第21話 待ち合わせ
――ピコン。
『にじいろ海岸の写真出来たよー!』
中川さんからのメールが届いた。
『携帯より、アルバムがいいなぁ。ダメ?』
と俺は少し我が儘な言葉を送った。
中川さんに海に連れて行って貰った日、夕陽が見たくて。俺はカメラを覗いている中川さんに聞いてみたんだ。
「夕陽が見れるまでいてもいいかな」
って。しかも、タメ口に近い言葉で。
残念ながら、答えはNOだった。あまり長い時間、暑い場所に居るのは負担がかかるといけないからって。
でも、敬語じゃないのは凄く嬉しいって。
にっこりと笑ってくれた。頬っぺがほんのり赤くなっていたのは、暑かったからだろうか。
それから俺は何となくタメ口に近い言葉で中川さんと会話をするようになった。凪や広輝も何となく、普通に会話をするようになった。
凪に関しては、【栞ちゃん!】と呼ぶようになってしまった。
――ピコン。
『あんな手作りでいいの?』
『あれがいいんだ。』
こんなやり取りをこっそりとしている。
凪は何となくあの海に行った日から、広輝の事を気にしている。
ただの俺の勘だけど。広輝も塾がない日は、俺の家に入り浸っている。ゲームをしたり、マンガを読んだり、何気ない会話をしたり。
でも、俺にはとても大切な時間なのだ。
父ちゃんと母ちゃんが夜中にヒソヒソと話していた、俺の病気。
『拡張型心筋症』。
あのカテーテルの検査の結果で、俺には『心筋症』としか伝えられていなかった。
大事な『拡張型』という言葉は隠されていた。医学はきっと発達しているから、何とかなるだろう。
そう考えないとやってらんないや。
(病気になるって、生きている証拠!)
みたいなもんだろう?
だから俺は悔いが残らないようにしようと決めたんだ。中川さんへの気持ちだって、別に悪い事をしているわけではないんだし。
中学の時に好きになった人はいたけれど、卒業してそのまま気持ちも消えてしまった。
その程度のもんだったのだろう。
けど、中川さんへの気持ちは違うような気がしている。何というか、引き寄せられる感覚。海でカメラのシャッターを夢中で押している中川さんからは、目が離せなかった。
服が汚れるのも気にせず、砂浜に寝転んでカメラを覗いていた中川さんの横顔がとても魅力的だった。
中川さんの撮る写真はとても優しくて、ずーっと眺めていられる。
「栞ちゃんの事でも考えてんの?」
ビクッとして部屋の入り口に視線を移すと凪がニヤニヤと笑いながらこっちを見ていた。
「なんの用だ! 勝手に開けんなよ!」
「何回も呼んだよ、階段の下から。寝てんのかと思って起こしにきたらさ、とろーんとした目をしてるんだもん」
「何?」
「パンケーキ、焼けたよ!」
「ぉん」
窓を締めてクーラーをかけているのに、窓の外からはセミの鳴き声が響いている。高校3年生の夏休み。
みんなが受験勉強で大変な時期に、俺は自宅で療養していた。
庭で軽く日光浴をしたり、母ちゃんの買い物についていったり、散歩をしたり。
少しずつ日常を取り戻すために、しっかりと食事も取った。
母ちゃんの作ってくれるフワフワのパンケーキは、アイスクリームとホイップまでかけてある。
「お兄ちゃん、見て――! 私が飾ったの!」
と凪は自分が作ったかのように自慢してくる。
「はいはい、俺はどれを食べていいの?」
凪は一番うまく仕上がったものが食べたいらしく、間違えてそれに手を出してしまうと面倒だから。それは幼い頃から変わらない暗黙のルールみたいなものだ。
「はい、これ!」
差し出されたパンケーキを食べた。
「うんま――」
「んー、美味しい! 広君もいたら良かったのにな、塾だってさ」
何だか少し寂しいような気もするけど、広輝なら許せるような気がする。
父ちゃんはどうかわからないけど。
――ピコン。
『私の休みの日になっちゃうけど、一ケ瀬君の体調が良ければ会えるかな? アルバムできたら渡したくて』
『アルバム欲しい! 次の休み、いつ?』
『土曜日、かな』
「あのさ、今度の土曜日出かけるかも」
最後のパンケーキを口に詰め込んだ。
「えっ? 颯真、誰と出かけるの?」
母ちゃんが少し心配した声で聞いてきた。
「……中川さん。アルバムまた作ってくれるんだってさ。ご馳走さまっ!」
俺は逃げるように階段を上がり自分の部屋へ戻った。
「栞ちゃんと一緒なら大丈夫じゃない?」
不安そうな母ちゃんに、凪は声をかけてくれたのだろう。母ちゃんはそれから何も聞いてこなかった。
そして、約束の土曜日のお昼過ぎ。母ちゃんが車で駅まで送ってくれた。
「帰りも連絡してきてね、迎えに来るから。わかった?」
「わかった、ありがとう」
俺は久しぶりに駅の改札を通り、電車に乗った。流れて行く景色はとても新鮮に見えた。何度も見てきた景色のはずなのに。
そして、広輝とよく待ち合わせをしていた駅で電車を降りた。
改札を出てすぐのコンビニの前に中川さんが立っていた。
「一ケ瀬君!」
と呼んで、胸の前で小さく手を振る。
白いブラウスについている、大きなレースの襟がヒラヒラと揺れて綺麗だった。
「待った?」
「全然」
「俺の知ってるカフェでいい?」
「うん、そこ行こ!」
土曜日の午後というのもあってか、カフェはほぼ満席だった。少し待って案内された席は、窓際の小さなテーブル席だった。
「おしゃれなお店だね」
「ここ、広輝と良く通ってて、入ってみたかったんだ。」
珈琲豆の香ばしい香りが店内に広がって、楽しそうな話声が小さなBGMと共に流れている。店員さんが運んでいるデザートはとても可愛く盛り付けられている。
俺は手作りのオリジナルジンジャーエールとスコーンを、中川さんはラテとケーキを頼んだ。
「ぅわぁー可愛い!」
ねこのラテアートを見て、中川さんは嬉しそうに笑った。俺はその笑顔をまっすぐに見れずに、少し視線を外に向けた。
中川さんの手作りのアルバムをふたりで眺めながら、色々な話をした。何度も何度もお水のお代わりをしながら、たくさん話をした。
「またね、颯真君」
「うん、またね、栞ちゃん」
と挨拶を交わした事は暫く内緒にしておく事にした。
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