小悪魔幼女の恋愛日記
kou
小悪魔幼女の恋愛日記
ふと思った。
大学とアパートとの往復。そんな人生にどんな意味があろうか、と。
ただのルーチンワークでしかないのだ。
そう考えたのは、大学生の若者。
体格は良いが、覇気がない。いつも眠そうな顔をしている。
顔立ちも悪くはないのだが、無造作な髪型や野暮ったい眼鏡がその魅力を半減させている。
名前を
今日は、朝から大学に行くと夕方まで授業を受けた。それなのに疲れてしまったのは精神的なものだった。
正樹には趣味がない。高校時代も大学に行くために勉強ばかりしていて、部活や遊びといったものに興味がなかった。
毎日同じことを繰り返しているだけの日々を、正樹は送っていた。
そのことに、疑問すら感じていなかった。
食事は自炊だが、疲れたことで作る気にならなかった。ふと揚げ物の匂いに誘われて見ると一軒の弁当屋が目に入った。
普段なら通り過ぎていただろう。
ただ今日に限って気になったのは、駐車場の宣伝看板に貼ってあるポスターが原因だ。
そこには新作のメニューの写真が載っており、唐揚げ丼というものが写っている。
正樹は美味しそうだなと思いながら店内に入ると、男性客が女性店員に喚いているのを見た。
「さっき買った弁当だけどよ。俺が注文したカツ丼が唐揚げ丼になってるぞ!」
店員の女性は申し訳なさそうな顔をしながら言う。謝罪して弁償すると言った。
しかし、男は、それだけでは納得できない様子だ。
弁当以外に弁償金を要求した。
すると騒ぎを聞きつけたのか店長らしき男性が出てきて頭を下げ始めた。
どうやら伝達ミスがあったようだ。
正樹は内心うんざりしていた。
(ああいうの面倒だよな)
自分が被害者になったらと思うと嫌になる。
女性店員の方は泣き出してしまい、男性客は怒鳴り散らしている。このままだと警察沙汰になりかねない雰囲気だ。
そこで正樹は割って入った。
「あの。その弁当。僕が買いますよ」
突然の正樹の乱入に、その場に居た全員の視線が集まる。
「誰だテメエ」
男は正樹にまで食ってかかるが、正樹は財布を開けると千円を出して男に渡す。
「唐揚げ丼は490円だから充分でしょ」
男性は、まだ文句を言いたげだったが、多少なりとも儲かったからか渋々お金を受け取ると何も言わずに去っていった。
店長が申し訳なさそうに言う。
「僕。腹が減ってるんで、時間に対して払ったと思うことにします。別にいいですよ」
女性は涙を拭いながら礼を言う。
そして、正樹は弁当を受け取ると、その場を離れる。
少し離れた公園で食べようとベンチに座る。
アパートまで待っていられなかったからだ。
蓋を開けてみると美味しそうな匂いが立ち上る。白いご飯の上に溶き卵と唐揚げが載っていて、その上にマヨネーズがかかっていた。
箸を手に取り、一口食べる。
少し半熟の卵のまろやかな味と唐揚げの衣のサクッとした食感が良いハーモニーを奏でていた。
噛むと肉汁が溢れてくる。
味も濃いめで、白いご飯が進む味付けだった。
マヨネーズをかけることで単調にならないように工夫されている。
美味しいと思った。
自然と笑みを浮かべてしまうほどに。
こんな気持ちになったのはいつ以来だろうか? そう思いながらも箸を止められない。あっという間に完食してしまった。
「あの」
幸せ気分でいる正樹に話しかけてき人が居た。
見れば、保育園服の少女を連れた女性が立っていた。少女の手にはクマのヌイグルミが抱かれている。
女性は若く正樹と同じ大学生くらいに見える。
綺麗な黒髪セミロングに、整った顔立ちをしていた。
服装はマウンテンパーカーにフレアスカートといったラフなもの。
ただ美人なので、どんな格好でも似合うだろう。
少女は可愛らしい子であった。
髪を二つ結びにしている。
大きな瞳が印象的だ。年齢は4~5歳といったところだろう。
子供らしく無邪気な雰囲気があり、リュックを背負っていた。
正樹は面識のない姉妹に戸惑いつつも尋ねる。
「どちらさまですか?」
すると女性は微笑んだまま答えた。
「あの。私、
亜季の言葉に促されるが、律子は姉の後ろに隠れてしまった。恥ずかしがり屋なのか顔を出そうとしない。
亜季は困ったような表情をする。
正樹は状況が分からず戸惑うばかりだ。
すると、それに気づいた亜季が説明を始める。
「あの。覚えていませんか。先程のお弁当屋の店員なんですけど……」
言われて思い出す。
さっきの騒動の中、泣いていた女性店員だと。
確かに目の前の彼女だ。
亜季は続ける。
「先程は、すみませんでした。助けて頂いたのにお礼も言えなくて。あの。ありがとうございます」
深々と頭を下げる。
それを見て、正樹は慌てる。
「いえ。僕は友崎正樹です、僕の方こそ迷惑をかけたかも知れなくて……その……」
遅れて名乗り、上手く言葉が出てこなかった。
何と言えば良いのか分からないのだ。
しかし、亜紀は笑顔で言う。
それはまるで天使のような笑顔だ。
そんな顔を見せられたら、どうすればいいのか余計に分からなくなる。
「よろしければ、こちらを使って下さい。お弁当屋の値引きクーポン券なんです」
そう言って差し出されたのは、さっきの弁当屋の割引券だ。
正樹は申し訳ないと思いつつ、楚々と受け取った。
亜季は嬉しそうな顔になっていた。
律子は、幼女であるにも関わらず、呆れ顔でそれを見ていた。
◆
正樹はクーポン券の期限が近づいても弁当屋に行かなかった。
行く理由が見つからなかったからだ。
今日も今日とて、スーパーで買った食材を自分で焼くか茹でるなり調理して食べている。あの弁当に比べれば、野菜中心の為、栄養はあるだろうが質素で味気ない食事だ。
ふと亜季のことを思った。
何故、自分はあの弁当屋へ行かないのか? それはあの弁当が美味しかったからに他ならない。あの味を知ってしまった以上、他の弁当では満足できない。
しかし、正樹はあの店に行く勇気がなかった。
行ったところで、どうするのか? 交際経験もない勉強が趣味のような大学生だ。
考えれば考えるほどに
だから正樹は大学帰りに寄り道するのをやめた。
いつものようにアパートに帰るだけだ。
そんなある日、あの公園を通りかかるとリュックを背負った少女が泣いているのを見かけた。親の姿はない。
このまま放っておく訳にもいかないので、声をかけてみることにする。
すると正樹の見知った娘だった。
それは亜季の妹の律子だった。
泣きじゃくる律子に、正樹はしゃがみ込むと、律子の目線に合わせて訊く。どうして泣いたのか。
「一緒に遊んでたら、クマのヌイグルミをなくしちゃって……」
そう言うと再び泣き出してしまう。
クマのヌイグルミとは、あの時連れていたヌイグルミのことだろう。
「そうか。じゃあ一緒に探そうか」
正樹は、ポケットティッシュを取り出すと律子の鼻水や涙を拭いてやる。
律子は鼻をすすりながら泣き止むと、コクリと首を縦に振った。
「どこで遊んでたのかな?」
正樹は律子の手を引き、辺りを散策し始めた。
律子は最初、戸惑っていたようだが次第に心を開いてきた。
「あっち」
茂みを指差す。
そこは草木が生い茂っていて、とても子供が入れるような場所ではない。それでも正樹は入っていく。
中は薄暗く、足場も悪い。
本当に子供が入った場所だろうかと思いつつも、正樹は探す。
だが、クマのヌイグルミなど見つからない。
しばらく探し続けても見つからなかった。
そろそろ諦めるべきかと思ったその時、後ろから声を掛けられる。
振り返ると亜季がいた。
買い物袋を手にしている。
亜季は律子を見つけると駆け寄ってきた。
「どうしたの!?」
心配そうに尋ねてくる。
「仲さん」
亜季の顔を見ると、正樹は思わず名前を口にしていた。
亜季は不思議そうにしている。
当然だろう。面識はあるが、そこまで親しくはなかったはずだ。
亜季は困惑しつつも尋ねる。
「友崎さん。一体、ここで何を?」
その問いに答える。
誤魔化すことでもないと思い、律子のヌイグルミを探していることを告げる。
それを聞いて亜季は目を丸くして驚いていた。
「クマのヌイグルミって……。律子、あなたいつもリュ……」
亜季が言いかけると律子は慌てて姉の口を塞ぐ。
その反応を見て、正樹は訳が分からなかった。
律子は怒ったような慌てたような顔をして、正樹の方を見る。
正樹は茂みから出て、呆然と立ち尽くすしかなかった。
「お兄ちゃんにヌイグルミを探してもらっていたの。でも、もういいの。わたし、お腹すいちゃった。お姉ちゃん、早く帰ろう」
律子がそう言うと、亜季は困り果てたような顔をする。
「ねえ。お姉ちゃん、お兄ちゃんも一緒に連れて行ってあげようよ」
律子の発言に亜季のみならず、正樹も驚く。
まさか自分まで誘ってくれるなんて思いもしなかったからだ。
亜季はどうしたものかと考え込んでいる様子だったが、やがて笑顔を浮かべた。
それはまるで天使のような笑顔だ。
「……そ、そうね。ご迷惑を掛けたみたいだし、お礼も兼ねて歓迎します」
亜季は、戸惑うような口調で言う。
その顔は真っ赤になっていた。
その発言に正樹は驚く。
「い、いえ。先日知り合ったばかりで、そんなことは……」
正樹は恐縮して断る。
すると、律子は苛立つ表情をし、小さく舌打ちする。
「遠慮しないで下さい。家は妹と二人暮らしなんです。それと、今日はハンバーグですよ」
それは魅力的な言葉だった。
正樹はゴクリと唾を飲み込む。
律子は胸を撫で下ろす。
「お兄ちゃん。クーポンあげたのにお店に全然来てくれないって、お姉ちゃん言ってたよ」
律子は屈託のない笑顔で言ってくる。
それを言われると正樹は何も言えない。
「律子!」
亜季が
律子はビクッとして怯えるような表情をすが、すぐに笑顔に戻った。
それは正樹にとって眩しい光景だ。
この姉妹は仲が良いなと思う。こんなに楽しそうな二人に割り込んでも良いのだろうか? 一瞬、
しかし、正樹は意を決して言った。
「じゃあ、お願いしようかな」
こうして正樹は夕食に招かれることになった。
亜季と律子は手を繋いで嬉しそうにしている。
特に亜季は幸せそうだ。
亜紀は正樹を恥ずかしさのあまり、まともに目を合わせられないのか下を向いていた。
そんな亜季を律子は
律子の目は、まるで悪戯好きな小悪魔のようだ。
「お姉ちゃん。大人なのにキッカケ作り下手クソね。わたしの方が上手だよ」
律子の一言に亜季は、妹のリュックを見る。
そこには律子のお気に入りの、クマのヌイグルミが顔を覗かせていた。
クマのヌイグルミが、そこにあるということは、無くしたという話は嘘だったようだ。
つまり、律子は最初から正樹を亜季に会わせるつもりだったのだ。
そのことに亜季は気づき、顔を赤く染めた。
そして、律子を睨みつける。
律子は気にせず、ニコニコしていた。
「後は、胃袋をつかむだけよ」
そう言うと、亜季をからかうような視線を送る。
亜季は顔を真っ赤にして俯いていた。
どうやら主導権は完全に律子のものらしい。
正樹は、亜季と律子は本当に仲の良い姉妹だと思った。
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