第11話 帰宅

 ヘルハウンド撃退から何時間立っただろうか、日も傾き始めた頃にやっとお兄様が目を覚ました。


「ん……? ここは?! ・・・・・・っ!? いやいや、ネージュは?!」


「ちょ、ちょっと落ち着いて、お兄様。私はここよ」


 勢いよく飛び起きたかと思うと目と鼻の先にいた小さな虫にひくりと顔を引きつらせ、悲鳴をかみ殺し、おろおろと虚空に手を伸ばして眼鏡を探すド近眼のお兄様の手に「はい、これ」と眼鏡を握らせる。


「あ、ありがとう……。ん? ネージュ、血が……!!」


 ようやく私にピントが合ったお兄様の顔がサーッと一気に青ざめた。

 

(え? 血? 襲ってきた魔物も遠距離から氷で串刺しにしたし、返り血でもないだろうし……?)


 気づかぬうちに自分もどこか怪我をしていたのかと確認してみたら、足に細かい擦り傷ができていて少し血がにじんでいた。そういや、私、裸足だったわ。


「びっくりした! お兄様ったら脅かさないで! こんなのかすり傷よ。それよりもお兄様の方が重症だったでしょう。もう大丈夫なの?」


「笑い事じゃないぞ……! 傷跡が残ったり、足から雑菌が入ったらどうする?! は、早く医者に診せなければ……! とにかく家に帰るぞ、ネージュ!!」


「うわ! お兄様?!」


 ろくに私の話も聞かず、お兄様は私を抱きかかえるとそのまま風魔術を発動させた。突如つむじ風が発生し、そのまま二人の体全体が包み込まれる。強い風に目を開けていられなくなり、「舌を噛まないように気をつけなさい」というお兄様の忠告を最後に風の音しか聞こえなくなった。


✱✱✱


 そう経たないうちにどうやら目的地に着いたらしい。徐々に風の勢いが弱まっていき、ふわりと地面に降ろされる。ここは……、イスベルグ公爵家本邸の庭だ。


 ちょうど庭木の剪定を行っていた庭師のジャルダン爺さんが目を見開き、横で手伝っていた庭師見習いのジュードが腰を抜かす。


「セ、セルジェ様!? ネ、ネージュお嬢様までどうなさったんで?!」

「えええ、お二人とも傷だらけじゃないですか……!!」


「早くゲリルを呼べ!!」


 急いで駆け寄って心配してくれる庭師コンビを一瞥し、それだけ言い放つとお兄様は私を抱きかかえたまま、ガンッ!と行儀悪く、使用人用の勝手口の扉を足で蹴り開けてツカツカと邸に入っていく。


「ま、待って、お兄様! 私、全然歩けるから一回降ろして!」

「いや、傷に響くといけない。おとなしくしていなさい」

「そんなことないってば!!」


 とりあえず私を自室まで運ぼうとしてくれてるみたいだけど、顔を青くしながらこちらの様子を窺う使用人一同の視線が突き刺さっていたたまれくなり、抵抗を試みる。けれど、お兄様のいったいどこにそんな力があったのか、ふらつきはすれど意地でも落とさないといった感じで腕の力が緩む気配はなかった。


(うわー! 本当に私は大丈夫なのに……! 誰かお兄様を一回止めて!)


 そんな願いが通じたのか、いつもは隙なく整っているひっつめ髪を振り乱しながらメイド長マガリーがゲリル医師の首根っこをつかんで引きずる様にして現れた。おかげで、お兄様の歩みがやっと止まる。マガリーはこちらと目が合うと、顔面蒼白になって一瞬ふらりとよろけた。


「んまー!? おいたわしや! なんてことなの……! ゲリル医師、早く!! セルジェ様、ネージュ様、ただいまお召し物の替えをお持ちいたしますからね!」


 ドン!とゲリルを押し出すと頭を下げ、周りの使用人に指示を出しながら慌ただしくマガリーは去っていった。いきなり連れてこられたのか何が何やら、といった様子でぱちぱち瞬きをしていたゲリルが今度は素っ頓狂な声を出す。


「ぎゃあ?! た、た、た、大変だ!! 坊ちゃまー!!」

「いや、私じゃない。ネージュを診てくれ」

「何をおっしゃるんですか! そんなボロボロで!!」


 ところどころ破れたワンピースを着ているものの、ぱっと見たところ無傷の私ともうほとんどゾンビの仮装といってもいいぐらい血の滲んだ服を着たお兄様。そりゃそうなる。


 近くの適当な部屋から椅子を持ってきてくれた使用人にゲリルは礼を言い、私とお兄様を座らせると跪いて患部に手をかざした。ゲリルの手から、暖かな光が溢れて患部に降り注ぐ。しばらく施術を行って、「はて?」とゲリルが首を傾げた。


「坊ちゃま、もしかしてそれは返り血ですか?」

「……ん? まぁ、なんでもいいだろう。ほら、早くネージュを」


 お兄様は今、自分の傷が治っていることに気づいたようで一瞬眉をひそめたがすぐにゲリルの手首をつかんで私の足へと持っていく。光が当たると、そこがじんわり温かくなって、くすぐったいと思っているうちにしゅわしゅわと傷が溶けてなくなっていった。


「あ、ありがとう」

「いえいえ、お嬢様。ほかにお怪我をなさったところはございますか?」

「いえ、もう大丈夫」

「後で湯あみの際にメイドにも確認してもらってくださいね。あんまりひどくないようでしたら、軟膏をお出ししますのでお眠りになる前に塗ってください。魔法ばかりで治すと自己治癒力が落ちますから」


 こほん、と気を取り直す様に咳をして「セルジェ様も、後でちゃんともう一回診察しますよ」というゲリルにやっと気持ちが落ち着いたのかお兄様も素直にうなずく。


「では、私はいったん失礼いたします」


 ぺこり、と一礼して戻っていくゲリルと入れ替わる様にマガリーを筆頭にメイドたちがやってきて、お風呂場へと連行される。「いやー! ネージュ様の肌に擦り傷がー!!」なんて悲鳴をあげられつつも無事湯あみをすませ、塗り薬と香油を丹念にすりこんでもらって部屋着に袖を通し、やっと一息つくことができた。


「あー、つかれた……。お家、落ち着く……」


 問題は未だ山積みなのだけれど、実家の安心感すごい。メイドの淹れてくれた紅茶の香りを楽しむぐらいには心の余裕を取り戻し始めていた。目の前に浮かびっぱなしのウィンドウも今はおとなしいものである。


 しかし、いったいどうしようか……。カイルとのこともそうだし、この先行動しやすくするためにも家族にはこのウィンドウのことを説明した方がいいと思うけれど何から話せばいいやら。とりあえず、お兄様に先に話した方がいいかもしれない。


(ぐるぐる考えてもしょうがないか。ひとまず今日はもう寝ちゃおう。お兄様だって疲れてるだろうし……)


 慣れ親しんだベットに寝転がると一気に睡魔が襲ってくる。その夜、私は数日ぶりに心から安心して眠りに落ちた。

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