第6話 妹を探して
ボワ森林――。エトナル王国の王都サンティニオのはずれに位置するこの森は、比較的ランクの低い魔物が生息することで有名で、初級冒険者にはうってつけの実地訓練スポットだ。ただし、まことしやかに噂されている魔王が再び目覚めた――というのが影響しているのか、半年ほど前からこの森だけでなく、各地の魔物の凶暴性があがってしまった。
森林近くに住まう人々は異変を恐れ、いち早く村を放棄した。ひとまずボワ森林では人的被害が出ていないため、対応が後手に回され、今では森周辺の結界を王国魔術師が補修しに時折訪れる程度で村々は荒廃していた。
そんな人気のない森に、一人の男が立ち入った。高貴な出で立ちではあるが異様にボロボロのその男は、風の魔術で目の前の鬱陶しい草を薙ぎ倒し、かき分け、ずんずんと奥に入っていく。その腕は細く青白く、明らかにひ弱そうであった。傷一つなかった彼の肌に草が次々とかすり傷を作っていく。
「くそっ……!!」
額に張り付く前髪を乱暴にかきあげ、丸眼鏡の位置をなおす。前方をくまなくにらみつけ、目当ての人物がいないとわかると、もとからあった眉間のしわがさらに深くなった。ため息交じりの深呼吸をして、大きく息を吸い込むと彼――「セルジェ・ド・イスベルグ」――はあらん限りの力で叫んだ。
「どこだ、ネージュ!!! 返事をしてくれ!!」
✱✱✱
――三日前。年末パーティーの日。
夜十二時の鐘が鳴っても最愛の妹が帰ってこなかった。
「お母様、ネージュは……まだ帰ってこないのでしょうか?」
「セルジェ、大丈夫よ。王宮からも特にネージュが帰ったという連絡は来ていないし、楽しくて時間を忘れているだけじゃないかしら」
母は「きっと、カイル殿下とお話が盛り上がっているのね」と言って、ポッと赤くなった頬を押さえると、まるで夢見る少女のような目で語る。
「ふふっ。私が若い頃もお父様と夜中、パーティーを抜け出して遅くまで二人っきりでお喋りしたのよ――」
「そう、ですか。こんなことなら私もパーティーに出席すれば……」
「まぁ、そういうな。お前のおかげで助かったよ」
時計をにらむ私に、母は「過保護なんだから」とクスクス笑い、父は苦笑を浮かべた。……やはり心配だ。
この世で一番美しい妹のことだから、もしかしたら誰かにさらわれたのかもしれない。王子を差し置いて横恋慕する子息か、不埒な人さらいか。
それとも、母の言う通り、あんなに美しい私のネージュの婚約者になるという栄光にあずかっておきながら、最近は元平民の聖女に鼻の下を伸ばして、へらへっら笑っていたあのクソ殿下がついにネージュのありがたみに気が付いたか。そうだとしても、腹立たしいことこの上ないが。
あともう少し、あともう少しで、きっと帰ってくる――。
じりじりと妹を待っているうちにいつの間にか眠ってしまい、目が覚めるととっくに昼を過ぎていて……。
「ネージュは?」
「お嬢様はまだお城にご滞在中とのことでして」
執事に尋ねてみたが、そういって眉を下げるばかり。どうやら流石に心配になった父と母が陛下に尋ねたところ、そう返事がきたそうだ。
(……おかしい。探るか。)
風を生み出し、王宮の方に飛ばす。
《――へ――お――ネ――》
クルクルと指を回しながら、微調整――。
《父上! いえ、陛下! 何を悩むことがあるのです、ご決断を!》
(聞こえた。カイル王子の声だ。)
風魔術は物を運んだり、敵を切り刻んだりといった使い道しかないというのが通説だが、そんなことはない。工夫すればこうやって、音の振動を風で運び、自分の元まで届ける――つまり、盗聴が可能になる。
王子の声に続いて、今度は陛下の声が聞こえてきた。
《いや、しかしな。公爵令嬢の処刑なぞ、そうやすやすと決められることではない。慎重に事を進めなければ。彼女は私の姪でもあるのだし――》
(は?! 処刑?!)
《陛下、あの女を皮切りに今こそこの国の膿を出し切るべき時なのです。それがまだお分かりになりませんか?》
《……そもそも、カイル。令嬢を勝手に捕縛するなどやりすぎではないか?》
《恐れながら、陛下! ネージュ様は闇の魔術で隠れることが得意でした。私も散々嫌がらせをしてくる犯人の顔がずっともやがかってわからなかったんです》
無礼にも会話に割り込んできた女がすん、と鼻をすする。あの小娘もいたのか。
《聖力を磨いてやっと、ネージュ様だと見破ることができたんです!一度逃げられてしまえば再び捕まえることは難しいでしょう。カイル様は何も間違ってません!》
《うーむ……。して、ネージュ嬢は今どこに?》
《陛下、これだけ言ってもわかってくださらないのですね》
ぼそりと「この国は腐ってる」と王子が呟く。
《……また改めて、ご説明に伺います》
《待って、カイル! 陛下、失礼します!》
カツコツとやや荒々しく靴音を響かせながら王子が去っていく。パタパタと軽い女の足音が続いた――。
(なんだ、今のは……!)
いてもたってもいられず、地図をひっつかんで、外に飛び出した。魔力のつきるまで、でたらめに風魔術を飛ばしまくる。王宮、市街、森。東、西、南、北。貴族の社交場、平民どもの酒場、貧民の掃き溜め――。
「いない、いない、いない、いない!! どこなんだ!」
吠えるように叫びながら、あてずっぽうに走り回った。血走った目で町ゆく平民どもをにらみつければ蜘蛛の子を散らすように道を開け、逃げていく。
しばらくして、がくんと膝から崩れ落ちた。元々、体力のあるほうではないのに何時間も走り回ったせいで全身の筋肉が悲鳴をあげていたのだ。
「誰でもいいから、ネージュの居場所を喋ってくれ……」
魔力が回復したのを見計らって、また魔術を飛ばす。魔力が切れる。足で探す。倒れる。そんなことを繰り返し続け、日が昇って、日が落ちた。
《起きたか、イスベルグ公爵令嬢》
真夜中になり、また倒れる――というところで、南にあるボワ森林の方に飛ばしていた魔術がネージュの情報を拾った。
「ネージュ……!」
ふらつく足に力を入れ、立ち上がる。もう、体力も魔力も限界に近いが馬車などでは時間がかかるし、馬を走らせてもおそらく森の魔物を恐れて近づけないだろう。探知に魔力を割く必要はなくなったし、なんとか絞り出す……!
自らに風魔術をまとわせて、ボワ森林の方へ飛んで――いこうとして、べしゃりと地面に不時着した。
(だめだ、魔力がもうない……。すまない、ネージュ。もう少しだけ待っていてくれ。必ず兄さまが助けに行くからな……!!)
そのまま意識を手放した私は、明け方ようやく目覚めて、今度こそ森へ飛んでいくのだった。
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