第9話 思慮深き獣

 無差別に飛んできた炎をとっさに氷の壁で相殺した――のはよかったが、ぎょろりと真っ赤な目玉がこちらを見定めた。冷や汗がだらりと頬を流れる。ぎゅ、とお兄様の服の裾を握りしめた。


「ご、ごきげん、よ〜……」


「ぐるぁあ」


 震える手をそーっとあげて声をかければ、ヘルハウンドはあざける様にがぱりと口を歪ませ、喉を鳴らす。これ完全に見えてるね、そうだよね。


 このゲームのヒロインはあくまで聖女で、「闇」属性持ちは敵だ。破る方法がない敵の魔術なんて、そんなクソゲーまっしぐらなもの存在するはずがない。


 認識阻害の術は、豊富な聖力保持者には簡単に看破されてしまうし、たとえ聖力を持っていない攻略対象たちが相手だったとしても「そこにいる」と確信をもたれてしまったが最後、解けてしまうのだ。


(いやぁああああ! 物理攻撃が効かないだけで十分強いでしょ! 下手な人間より頭いいとかなに?! いい加減にしてー!!!)


 急いでヘルハウンドの四方を囲うように分厚く巨大な氷壁を出現させる。すると、「無駄な抵抗を」とでも言いたげに鼻を一つ鳴らして、ヘルハウンドは炎を再び吐き散らした。


「ぐるぁあ・・・・・・!」


 けれど、今度の氷はきちんと冷やしてある特別製だ。炎の方が氷に逆に熱を奪われて、消えていく。それに少し驚いたようだが、今度はギャリギャリと爪で氷を砕き始めた。少しの時間稼ぎにはなりそうだが、あまり猶予はない。お兄様に肩を貸し、立ち上がる。


「我慢してね」

「……大丈夫だ」


 こっくり、と緩慢な動きでうなずいたお兄様を引きずる様に支えながら少しでも遠くへ遠くへと足を動かす。一体、爪の一振りでどれだけ氷を壊しているのだろうか後ろから破壊音がやむことはない。


「……ネージュ。兄さまは、お前の足手まといには、なりたくない。やはり、ここに置いて行って、くれ」


「やめてよ、お兄様! 黙ってて!!」


「……」


 なおも弱気なことを吐くお兄様を半泣きで怒鳴りつける。お兄様が私を大事に思ってくれているように、私だってお兄様が大事だ。推しを――家族を――見捨てられるわけないじゃない。


 そもそも、たとえ走ったって逃げ切れる相手とは到底思えないのだ。なんとかして、倒さなければ。なんとかして――。


(思い出せ、思い出せ! ヘルハウンドのこと! ゲームではなんていわれてた? 授業では何を習った? 眉唾物の噂でもなんでもいい。聖魔術以外で退ける方法はなかった?!)


 必死に足を動かしながら、脳みそをフル回転させる。

 ヘルハウンドに物理は効かない。聖魔術を扱えるものには簡単に倒せる。

 見かけたら、逃げろ。見つかったら、隠れろ。神に祈りが通じれば助かるかもしれない――。


 あとは、冒険者が流れのはやい大きな川を渡って逃げたところ、なぜかヘルハウンドは向こう岸からにらみつけてくるばかりで、撒くことができたとかいう噂もあった。


「そうだ、川!」


 ウィンドウのマップを開き、近くに川の表示がないか探す。

 ……あるにはあったが、ここからは距離が遠い。そこに着くより先にヘルハウンドが私たちに追いつくだろう。


(――なんで、ヘルハウンドは川を渡れないの? 水が苦手? いや、ならさっきあたり一帯の氷を溶かした時できた水に怯えていたはず……。じゃあ、流れのはやい川だったから? なんで? ヘルハウンドは霧にもなれる。物理は効かないから溺れるはずもない。躊躇する必要なんてある?)


「そういえば……」


 なんで、お兄様は竜巻でヘルハウンドをけん制できたんだろう。

 なんで、私の氷で今も時間稼ぎができているんだろう。


――ヘルハウンドには実体がのに。


(もし、もしも私の考えがあっていたら……。あの化け物を倒せなくても、追い払えるかもしれない。)


 ちらりと後ろを振り返ると、ちょうど氷壁の壁を削り切り、突破したヘルハウンドの姿が迫ってきていた。およそ残り100mといった距離か。そちらに向けて、闇魔術を放つ。


「“恐怖は闇よりいずるもの。かの者に混乱をもたらせ”」


「ぐがらぁあああああぁあっ!?」


 敵に幻覚を見せ、恐慌状態に陥らせる魔術を使うとヘルハウンドは絶叫にも似た咆哮をあげた。バタバタとその場で暴れだし、霧になって、また元の姿になり、のたうち回る。


「……効いてる」


 普通の魔物にこの術をかけてもあまり意味はない。多少のフェイント程度には使えるかもしれないが、知性のない魔物は基本的に幻覚がかかりづらい。仮に恐ろしいモノが見えたとしても本能が警鐘を鳴らさぬ限り、特攻してくることが多いのだ。


 でも、ヘルハウンドは違う。賢く、知性があるゆえに危険を頭で判断してしまう。          

 元々は犬が悪霊化した魔物だ。今のヘルハウンドには効かない攻撃も、きっと生前の経験による記憶から危険だと判断してしまうのだろう。


 苦しむヘルハウンドを背に再び歩き出す。しばらくして、後ろから一際大きな悲鳴が轟いた。


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《兄の焦燥》クリア


✔制限時間内に兄と合流


✔魔物の撃退


新機能「ステータス」が解放されました。

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 ウィンドウのクリア表示に一気に安心感が襲ってきて、どさりとその場に座り込む。いつの間にか、背負っていたお兄様は気絶していた。道理で重いと思った。


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◇兄の正存


魔物撃破、おめでとうございます。

ボーナスとして、「あなた」もしくは「セルジェ」のHPを全回復します。

なお、「セルジェ」を選択しなかった場合も兄の命は保証されます。


どちらを回復しますか?


「ネージュ」/「セルジェ」

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(そんなの一択でしょ……!)


 「セルジェ」を選択して、ボーナスを受け取るとお兄様の体の傷があらかた消えていく。先ほどまで苦しそうにぜーぜーと吐いていた息が穏やかな寝息に変わり、いくらか眉間のしわが和らいだ。


「よかった……」


 応急処置をしたとはいえ、ここは森の中。すぐに医者に診せられるわけでもないし、ずっと心配だったのだ。


「まったく、向こう見ずなんだから。自分がピンチになってどうするの?」


 えい、とぐにぐにお兄様の眉間のしわを伸ばして遊ぶ。こんな調子では学年二位の秀才の名が泣くというものである。


「起きたら、家までちゃんと送ってよ。私、疲れたんだから」


 だから今は――目が覚めて、魔力が回復するまでは――もう少しだけ休んでて。


 お兄様の安眠を守るため、近づいてきた魔物の首を氷柱で貫いた。

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