第26話 ビールとエダマメ、そしてティナ
「皆さん、お飲み物は手にとっていただけましたか!?」
ヨトンヘイム冒険者ギルドマスターのグスタフは、盃を手に集会場をぐるりと見渡す。
詰めかけた冒険者や、さらに衛兵団の兵士も杯を手に、合図を今か今かと待ち侘びている。
「それでは! この度の超巨大ゴーレムの討伐お疲れ様でした! そしてその中でも大活躍をしたルーキーである美しい御三方! 銀旋のティナ! ジェイ&トーカ、そして! 当ギルド1番人気の助っ人冒険者ノルンを祝福し、かんぱーい!」
歓声と共にいくつもの杯があちらこちらで音を放つ。
お祝いは良いことだと思った。
お姫様達三人、ティナ、ジェイとトーカが讃えられるのは、関係者としてこの上なく嬉しい。
嬉しいのだが……
(むぅ……グスタフのやつめ、これみよがしに最後に俺の名前を叫んで"助っ人冒険者"の宣伝をしたな。これでまた忙しくなってしまう。リゼさんとのお出かけが更に遠のいてしまう……)
「はーい! お酒のお代わりはこちらでーす! 皆さん、今日はマスターの奢りなんでジャンジャン飲んで、マスターのお財布を空っぽにしてあげてくださいねー!」
相変わらずリゼさんは忙しそうにしていた。
本当は彼女とゆっくり話をしたいのだが、今夜は特に難しそうだ。
ならば、お祝いの対象はルーキー達にお任せして、こちらはゆっくり一人で楽しむこととしよう。
そうして俺は一杯のビールと、最近非常に気に入っているエダマメを手に、食堂の椅子へ腰を据える。
俺が勇者になったのは15の時。それから俺は10数年間、"祝福"を受けた勇者として10数年間大陸上を旅して回っていた。
なので当然、ビールもこのエダマメという茹でた豆類の肴もヨトンヘイムへ来て初めて体験した。
「んぐ……んぐ……ふぅ……美味い……!」
炭酸が喉を通るたびに心地よい爽快感があった。
既に俺はクリーミーな泡と麦の旨味がふんだんに含まれたこのビールという酒類の虜になってしまっている。
何故勇者になると祝福によって身体が酒を受け付けなくなるのか。
飲めるようになって初めてわかった気がした。
「ふふ……そしてここでエダマメを……!」
ビールの余韻が残る中、枝豆を一口。
コリっとした食感、ふわりと香る青々しいニュアンス、そして程よい塩加減と甘み。
ただ青い豆を塩で茹でているだけなのに、これほど絶妙なバランスになるとは……
もしも勇者であった頃、この美味さに出会っていれば、俺は"溺れて"いたことだろう。
だから勇者は"祝福"によって強大な力を手にする代わりに、こうした"人としての享楽"を失ってしまうのだろう。
"余計な感情を抱くな。勇者は国と民へ尽くすためにその存在がある"と人へ力を授けた、神がそう言っているのかもしれない。
とはいえ、今の俺は勇者ではなく、一介の助っ人冒険者に過ぎない。
神よ! 貴様がなんと言おうと、もう貴様の倫理観には付き合わないぞ! 俺は既に勇者ではないのだからな!
「お兄さん? なんで一人でいるの? 寂しくない?」
気づくと真正面にはティナが座り込んでいた。
「なんだティナか」
「なんだとはなによー! せっかく寂しそうにしてたお兄さんへ声をかけてあげたのにぃー」
「気を遣ってくれてありがとう。今は一人の時間を楽しみたいと思ってな」
「そうなんだ。なんか、そういうのってちょっとカッコいいかも!」
ティナは屈託のない笑顔を浮かべながらそういった。
俺はなんとなく恥ずかしくなり、耳に熱を持つ。
人へ戻って以降、俺は度々こうした感情へ振り回されるようになっていた。
褒められて高揚感を抱いたり、今のように意外な発言を受けて恥ずかしがったり……なるほど、確かこういう感情が存在すると、勇者として冷静に公平に判断ができなくなるだろうということは、容易に想像がつく。
だが、今の俺は勇者ではなく、ただの人。
こうして感情に振り回されることは、全く悪くないと感じている。
「あのさ……ノ、ノルンさん……」
ティナとの付き合いは、ヨトンヘイムへ流れ着いてからリゼさんに次いで長い。
そしてその中で、俺は彼女に一度も名前で読んでもらったことがなかったと思い返す。
「ど、どうしたんだ? 急に名前で呼んだりなど……」
「あ! や、やっぱダメだった?」
「いや、そんなことは……なんとなく慣れなくて、その……」
どうして俺はこんなにまで昂っているのだ。
そんなこちらの様子がおかしいのだろうか。
ティナはクスクスと笑い出す。
「ごめんごめん、じゃあいつも通りお兄さんって呼んであげるよ」
「むぅ……それで、なんだ?」
「改めてお礼が言いたいなぁって思って」
「お礼?」
「あたしがここまでこれたのってお兄さんのおかげなんだ。お兄さんと出会って、あたし変わることができたんだよ。だから、改めて……ありがとうございました。そしてよかったらこれからも末長く宜しくお願いします」
いつもは軽口ばかり叩いているティナが深々と頭を下げきた。
彼女の真剣さが伝わり、胸の奥がカッと熱くなった。
「こちらこそティナの存在があったからこそ、ここまでやってこられた。ありがとう。そしてこちらからも宜しく頼むと伝えたい」
「そっかぁ……お兄さんも同じ気持ちだったんだね! なんか嬉しいなぁ……もうあたし、お兄さんが"破門だぁ!"っていうまでずっと付いて回るからね?」
「それは滅多なことがない限り、あり得ないと伝えておく」
「うん、その言葉信じてる……で、さぁ……改めて、聞きたいことがあるんだけど……」
いやに真剣なティナの声だった。
俺は何を聞かれようとも、きちんと答えようと身構える。
「なんでも聞いてくれ。正直に答えると誓う」
「じゃあ遠慮なく聞くね? やっぱりお兄さんとリ……」
ふと、俺とティナの間にざわついた声が割り込んでくる。
「ジェイくん酷い! このばかばかばかぁー!!」
「バカっていうやつがバカなんだよ! トーカのバーカ!」
宴会場の中心。
そこで何故か今日の主役であるジェイとトーカが口論を繰り広げている。
喧嘩するほど仲がいいとは言うが、この席にはふさわしくない行いだ。
二人を注意しようと立ち上がる。
そんな俺を先に立ち上がっていたティナが制した。
「もう……あの二人はこんな時にまで……良いよ。あたしが注意してくる」
「しかし……」
「お兄さんに怒られたらあの二人ものすごく凹んじゃうと思うよ? なんかジェイとトーカお兄さんのことを神様みたいに崇めてるからさ」
「ならば尚のこと神の怒りを……!」
「神官さんだっていきなり神様に怒られたら大慌てするでしょ? まずはお兄さんの巫女であるあたしからガツンと言っとくよ!」
「俺の巫女か……相変わらず、ティナの発想力には脱帽してしまうな」
そう言うとティナは嬉しそうに微笑んでくれた。
俺は彼女のこうした屈託のないところが大好きだった。
タイプは違うが、こうして笑顔を見ているだけで、妹分のレンを思い出す。
既に俺はティナへ、レンと同等の親しみや愛情を持っている自覚がある。
「では、行って参ります!」
「宜しく頼む」
「さっきの話はまた今度ね!」
「さっきの話?」
「もっとこう、落ち着いた時にはっきり聞きたいなって……もしそうだったとしてもあたしは……」
「?」
「じゃ、じゃあね! またっ!」
ティナは慌てた様子で、颯爽と俺のところを後にした。
そしてジェイとトーカの間に割って入ると、二人の首根っこを掴んで騒ぎ出す。
俺はしばらくの間、そんなティナ達様子を見つめていた。
あの三人を見ていると、ティナにはリディア様を、ジェイとトーカには俺とレンを重ねて見てしまう。
だからこそ、ティナ達のことは、これからもずっと守り続けてゆきたいと思った。
なによりも優先していたい大切な人たちであるという自覚があった。
もしも、まだ俺が勇者だったならば、きっとこういった感情は抱かなかったはずだ。
さて、騒がしくなりそうなので、移動をすることとしよう。
俺はビールとエダマメを持ってその場を後にする。
そして2階の誰もいないテラス席へ腰を据えた。
ここならば誰にも邪魔をされずビールとエダマメを楽しめることだろう。
そう思った矢先のこと。
複数の足音が、俺の背後で止んだ。
誰かと思い振り返ると、
「なんだお前達か? 揃いも揃ってどうした?」
シェスタ、アン、デルパーー今日の主役の一角であり、今俺が預かっている実はお姫様ばかりの、新人冒険者パーティーだ。
「ノルン……殿、聞きたいことがあるのだが、時間は宜しいか……?」
いやに慎重にシェスタが口を開く。
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