第25話 勇者の祝福
「では、余と盟友ラインハルト! そしてまだ見ぬ、新たな仲間たちを祝福し、乾杯!」
「か、乾杯!」
今日くらいは羽目を外そうと、ブランシュはラインハルトを伴って高級酒場へ繰り出していた。
ここで接客をしてくれる女給は皆感じがよく、粒揃いではあるのだが、ブランシュは妙な違和感を拭えきれずにいる。
(罪人女どもよりも、彼女たちの方が美しい。しかし、何故余は何も感じないのだ……?)
やはりクラリスとアリシアに裏切られたことに、まだ腹を立てているのか。
だから美しい女性に囲まれても、まるで芋の中にいるように、無機質な感情しか湧かないのか。
「どうかされましたか?」
強い花の香りを放つ、芋が話しかけて来たような気がした。
「なんでもない。気にするな」
「かしこまりました……さっ、お代わりをどうぞ」
「うむ! やはり酌はアリシアやクラリスのような阿呆ではなく、君のような美しく賢い女性に限るな!」
ようやく少しは女給の美しさに、ブランシュの雄が反応を示す。
ブランシュは再度注がれたワインを口にする。
途端、口の中を指すような、不愉快な感覚に襲われた。
たまらずブランシュは口にしたばかりにワインを盛大に噴き出す。
「お、お客様!?」
「な、なんだこれは……! さては貴様、毒を盛ったな!」
「ひ、ひぃいっ!!」
先ほどの上機嫌から一転、ブランシュは女を突き飛ばし、喉元へ剣を突きつける。
さすがにこれはまずいと思ったラインハルトは、ブランシュの背中へ飛びついた。
「殿下、落ち着いてください!」
「ええい、はなせラインハルト! こやつは魔物! この余の命を狙い不届ものぞ!」
「いや、そりゃおかしいですって! グラスにも不審な点はありませんでしたし、俺も同じワインを飲んだんですよ! 乾杯の時に一緒に飲み干したじゃありませんか!」
「ええい! ええい! 余が目を話している隙に、この女がグラスへ毒を塗ったかもしれん! かような不届ものはこの場で滅するが勇者の務め!」
さすがのラインハルトも、ブランシュにしがみつくのがやっとだった。
異様なブランシュの様子に恐れを成した女給たちは、我先にと貴賓室から逃げ出してゆく。
「ぐおっ!?」
「ぐわっ!!」
突然、強い正面からの圧力がブランシュとラインハルトを襲った。
ラインハルトは壁に叩きつけられ、ブランシュは床へ転がされる。
「ぬぅ……な、なんだ、今のは……?」
「質問です。どうして貴方が聖剣と勇者の証を持っているのですか?」
ソレは静かな声音で、しかししっかりとブランシュの胸元を踏みつけながらそう問いかけてきた。
ソレは非常に小柄な体格をしていた。さらにボロボロの外套で全身を覆っているため、正体が見えない。
しかしやや甲高さを含む声音であったため、女性であることは分かった。
「貴様は一体……?」
ソレはブランシュを足蹴にしつつ、そっとフードを下ろした。
黄金の稲穂のような髪を、ショートに切り揃えた女だった。
まだ幼い面影が残っているので少女と言った方が良いかもしれない。
顔のパーツが非常に綺麗に整っているので、かなり上質な少女だった。
そんな彼女は今、鋭く冷たい眼差しでブランシュを見下ろしている。
「私は【レン】」
「レン……ま、まさか王国暗殺団のエース!?」
「一応、貴方は王族なので必要な礼は尽くしました。次はこちらの質問に答えてください。どうして王族である貴方が勇者を名乗り、聖剣と勇者の証を所持しているのですか! 黒の勇者ノワールは……我が義兄は今、どこにいるのですか!?」
「そ、それは……」
「答えろ!」
レンはその小柄さからは想像もできない腕力で、ブランシュの胸ぐらを掴むと、彼を床へ強く叩きつけた。
明らかに常軌を逸したレンの様に、ブランシュは命の危険を感じる。
「答えろっ!! お前は兄さんを!!」
「ええい! 離れよ、この愚か者が!」
ブランシュはレンの隙を突いて魔力の波動を放った。
強い圧力を発生させ、貴賓室へ荒らしを巻き起こす。
しかしレンは外套を防御壁の代わりとして、圧力を受け流す。
何事もなかったかのように、めちゃくちゃになった貴賓室へ舞い降りる。
そしてブランシュが気がついた時にはもう、レンは彼を壁際に追い詰めていた。
鋭く磨がれた逆手持ちのダガーナイフが、首の薄皮を軽く切り裂いている。
「大きな声を出してすみませんでした、殿下。さぁ、お答えください? どうして貴方様が勇者を名乗っておいでなのですか? 黒の勇者ノワールは、いまどこに居るのですか?
王国暗殺団のエース:レン。
彼女はどんな手段をこうじてでも、与えられた任務を確実にこなすことで有名だった。
特に拷問が得意らしく、レンの手にかかれば、どんなに口が硬い相手でもベラベラと喋るだすらしい。
そして同時に、皆生きる屍になるか、決して五体満足では解放されないという噂も……
「早くお答えください」
「ぬ、ぬぅ……」
「強情なお方ですね。しかたありません……」
レンは徐に、傍に転がっていたチーズの塊を手に取る。
そしてそれをブランシュの口の中へ無理やり押し込んだ。
「ふぐ……んんんっ!!!!」
途端、腐臭が口の中へ一杯に広がった。
ネバネバと不愉快な食感が歯茎を容赦なく凌辱してくる。
今すぐにでも吐き出したい。
しかし、レンは薄い笑みを浮かべながらブランシュの口へチーズをねじ込み続けている。
「ふふ、如何ですか殿下? お味の方は?」
「ふが! ふぐっ! ごほっ! んんん!!」
「ですよね? 不愉快ですよね? 死にたいくらい苦しいですよね? だって貴方は"勇者の祝福"を受けた、食事不要の勇者なのですから!」
次いでレンはワインボトルをブランシュの口へ突っ込み、一気に液体を流し込む。
刺すような苦味、血のような香りがチーズと混ざり合い、正気とは思えない不快感だった。
もはや限界だったブランシュは口に入っていたものを余すことなく吐き出すのだった。
「はぁ……はぁ……な、なんなのだ、これは……これは一体……」
「ふぅん。もしかして殿下は"勇者の祝福"のことをご存じないと?」
「勇者の祝福……?」
「はぁ、もう……兄さん、そのこと説明してないんだ。相変わらずあわてんぼうさんだなぁ……でも、そんな兄さんって可愛い……ふふ……」
まるで先ほどの冷たさが一変し、レンの表情が愛らしい少女に変わっている。
レンの得体の知れなさに、ブランシュは背筋を凍らせる。
「じゃあ可愛い兄さんの代わりに、お教えして差し上げます。勇者は聖剣を持つと次第に"あらゆる人としての欲望"を失ってゆきます。そして神の祝福を受け、民のため、正義のためだけに生きることができる素晴らしい体へ変化してゆくのですよ!」
「な、なんだと!?」
「だって便利じゃないですか! 食事もいらない、眠らなくていい。それに……」
レンはブランシュの手を取った。
そしてゆっくりと、自分のやや小ぶりな胸へ近づけてゆく。
途端、ブランシュを得体のしれない悍ましさが襲い掛かる。
嫌な動悸が発生し、冷や汗が浮かぶ。
強い吐き気が湧き起こり、一瞬でも気を許してしまえば、胃の中身が全て飛び出してしまいそうだった。
「や、やめろっ……」
「ふふふ……良いんですよ、殿下……うふふ……」
「やめてくれぇぇぇぇーっ!!」
思わずブランシュは少女のような叫び声をあげた。
そんな彼をレンは冷たく突き放す。
「はい、ここまで。いくら拷問でも、これ以上をさせるものですか。だって私へ自由に触れて良いのは、兄さんだけなんだから……」
「い、今のは一体……?」
「先ほど、勇者の祝福は"あらゆる人としての欲"を失うとお教えしましたよね? 男性ならば女性へのこうした欲望も無くなる……いいえ、むしろ祝福がそうした感情を"邪な感情"と判断し、今のように"苦しみ"として阻害するのです」
レンは「はい、おバカな殿下への勇者の祝福に関しての授業はこれでおしまい!」と軽い調子で告げた。
そしてブランシュが気がついた時にはもう、レンは彼を床の上へ押し倒していた。
「さぁ、教えてください。黒の勇者ノワールは、どこに行ったのですか?」
甘い声でそう囁きながら、レンが顔を近づけてくる。
ブランシュの心臓が急激に締め付けられ、息が苦しくなった。
身体中の穴という穴が開き、数多の体液が滲み出てくる。
「し、知らぬ! ノワールがどうなったかなど、余は知らぬのだぁ!!」
これ以上の強情は死を招く……ブランシュは、そう判断したのだった。
「だって貴方はノワールから勇者を引き継いだんですよね? どういう経緯で?」
「そ、それは……国王の命令で、余が勇者を引き継いだのだ。生きているノワールから直々に!」
「ふぅん。じゃあノワールは今でも?」
「おそらく生きている。別れたのが、西の聖域の祠の中でだったが……彼ならば、あの程度のダンジョンなど……」
「うふふ、そうですね。だって私の自慢の、リディア様の一番弟子だった兄さんですもの。勇者じゃなくなっても、あの程度のダンジョンなら全然平気ですよね! その点は殿下を意見があってとっても嬉しいですよ」
レンから狂気の雰囲気が霧散したような気がした。
彼女はすくっと、ブランシュの上から立ち上がり、鮮やかな手つきでダガーナイフを鞘へ収める。
そしてブランシュへ向けて、満面の笑みを送った。
「情報ありがとうございます、殿下。この先はノワールを探し出して直接聞くことにします。勇者の任は大変でしょうけど、これからも国のため、民のために頑張ってくださいね!」
レンは軽やかにそう告げると、フードを被り背を向ける。
ようやく地獄の時間から解放された……ブランシュはほっと胸を撫で下ろす。
が、再び冷たい視線が彼へ突き刺さる。
「殿下、幾ら離れていようとも貴方が勇者であり続ける限り、私は貴方のことを見ていますよ。そのことだけはゆめゆめお忘れなきように……うふふふ……でも、兄さんが勇者じゃ無くなったってことなら、すっごく久々にナデナデとか……うふふ!」
今度こそレンは、足早にそして足音一つ立てずにその場から姿を消すのだった。
「だ、旦那……嘘はマズかったんじゃないっすか……?」
ずっと怯えながら事態を静観していたであろうラインハルトが声をかけてくる。
「仕方あるまい! もしもあの場で真実を告げてみろ。余はあの女によって確実に殺されていたのだぞ! 何故助けに入らなんだ、この大馬鹿者めが!」
「申し訳ございません! でも相手があのレンじゃ、俺だって太刀打ち出来ませんでしたぜ!」
「なぜこんなことに……」
やはりノワールから無理矢理勇者のとしての資格を奪ったからこうなってしまったのか。
ブランシュはその場で蹲り、頭を抱え始めるのだった。
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