インコンプリート・マギ〜余録/ひとひらの物語

霖しのぐ

ちょっと辛い話

※紺野燈視点。本編第3章あたりの話。



「うわっ! ああー……ひえっ、本当に行っちゃうのか!? やりすぎだろ」


 金曜日、夕食後の自由時間。早くも週末分の課題を終えた環くんがスマートフォンにかじりついて、時折小さな悲鳴を上げていた。


 何を見ているのかな? 彼はイヤホンをつけているからここからではわからないけれど、ホラー映画を見ているのでないことだけは確かそうだ。


 なぜかって? だって、その時の彼のリアクションはあんなものでは済まないからね。


 さて、学生寮での暮らしというのは厳しいものをイメージされそうだけども、ここ東都魔術高等専門学校では学生の自主性を重んじているので寮則はかなり緩めと言っていい。


 時間が決められているのは食事と入浴の時間くらい。各々が残りの時間で学習をし、休息をとる。そう、時間の使い方は自由なんだ。


 みな高い志を持って集っているので、わざわざ厳しい規則で縛り付ける必要もない、という考え方だ。もちろん、娯楽にかまけて勉学が疎かになるようなら、僕たちは容赦しないけれどね。ふふふ。


「が、頑張れっ!」


 再び環くんの声。時々顔を覆っているけれど、どうやら今は手に汗握る展開のようだ。学生寮の居室にテレビは据え付けられていないけれども、近頃は……彼のようにスマートフォンやタブレットで動画配信サービスを楽しむ学生も多いね。


 ちなみに僕も休日によく映画を見るよ。さまざまなジャンルの作品に気軽に触れられるようになって、楽しみが増えたのがうれしいな。


 一方、環くんが見ているのはもっぱらテレビ番組の公式配信。特に教養系バラエティや、クイズ番組がお好みらしい。ここへの入学を機にスマホを初めて手にしたという彼は流行りの動画共有サイトにはあまり興味がないらしく、今時珍しいテレビっ子だ。今日もルームメイトの僕の存在なんか忘れてしまったように、夢中で画面に見入っている。


「さてと、僕も少し休憩しようかな」


 頭を動かしているだけでもちゃんとお腹は減ってくるものだ。いったん仕事の手を止めキッチンに向かった。手持ちのカップ麺カードを思い浮かべながら、電気ケトルのスイッチを入れ、食品をしまっている棚を開ける。


 食事は普段、道を挟んだ向かい側にある女子寮の世話になっているけれど、夜に小腹が空いた時や休日用にいろいろと買い溜めしてある。


 僕はお手軽にカップ麺派だけど、環くんはマメだからちゃんとお鍋を出してきて袋麺を作る。卵なんか入れたりして。偉いよねえ。


『超絶飛び辛!! 獄門灼熱マグマヌードル』


 今日は少し長くなりそうだから、目が覚めるように刺激が強そうなものを選んでみた。包装のフィルムを剥がしながら立ち上がると、番組を見終わって水分補給に来た様子の環くんと目が合った。


「せ、先生……それ」


「ん?」


 おっと、見つかってしまったね。環くんはテーブルに置いたカップ麺を見て眉を寄せている。以前隠れて夜食を食べたことを咎められて以来、堂々とするようにしているんだけど、今日もまた怒られちゃうかな。


 でも、以前よりはだいぶ頻度は減ったんだよ? その分刺激を求めてしまうようになったんだけれどもね。


「それ、食べるのやめた方がいいです。さっきお笑い芸人があまりの辛さに悶え苦しんでました。痛々しすぎてとても見ていられるものじゃなかったです」


 とても真面目な顔だ。なるほど、あのリアクションはそういうことだったのか。どこか涙目の環くんに話を聞けば、若手芸人が体当たりでいろんな調査や実験をする番組を見ていたんだそうだ。タイマー代わりに持ってきたスマホを操作して番組のホームページを確認する。


『実食調査! 激辛カップ麺グランプリ』か。なるほどね。辛いものを苦手とする環くんにとっては、少々刺激が強い映像だったかもしれないね。でも僕にとったら市販の激辛カップ麺なんてどれも大したことないんだ。


「あはは、大丈夫だよ。夜食にするなら少々刺激的な方がいい。それに、テレビのバラエティ番組というのは多少話を盛ってるものなんだよ」


「ダメです!! 俺は先生にいなくなられたら困るんです!!」


 そう言って、首を激しく横に振った環くん。ふふっ、可愛いものだ。たかが激辛カップ麺ひとつでそんな真剣になれるんて、香坂環という人間は本当に純粋な心を持っているんだね。


 こうもピュアだと悪い大人に騙されないか心配になってしまう。たとえば僕のような……そう、僕は間違いなく悪い人間なので彼に構わずカップにお湯を注ぐ。


「先生ぇ!!」


「ふふふ、大袈裟だよ」


「ううっ……なんかすでに目が痛いんですけど。食べちゃいけない匂いがするっ」


 環くんはすかさずキッチンの換気扇を回し、さらに窓も開けた。僕はまだ何にも感じないんだけど、環くんはこの辺りの刺激にかなり敏感なんだね。


 指示通り、タイマーを四分に。別添えの液体スープを蓋の上で温めるのを忘れない。熱湯三分でないカップ麺は、麺にこだわりがあるイメージを持っている。唐辛子が練り込まれているらしいけれど、どんな味なのか楽しみだねえ。


 タイマーが鳴った。なんだかんだ言いつつ、僕の向かいに陣取った環くん。どうやら、夜食を食べるところを見守ってくれるらしいね。


 ワクワクしながら蓋を取って、箸を片手に真っ赤な液体スープを注いでから混ぜると、環くんが小さく咳き込んだ。僕にはいい香りにしか思えないけれど。


 さて、激辛カップ麺に向き合うとき、僕はまず麺を味わうことにしている。麺を箸で持ち上げた。なるほど。オレンジ色の太めの縮れ麺なんだね。


「いただきます」


 このカップ麺に関わった全てに感謝し、麺を一気に啜り上げた。


「うっ!!」


 想定以上の刺激の強さに、大きく咳き込んだ僕。青い顔で環くんが椅子から立ち上がった。


「先生!?」


「ふふ、大丈夫だよ」


 しっかりとした食感の麺を咀嚼する。想像通りのもちもちとした食感だ。噛むたびビリビリと舌を刺激してくるのが楽しいね。


 次は、数種類の唐辛子を配合しているらしいスープを一口。なるほど、刺すような刺激の中にもしっかりとした旨味を感じるけれど、それを理解するにはかなりの場数を踏む必要があるだろう。慣れていない人間だとただもがき苦しむことになりそうだ。


 縮れ麺によく絡ませるため、少し粘度を高めにしてあるのがまた曲者。これが喉や食道をコーティングするようにゆっくりと胃に流れていくわけだね……うん、これは辛いというより痛い。


 摂取した辛味成分に反応して、全身の毛穴が開く感覚。額から幾筋も汗が滴り落ちてきたので袖で適当に拭って前髪をかき上げた。この眠い目を無理やりこじ開けられる感覚、笑いが止まらないね。


「ふふふふふふ、なるほどこれは。久々に強敵に出会った気分だよ」


「先生いぃ!! へっ、平気なんですか!? こっ怖っ!!」


 目の前で、大の苦手としているホラー映画でも見ているかのような表情を浮かべている環くん。そんなに震えてどうしたんだろう。


 僕はただの激辛好きで、決して化け物なんかじゃないんだけどね?


〈ごちそうさまでした〉

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