たちの関係に亀裂が入った、という自覚があるから。堂々と〝楽しかった〟なんて思えない。思うことすら許される気がしない。

 私が迂闊だった。ユキの〝好き〟の意味に薄々感づいていながら、素知らぬ顔をしていた。


『夏センパイ。今日も心雪ちゃんと一緒でしたね』

『あ、見られてた? かわいいっしょー、うちのユキ』

『うふふ、本当の姉妹みたいに見えましたよ。仲良しですねぇ』

 その頃の私には、ひとつ年下の恋人がいた。ゆるふわっとした子犬みたいな女の子だ。〝狙った獲物は逃がさないタイプなんです〟という彼女の一途さに絆されて、前の恋人と別れてすぐのタイミングで交際を始めた。

 私は女の子からモテるみたいで、中高と女子校では〝王子〟と呼ばれることもあって、初めてのカノジョができたのは中学二年の時だった。自分から交際を申し込んだことは一度もなくて、いつもなんとなく流れで付き合いはじめるか、向こうから告白してくるか、だった。

 私のこと〝ビッチ〟って言う人もいたみたいだけど、悲しいかな、否定はできない。




 流されるようにキスをして、流れるように先へと進まされる。ユキとの触れ合いは、長年の恋人とのそれのようにしっくりきた。同じ人と半年以上付き合えた経験なんてないのに。ああ笑ける。

「ゆき、ユキ――心雪」

 汗ばむ彼女の頬を撫でる手が、あのクマにぶつかって彼を床に落とす。私たちの関係は、もうあの時とはまるで違った。

「あのね、ユキ」

 ――弟たちと同じような〝可愛い〟と〝好き〟なのか、あの日から私、わかんなくなっちゃったよ。


 

 夏の始まり、放課後の教室で。子犬みたいな後輩とキスをした。

 思い返せば、私とユキの親密さに嫉妬したあの子が、わざとユキに見せつけるようにしたのかもしれなかった。

 ただ実際、あの日から私たち従姉妹の仲はギクシャクしはじめて。

 ユキは私の親戚らしく、私と同じ血をひく女らしく、他の女の子と付き合いはじめた。うちの可愛いユキは、私だけに〝好き〟をくれる女の子ではなくなってしまって、私とはしたことないキスを、他の女と先にしたの。済ませてしまったの。



「――夏実ちゃん。おはよう」

「ん……。おはよ。ユキ」


 結局、私はまた流された、のかもしれない。ユキだけは特別だと思っていたのに、そうでもなかったのかもしれない。

 あの後輩以外にも、これまで何人かのカノジョが居た。それなりに楽しいお付き合いをして、人によってはキスもその先もして、ありきたりな別れ方をした。

 ふつうに付き合って、ふつうに別れた。大恋愛なんてひとつもなくて、ふつうの学生らしい恋人関係だった、と思う。

「今の時期ってさ、中途半端だよねぇ」散らかった下着を拾いながらユキは言う。「高校は卒業したのに、まだお店のアダルトコーナーに行くのはダメで、知らないけどラブホもダメなんしょ」

「そうねぇ。ユキとはまだ行けないねえ」

「えっちはふつうにするのにね」

「中高生なんて、そんなもんでしょ。私らみたいに女子校じゃなくても、共学でも、ヤってるやつはヤってるの。……たぶん」

「たぶん、ね」

 まさに(笑)みたいな感じで笑うユキを、なんか若いなぁって思った。寝起きで美意識が低いのか、さっきから自分が微妙に枯れたオバサンっぽくて泣けてくる。リアルに泣きはしないけど。

 私とユキは五歳差で、これはあと数年もすればどうでもいい差になるんだろう。でも、まだ高校三年生と社会人で。私たちの関係こそ中途半端だ。このままじゃ中途半端だ。

「ね。心雪」

「うん?」

「付き合う?」さらっと言ってみた。

「――ん。じゃあ今からカノジョね、私」

 生まれて初めての交際申し込みは、あっさりと秒で頷かれた。なんか拍子抜け。もっと拗れるって思ってた。いや、もしかすると期待していた。

 口には出さずにいたけれど、別れたくないなぁってもう叫びたかった。付き合うのに時間をかければ、すれ違ってすれ違って結ばれれば、こんな私でも長続きできるんじゃないかって思ったんだ。

 とりあえず床に落ちていたクマさんを拾い上げて、「まだ大切にしてくれてるんだ」って、からかうような嬉しいような口ぶりで言って。

「ねえ、ユキ」

 彼を枕元に座らせ直した後で、新しい恋人にキスをした。

 宝石を模したプラスチック製の瞳が、私たちをキラキラと見つめている。見下ろしている。

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女子校のアイドル的存在だった従姉妹の話 幽八花あかね @yuyake-akane

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